34.だけど、もう一度

「そうだ、ようやく気づいたな」


 私は私にそう言った。


「何処にだっているさ。今ここにも、私の中にだって」


 私が私にそう繰り返す。


「私が見捨てたもの。視ておきながら読まなかった言葉。救われなかった言葉。それが私」


 手に力がこもる。私は自分の命こそ、憎むべき存在だと思っている。


「間違いだったのは、私だ。私が生き延びたこと、私が生きてしまったこと、私が助かってしまったこと。それは他の誰にも与えられなかったこと」


 ゆっくりと刃が私に迫ってくる。


「それは許されない。それは許してはいけない。救われなかった人、生きられなかった人、進めなかった命を見捨てることだ。そんな世界は、許されない」


 私が生きてきたことが間違いだった。あの時、死んでおかないといけなかった。

 どうして生きてしまったんだろう。どうして歩いてしまったんだろう。

 無意味に意味をばら撒いて、何かを救っている気になって、見捨てたものから目を逸らし続けた。


 そんなの、悪だ。

 だから、私は私を今度こそ殺さないと。


「ごめんなさい。今度こそ」


 そう、呟いて手が止まる。


「だめだよ。死なないと」「終わらないと」「もう欺瞞はやめないと」


 繰り返し自分に言い聞かせるのに、体は動かない。


「でも、先輩は信じるって言った」


 私の声がする。


「でも、東光院さんは信じるって言った」


 私の声が強まる。


「今の私が絶対じゃなくても、変わる私を信じると言った。今どうしようもなくても、それでも出来ることをやるように言われた。ただ、目の前のことを信じてやるように言った」

「それは欺瞞だ。救えない。救えないんだよ。何処まで行っても救えないことはある。お前はその矛盾を抱え続ける。苦しいじゃないか。辛かったじゃないか。毎回希望を見出すのはどうしようもなく嫌じゃないか。どれだけ私が願いを視ても、それを言葉に置き換えても世界は変わらないんだ。結局全てが無駄になっていく。師匠の話を聞いただろう。この世界の成り立ちを聞いただろう。全部無駄に終わるんだよ。流れは変わってくれないんだよ。私はもうそれを知っているんだよ。だからやめたいんじゃないか」

「だけど、信じるって言ってもらったんだ」


 刃を押し返す。


「榎音未さんも、言った」


 私の手が止まる。


「私を信じると言ってくれた。この事態の中心が榎音未さんでも構わない。榎音未さんが世界を憎んでいても、信じていなくても、今はどうだっていい。だって、そんなの私もわからないから。本当のことなんて、何処にもないかもしれないから。でも、榎音未さんはあの時私を信じてるって言ってくれたから。私はその言葉に、最後まで向き合いたい」

「また見落とすのか。喪うのか。取りこぼすのか」


 きっと、何度視ようとしても見落とすのだろう。気づききれないんだろう。

 私は完璧でないから。言葉が不完全である以上、それによって作られた私は不完全だから。


「それでも、今は榎音未さんの言葉を視ていたいと思うんだよ。私が始めた、私が榎音未さんを引き入れた。だから榎音未さんには最後まで、私が向き合わないとだめなんだ」

「たとえそれが裏切られても」

「裏切られても」

「たとえそれが、他の何かを見落とすことでも」

「見落とすことでも」


 それでも、私は視ることを諦めたくないと思う。だって、私が視てきたものは確かにあるのだろから。私が信じてきたものも確かにあるのだから。

 私を信じると言ってくれた人たちも、いるのだから。

 その言葉に、私は報いないといけない。私はその言葉を信じないといけない。

 私が変わることも、全部含めて信じると言われたのなら、私はその言葉を信じたい。それがあやふやな希望でも、次の瞬間に裏切られているようなことでも、どうしようもない現実が私の目の前にあったとしても、信じたい。


「ドッペルゲンガー、今の私になら、貴方が視えると思う」


 私は『瞳』を起動する。

 視線の先には確かに何もなかったはずだった。でも、違う。それは私が視なかったもの。視たいと思わなかったこと。

 私はもう一度思う。何度でも、それが私以外の人にとっての真実でなかったとしても思い続ける。

 世界は言葉で出来ている。

 だから、きっと視たくもない言葉がそこにある。

 私はこの世界に優しさを求めていて、救いを求めていて、それは絶望に終わった人にも存在するものだと信じたくて、ずっと言葉を読んできた。

 どんな《怪異》にも《異能》にも、救いに値する何かがあるのだと。

 私がそうやって視ることで助けられた、救えた何かもあると思う。それが誰かにとっての希望に息を吹き返させたこともあるのだと思う。

 でも、そうでない言葉もきっとある。私が価値を見出せない、希望を見出せない光のない言葉もあるはずだ。

 もしもそんな言葉で覆い隠された人がたくさんいるのなら、私はそれを視ないといけない。視ようと思う。

 体が震え出す。それまでの死の恐怖とは違う。自分の世界認識そのものが壊れるのではないかという恐怖。

 それでも、私は視ようと思った。この世界を視たいと思った。

 みんなは私を信じると言った。今の私が絶対じゃなくて、変わり続ける私を信じると言ってくれた。

 なら、きっとこうして視ようとする私をも信じてくれるはずだ。それが少しだけ、暖かくて、救われる。

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