第3話 透明な2人

 帝都の城から2組の逃亡者が出た翌日。その片割れであるハウエルの仕事部屋では、一人の男が怒りに震えていた。


 眉間に深い皺を刻んだ男の手には、1枚の紙がある。紙には短くこう書かれていた。


『書類に埋もれて死ぬのは嫌なので、少しお暇をいただきます。アニスも一緒です。ハウエルより』


 何度読んでも変わらない置き手紙の内容に、男は一度深く目を瞑り、絞り出すように怒りを吐き出した。


「あのっ……馬鹿者が……!!」


 言いながら、男は手紙を握りつぶす。次の瞬間、男の感情に呼応するように、手紙が赤く燃え上がった。


 男の名前はバートレスト。国内の貴族を監視する部署の長であり、ハウエルの直属の上司だ。


 燃えて塵となっていく手紙に意識も向けずに、バートレストは思考を回す。ハウエルの捕縛手配。それまでの業務の処理。処罰。再発防止。そもそもの現状への憤り。様々な考えが渦を巻いたところで、部屋の扉がノックされた。


 バートレストの返事も待たずに、一人の男が入室してくる。


「やあ、バート。焦げ臭い匂いが部屋の外まで漏れていたけれど、何かあったのかい?」


 気安い口調で尋ねてきた男に、バートレストは苛立ちを隠さずに答える。


「……ハウエルが4回目の逃亡を行ったところだ。あの馬鹿には、そろそろ責任というものを叩き込めねばならん」


「またかい? それは困ったね」


「ああ……。あやつは馬鹿だが、数少ない優秀な光適性の術者だ。今の状況で手放す訳にはいかん」


 バートレストは苦い顔で言葉を続ける。


「陛下は多くの味方を持つが、同時に敵も多い。ハウエルのような裏切る心配のない者は貴重だ」


 バートレストは部下を選ぶ際に、裏切る可能性があるかどうかを最も重要な基準としている。老獪な貴族達を相手に立ち回るのだ。内部に敵がいては何もできない。バートレスト自身を含めて、機密情報は死んでも漏らすことが出来ないように魔術で縛っているが、邪魔をする手段はいくらでもあるのだ。


 その点、ハウエルは安全だった。家柄にも問題はなく、本人の思想も欲に溺れるものではない。

 裏表のない性格と、優秀な能力。バートレストにとって、ハウエルは使い勝手が良い部下だった。事実、これまでハウエルは多くの活躍をしている。


「だが、逃亡は罪だ。連れ戻した際には、倍の仕事をくれてやろう」


「……その仕事の量が、逃げた原因ではないのかな?」


 その質問に、バートレストは迷いなく答える。


「我らは陛下の耳目だ。我らの役目は陛下をお支えすることにある。ならば、成すべきことは成さねばならん」


 皇帝を、ひいては帝国を支える職務に誇りを持っているバートレストは、自身の人生を仕事に捧げるつもりでいる。


 バートレストは小さく息を吐いて言葉を続けた。


「まあいい。説教はハウエルを連れ戻してからたっぷりしてやろう。それでデューク、そちらも騒がしいようだったが、何があった」


 バートレストの問いに、デュークと呼ばれた男は苦笑いで答える。


「ああ、朝からロイ様の姿が見当たらなくてね。どうやら城の外へ出たようだ」


「……なんだと?」


 予想外の言葉に、バートレストは眉を寄せながら質問を続ける。


「まさか、他の貴族家へ取り込まれたのか? もしロイ様の子が担ぎ上げられるようなことになれば、陛下の地位が揺らぐぞ。捜索の指揮は誰が執ることになっている?」


 バートレストの言葉に、デュークは首を横に振る。否定の合図だ。


「指揮を執る者はいないよ。それどころか、捜索隊も組まれない」


 バートレストの眉間の皺が深くなった。


「どういうことだ?」


「陛下からのお言葉だ。『探す必要はない』とのことだよ」


 告げられた内容に、バートレストはしばらく沈黙した。


「……陛下はロイ様の行動を知っていた、ということか?」


「そうだろうね。どうやら、ロイ様は自主的に姿を隠すことにしようだ。自身が陛下の隙となることを理解しておられたのだろう」


「……そうか。ならば言うことはない。私としては、ロイ様の平穏をお祈りするのみだ」


 様々な思惑の入り混じる城内で、無事に生き延びる程にロイが優秀であることを、バートレストは良く知っている。またその苦労も。血筋と権力に振り回されたロイを想い、バートレストはしばし精霊へと祈りを捧げた。


 祈りを終えたバートレストが再び口を開く。


「ロイ様の件は分かった。私は自分の成すべきことを成そう。デューク、そちらの騎士を何人か借りられるか? 帝都内でのハウエルの捜索を依頼したい。まだ遠くには行っていないはずだ」


「構わないが、出せるのは数人と言ったところだよ。こちらも魔境の調査で忙しくてね」


「龍殺しの『爆弾魔』への報酬か……。あれは貴様の義理の息子になるのだろう。帝国に引き込めなかったのか?」


 バートレストらしい言葉に、デュークは肩をすくめて笑った。


「それは無理だろうね。彼は大の貴族嫌いのようだ。貴族になるなんて御免だと、面と向かって言われたよ」


「ここでも粛清した貴族共が足を引っ張るか……。まあいい。帝国に仕えるつもりがないならば、何を言っても無意味だろう。デューク、空いている騎士を寄越してくれ。私が指示を出す」


「分かった。口の固い者に声を掛けて来るよ。しかし、私達の仕事も減らないものだね。足を引っ張ろうとする者が多くて困る。私は領地で静かに過ごしたいものだよ」


 ため息混じりのデュークの言葉に、バートレストは視線を鋭くしながら応える。


「そう思うのは貴様に欲がないからだ。だが、他の連中はそうではない。まったく、人の欲には際限がないものだと、この仕事に就いてから何度思ったことか。強い意志がなければ、優れた血も腐るというものだ」


「……そうかもしれないね。はあ、帝都での仕事がなければ、私も休暇が欲しいところだよ。夏には初孫が産まれるというのに、私は顔を見に行くこともできない。ロザリーは色々と理由を付けて行ってしまったのに、私が相手をするのは厄介事ばかりだ」


 落ち込んでいくデュークの様子に、バートレストは呆れたように目を細めた。


「貴様の孫の話はもう聞き飽きたぞ。そのうち会いに来ると言われたのだろう? ならば、それまで祖父として胸を張れるように働け」


 真面目な友人の言葉に、デュークは軽く笑みを浮かべた。


「はは、少し愚痴を言ってみただけさ。私はそろそろ戻るとするよ。ハウエルの捜索も、早く始めなければならないだろうしね」


「ああ、よろしく頼む」


 バートレストの短い言葉に、デュークは微笑みを浮かべて部屋を後にした。


 1人になった部屋の中で、バートレストは窓の外へと鋭い視線を向ける。


「……ハウエル、どこに隠れている」



    ◆



 太陽が真上に昇った頃、ハウエルとアニスの2人は路地裏で息を殺していた。


「……おい、アニス。もう騎士が見回っているぞ。仕事が早すぎだろう」


「いやあ、そもそも、逃亡の準備とかは先に済ませておくべきだったんじゃないすか」


 2人は魔術で透明な状態だ。お互いの姿も見えていないが、ハウエルにはアニスの呆れ顔が容易に想像できた。


「急に決めたのだから仕方ないだろう。だいだい、呑気に準備なんかしていたら、あっという間に室長にはバレるぞ」


「……前は保存食を買い込んだ時点でバレたっすからね」


 アニスの言葉にハウエルは苦い顔を浮かべる。逃亡未遂のときの話だ。結局失敗したので、買い込んだ保存食は泊まり込みの際の夜食になった。真夜中に食べた塩辛すぎる干し肉の味を、ハウエルは良く覚えている。


 その体に悪そうな味を思い出したところで、ハウエルはあることに気が付いた。


「む? あの騎士、こっちに向かって来てないか?」


「本当っすねー。路地裏まで調べるなんて真面目な人っすね。……そういえばアタシ達、触られたらバレるっすよね」


 2人の魔術は光の屈折による透明化だ。体が消えた訳ではない。そのため、普通に歩いていては通行人にぶつかる。透明な2人を通行人は避けてはくれない。路地裏をこそこそと移動しているのはそのためだ。


 当然、騎士に触れられるようなことがあれば、透明な何かがいることはバレる。


「……」


「……」


「逃げるぞアニス!」


「師匠、声大きいっす……! 聞こえるっすよ……! というか、どっちに逃げるんすか……?」


「あっちだ……!」


 小声で話しながら、ハウエルは進む方向を指差す。だが、


「どっちっすか師匠……! アタシたち、お互いに見えてないっすよー……!」


 数瞬固まったハウエルは、何とかアニスの手を探り当て、手を引いて路地裏の奥へと逃げ込んだ。




 無事に騎士から離れた2人は、息を整えながら今後の行動を話し合う。


「……仕方ない。必要な物は近くの町で調達しよう。今は急いで帝都を出るぞ」


「そうっすねー。幸い、最低限の買い物は出来たっす。それで師匠、どうやって移動するっすか? この分だと、馬車乗り場は見張られてそうっすよ」


「ああ、馬車を使うのは無理だ。徒歩で行くぞ、アニス!」


「うわあー、楽しい旅になりそうっすねー……」


 歩く距離を想像したアニスは、乾いた笑みを浮かべた。


 2人の逃亡劇は、まだ始まったばかりだ。

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