第2話 二組の逃亡者

 ~ 1ヶ月前 ~



 大陸の4分の1を支配する帝国と呼ばれる国。この国には名前がない。大陸の全てを統べる資格を持っており、正当なる国は己のみであると主張しているためだ。唯一であるために、他国と区別するための呼称は不要だとしている。

 実態はともかくとして、対外的にはそう発言している国である。


 そんな帝国だが、ほんの数ヶ月前に皇帝が代替わりしたばかりだ。新しい皇帝は弱冠16歳。信賞必罰を旨とし、代替わりと共に多くの腐敗した貴族を裁いた。それ故に、私腹を肥やしていた貴族たちからは恐れられ、民衆からは絶大な支持を受けている。


 そして現在、好悪両方の感情を一身に受ける皇帝はと言えば、自身の執務室でひたすらに書類を捌いていた。高価なガラス張りの窓からは、黒色の夜空が見える。もう夜中と言っていい時刻だ。


 しかしながら、若き皇帝は手を止めない。自身の基盤を万全なものにするために、今は多少の無理は通すと決めているためだ。


 集中を続ける皇帝の前で、部屋の扉が静かに開く。皇帝の執務室へと伺いもなしに入室した人物が、照明の魔道具に照らされた室内で影を作った。


 皇帝は、表情も変えずに目線を上げた。皇帝の眼前にいる人物は若い男だ。悪戯っぽい笑みを浮かべて、無造作に皇帝へと近づいて行く。

 そして、片手を上げて、親し気に皇帝へと声を掛けた。


「よお、リーン。外で侍従たちが心配してたぜ。皇帝陛下がいつまで経っても寝てくれないってな」


 皇帝に対するものとしてはあまりに無礼な言動に対し、若き皇帝は眉を寄せながら応えた。


「……余裕さえあるのなら、いくらでも眠りますよ。ですが、僕は兄と姉を排して無理矢理皇帝の座に着いた身です。実績を作るまでは、気を抜く暇はありませんよ」


 皇帝は手に持った書類を机に置き、両手を組みながら言葉を続けた。


「それで、こんな時間にどうしたんですか? ロイ兄さん・・・


 皇帝に兄と呼ばれた男は、にこやかに笑みを浮かべる。


「ああ、城を出ようと思ってな。その挨拶に来た」


 端的なその言葉に、皇帝は一瞬目を閉じ、細く息を吐いてから口を開いた。


「そうですか……。行き先は決まっているのですか?」


「いや、これから決めるつもりだ。というか、全然驚かないんだな」


 笑いながらの言葉に、「驚かせたかったんですか……」と皇帝は呆れ半分に呟いた。


「兄さんが城を出る準備をしているのは知っていましたよ。そうする理由も理解しています」


「そうか……。悪いなリーン。俺が協力できるのはここまでだ」


「いえ、仕方のないことです。帝位の継承権を持っていないとはいえ、兄さんは前皇帝の血を継いでいますからね。僕を害したい貴族たちは、そう遠くない内に兄さんを抱き込みにかかるでしょう」


 ロイは前皇帝の正妻の子ではない。どころか、側室の子ですらない。前皇帝がメイドに手を出した結果産まれた子だ。皇帝の子だと誰もが知っていても、それは公の事実としては扱われていない。城内でも不安定な立場だ。


 ロイは苦笑を浮かべながら、あり得る未来を口に出す。


「お前を殺して、俺の子供を次の皇帝にする。腹黒な貴族たちが考えそうな内容だ。子供が出来た時点で、俺はきっと処分されるな」


「そうなるでしょうね」


 ロイは現状を理解している。自分がこの優秀な弟の弱点であることを理解している。だからこそ、この城から出ることを決めたのだ。


「はあ……。お前にだけ苦労をさせちまうな」


 ため息をつきながら、申し訳なさそうにロイが言った。


「仕方ありませんよ。あの2人では国を傾けるだけだったでしょう。国のことを考えれば、僕が帝位に就くしかありませんでした。元々、この身は国に捧げたものです。兄さんは気に病まないでください」


 なんの恨み節もなく言われた言葉に、ロイは何度か口を動かしかけ、結局全てを飲み込んだ。


「……そうか。分かった。……長生きしろよ、リーン」


 ロイは少し迷った末に、平穏には生きられない弟へと、最後の言葉を送った。そして、皇帝も静かに笑みを作る。


「ええ、兄さんもお元気で」


 数瞬だけ見つめ合い、ロイは身を翻して扉へと向かった。振り向くことなく部屋を出る。




 城の廊下を進むロイへと、一つの影が近づく。侍女服を着た若い女性だ。その姿を見たロイが口を開く。


「シエラ、別れは済んだ。俺はいつでもいいぜ。場所の候補は見つかったか?」


 歩みを続けるロイ、その斜め後ろを付き添った侍女シエラが、主からの質問に答える。


「はい。ロイ様がお気に召しそうな候補地が見つかりました」


 その言葉に、ロイは嬉しそうに口角を上げた。


「へえ、どんな場所だ?」


「場所は、帝国内でも僻地となります。新しく村を開拓する……正確には、魔物の襲撃によって滅んだ村を再建するそうです。そのための移住者を募っていました。募集の内容によれば、素性は問わないとのことです」


 募集内容を書いた狩人も、さすがにこんな人物な想定してはいない。だが、お構いなしに話は進む。


「帝都からの距離を考えれば、ロイ様の正体に気が付く者はいないかと」


 ロイは聞いた内容を吟味し、笑みと共に結論を出した。


「いいな。そこに行ってみるか。色々な経験ができそうだ」


 不安定な立場のために、常に慎重に行動していたロイだが、元来の好奇心は非常に強い。これから得るだろう苦労と自由に、ロイは楽しそうに笑みを浮かべた。



    ◆



 ロイが行動を開始したのと同時刻。城の一角、書類に埋もれたような部屋で、一人の男が叫んでいた。


「もう嫌だー!! こんな量の仕事が終わるもんかー!!」


 男の声に合わせて、書類の山がいくつか崩れた。だが、男はそれを気にも留めない。頭を抱えて、ブツブツと呟き始める。くすんだ金髪が指先へと絡まるのにも気が付かない。


「ちくしょう、このままでは死んでしまう。私の魔力が尽きるのが先か、書類に埋もれて窒息死するかだ。ははっ、どっちも最低な死に方だ。墓には『書類に追われて死亡』と書かれるだろうな」


 虚ろな目で笑みを浮かべる男の前で、部屋の扉が開く。入って来たのは赤毛の少女だ。パンとスープの載った盆を手に持っている。


「師匠ー、なに騒いでるんすか? 廊下まで響いてたっすよ。あ、これ夜食っす」


 少女に師匠と呼ばれた男が顔を上げる。少女を視界に収めてはいるが、微妙に焦点が合っていない。


「これが騒がずにいられるかっ! 見ろアニス! この量の書類が後2日で写し終わる訳がないだろう!」


 師匠と呼んだ男の言葉に、アニスは室内を見渡して引き攣った顔をした。


「……確かに、これは無理っすねー。室長には言ったんすか?」


「言ったとも。何て言われたか分かるか? 『必要ならばやるしかないだろう』だ! ああ、そうだろうとも! 必要なら、人は素手で翼竜も倒せるんだろうさっ!」


 荒れてるっすねー、とアニスは内心で思いながらも、師匠を元気付けるために言葉を作った。


「仕事の量は、師匠が期待されてる証拠っすよ。師匠と同じくらい“転写”の魔術が使える人は、他にいないっすからねー」


 そう言いながら、アニスは自分の師匠のために夜食を並べた。


「どうぞ、スープはお代わりもあるっすよ」


「むう……。いただこう」


 遅くまで働いていて空腹だったのか、男は大口を開けてパンへとかぶり付いた。苛立ちを誤魔化すように乱暴に咀嚼する。


 男の名はハウエル。光の精霊との高い親和性を持つ人物だ。得意とする魔術は“転写”と呼ばれるもの。自らが見た光景を、特別な紙へと焼き付ける魔術だ。今はその能力を、書類の写しへと使っている。


 パンをスープで喉へ流し込んで、ハウエルは愚痴を吐き出す。


「だいたい、こんな仕事は人でも雇って済ませればいいのだ。なぜ、私にばかり振ってくる……」


 ハウエルの愚痴に、アニスは困ったように応えた。


「うーん、『機密情報を知っている者は、少なければ少ない方がいい』らしいっすよ」


「……それくらいは分かっている」


 顔を顰めながら、ハウエルはそう言った。


 だが、それでも愚痴が止まらないくらいには、ハウエルの仕事は多かった。原因は、皇帝の代替わりに伴う貴族の粛清だ。


 いかに皇帝とはいえ、証拠もなしに貴族を裁くことはできない。そこで明確な証拠を押さえるために、ハウエルはあちらこちらに引っ張られている。


 ハウエルの“転写”の魔術は、ただハウエルの見た光景を写すものだ。そこに加工の余地はない。不正の現場を視界に収めて“転写”すれば、貴族はその件について、皇帝へと釈明をする必要がある。


 あとは若き皇帝の、『疚しいことがないのならば、屋敷を調べても構わないな?』という言葉で、貴族の家捜しまでは行える。最終的に騎士団が突入して、大体は解決だ。


 そして、押収された証拠の書類は、これまたハウエルが“転写”を行っている。膨大な書類の中には、尻尾を出さなかった貴族たちへと繋がるものも存在するのだ。

 そのため、貴族側としても、証拠を隠滅しようと暗躍している。不自然な小火が発生したことも一度や二度ではない。ハウエルが”転写”した書類は、万が一の場合の保険だ。


 人を増やして書類を写すことになれば、貴族の息がかかった者が証拠を破棄する隙を与えてしまう。

 証拠を確実に守るために、ハウエルの負担は増大している状況だ。


 そして、そんなハウエルだが、実際限界だった。


 元から精神的に強い訳ではない彼は、突き付けられる貴族の陰惨な行動と、多すぎる業務に、心に甚大なダメージを受けていたのである。


 スープの皿へと口を付け、最後まで飲み干したハウエルは、回り始めた頭でこう決めた。


「よし! 逃げよう!」


 あまりにも清々しい表情で言われた言葉に、アニスはたっぷり数秒固まった。


「…………へ?」


 アニスの様子に構わずに、ハウエルはテンションを上げていく。


「このまま書類に埋もれて死ぬなんて御免だっ。私はそんなことのために生きている訳ではない! そうだ! 私はっ、帝都を離れて静かに暮らす!」


 ハウエルの様子を見て、アニスは呆然と呟いた。


「……やばい。師匠が壊れたっす」


 その呟きも耳に入らない様子で、ハウエルはアニスへと話し掛ける。


「アニス! 帝都からなるべく離れた場所に行くぞ! 旅の準備だ!」


「いや……。いやいやいや。ついこの間も下町に隠れたの見つかったじゃないっすか。他の街に行っても、すぐに見つかるっすよ」


 アニスの言葉に、ハウエルは得意げに机の引き出しから本を取り出した。振動で崩れていく書類を無視して、アニスの鼻先へと突き付ける。


「大丈夫だ! 別な都市や街へと身を隠すつもりはないっ!」


 ハウエルの迫力と、顔に近すぎる本に、アニスは少し身を引いた。やっと本の題名が読めるようになる。


「えーと、『森で生きよう ~これであなたものんびり生活~』? あ~……師匠? この本の作者、聞いたこともない人っすけど、大丈夫っすか? というか、本気っすか?」


 アニスの問いに、ハウエルは満面の笑みだ。


「もちろん本気だ。いいか、アニス。世の中、死ぬ気でやれば何でもできるものだ」


「……いやあ、本気で死ぬんじゃないっすかねー」


 アニスの半眼にも、ハウエルは気にした様子がない。


「ちなみに、どうやって帝都を離れるつもりなんすか? どう移動するにしても、途中で見つかると思うっすよ」


 アニスの言葉に、ハウエルは胸を張る。


「ふははっ、それならば問題ない」


「はあ……?」


 首を傾げるアニスの前で、ハウエルは魔術の詠唱を開始した。


「――――、―――-『精霊よ、我が身を隠せ』」


 アニスの見ている前でハウエルの姿が歪み、そして消えた。アニスの目には、崩れた書類の山だけが見える。


「おおー、師匠が消えたっす!」


 アニスの驚嘆の声に、透明になったハウエルが話し出す。


「ふふふ、見たか。これが新しく開発した魔術だ。光を屈折させて姿を消す。これで移動中に捕まる心配もない!」


「見えないっすけど、すごいっす!」


 インパクトの強い魔術に、弟子であるアニスもテンションが上がった。


「アニスにも覚えてもらえば、持続時間も問題なしだ。『解除』」


 室内の景色が再び歪み、ハウエルが姿を見せた。


 ハウエルと同じく、アニスの魔術適性も光属性だ。希少な適性持ち同士であるために、アニスはハウエルへと預けられているのだ。


「教えてくれるなら嬉しいっす。けど……」


 ふと沸いた疑問を、アニスは自分の師へとぶつけてみた。


「その魔術、変なことには使ってないっすよね……?」


 覗きや盗難。透明化の魔術を使えば、犯罪行為は容易い。その問いにハウエルは、


「……変なことだと?」


 と首を捻って、良く分かっていない表情だ。その様子に師の善良さを見たアニスは、軽く頷きながら呟いた。


「……さすが師匠っすねー」


 ハウエルは、安堵したようなアニスの様子にしばらく首を傾げていたが、気を取り直して口を開いた。


「それではアニス! 仕事に追われなくても良い楽園へ、一緒に向かうぞ!」


 拳を振り上げるハウエルに、アニスは仕方ないなあと、困ったように微笑んだ。


「アタシは師匠の弟子っすからね。ついて行ってあげるっす」


 こうして2人は、とても軽く逃亡生活を開始した。


 貴人の失踪と併せて城内が騒がしくなるのは、夜が明けてしばらく経ってからになる。

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