33.わたしの視るもの
言葉に絶対的な意味はない。どんな言葉にも文脈があって、何かを愛する言葉が何かを憎む言葉になることだってある。
だから、どんな解釈だって出来る。絶望的な状況で、救いのない話でも、それを視る人が希望を見出そうと思えばそこに希望はあるのだろう。
だって、言葉に絶対的な意味なんてないのだから。
私は頬を伝うものを感じながら、存在しなくなったはずの右眼でねえさんの瞳を視る。
それが私が初めて『瞳』を使った瞬間、私に『瞳』が出来た時。
私の見ていた方向は確かにねえさんの方だったけど、あの時視たのはねえさんではなかったんだと私は思いだす。私が視たのは、ねえさんの瞳に映る自分で、私がそこから読んだのは現実とは似ても似つかない希望だった。
なぜ運命というものがあるのだろう。同じような状況で、救われる人もいれば救われない人もいる。きっと、人はそういう状況で運命を感じる。良い方にも、悪い方にも。
ねえさんは私みたいに何人も連れ込んで自前の地下室に連れ込んで、洗脳して殺していた。私はそのたくさんの犠牲者の一人だったし、ねえさんにとってもたくさんいる妹たちの一人だった。
ねえさんは必ず目をくり抜いて殺していて、その死体で地下室でいっぱいで、息をするのも辛いところにいた。
本当は最初から知っていたのに私は全部視ないようにした。自分は違うのだと信じてねえさんに愛想を振りまいた。ねえさんにとっての特別になったのなら、その子たちとは違う風になると思ったから。
私はそこで死んでいる人たちをねえさんと一緒に罵ったし、夜に眠れない時は少しでも匂いから遠ざけようと足で蹴って遠ざけた。それがいけないことであるというのは自分でも何処か気づいていたはずなのに、自分を困らせる存在だとそこに同じように眠る瞳のない子たちに対して私は思っていた。
私は違う。こんな風に冷たくなって、腐って死なない。
何度も誰に言い聞かせるように思う。あなたたちと私は違う。あなたたちと私は違う。あなたたたちと私は違う。
あなたたちみたいに、ねえさんの期待に沿えない頭の悪い人なんかじゃない。自分は違う。
私は違う。違うんです。
『違わない』
声がする。
『お前と同じだった』『自分はそんな風にならないと信じていた』『自分が生きていけることを』『幸せであり続けられることを』『目の前の不幸が嘘であることを』『我々は皆信じていた』『お前と同じだよ久遠』『嫌悪して』『嘲笑して』『見下して』『自分は綺麗な存在だと信じていた』
でも、そんな風に思うことも、自分を偽ることもそうやって偽り続けているうちにそれが自分の中で自然なことになっていくことも、他の子たちと何も変わらなかった。
この空間で人が腐るのは、死んだ後じゃなかった。死ぬずっとずっと前に、自分の内側から腐っていく。
私はすっかり性根が腐っていた。こんな地下室で生きることがお似合いな、どうしようもない存在になっていた。
同じ環境だった彼らを見下して、自分の清らかさを信じて、気づかなくちゃいけないことから簡単に目を逸らしていた。
そうして他の子たちと変わらない結末を迎えるはずだった。
誰かが救いにきたわけでもない。何か優れた力を持っていたはずでもない。
他の子供も生きたかっただろう。死にたくなかっただろう。誰だって、その恐怖とそこから逃れたい気持ちは同じだったはずだ。
そんなことずっとわかっていたはずなのに。
そして、そんなことから目を逸らしていたことは、忘れてはいけない愚かなことだと私は本当はわかっていたのに。
死にたくない――私は『瞳』を介して視た。私が生きていく言葉を。
使い方も知らなかった。そうであるのに私は私の視界の《言葉》の意味を理解する。
私が生きていくにはどうすればいいかを。その流れを理解する。その流れにそって体を動かしていく。
私はねえさんからナイフをまるで当然のように奪う。本来ならば力の差があって取れないはずなのに、ねえさんが力を込められなかった一瞬で私は奪い取る。
私はそこに無数の可能性を視た。
こんな風にならなかった可能性。私がこうしてこんな目に遭っていない可能性。ねえさんと私が本当の姉妹だった可能性。
どうして私は、そんな半端なものを視てしまったんだろう。
読んでしまったんだろう。
ナイフを振り下ろす。私の首を締め付けていたねえさんの手に突き刺さる。
「あああああああ!」
絶叫が聞こえるけれど、私はその声には反応しない。私は視え
続ける無数の言葉だけを読み続ける。
こうじゃない。こんな世界じゃない。私の生きているのは、生きてきたのはこんな世界じゃない。
こんな世界は何処にも存在しない。
こんな現実は何処にも存在しない。
こんな過去は何処にも存在しない。
だから、こんな目の前の世界は存在しない。
消さないといけない。
首から手が離れる。「どうして、どうして」という声がするけど、私はもう聞いていない。だって、もうこの光景は読んだのだ。私の中にある、そういう言葉を読んだのだ。
だから、もう私の動きに迷いはなかった。私の中でそれは終わったことであり、これから終わらせることだったから。
ナイフがねえさんの体にするり、と沈み込んでいく。
ああ、読んだ光景だなと思う。
そして、『瞳』が静止する。私の残った左目で現在の惨状が視える。
「久遠、どう、して……」
「あ、あああ……」
せめて、最後ぐらい今まで通り怒りのままに振る舞ってくれればよかったのに。
ねえさんは私に戸惑いの顔を向けたまま倒れていく。
瞳のない死体の群れが私の方に顔を向けている。私を視つめている。
私は何も変わらないはずだった。存在しない両目で私を見つめる死体たちと、私は何も変わらないはずだった。
それなのに、どうして私だけが『瞳』を手に入れてしまったのだろう。私は言葉を読んでしまったのだろう。
私が『視た』自分を構成する言葉には私の知らない私がいる。言葉が無数にあって、たくさんの未来と過去が私には存在している。
私はナイフに映る自分を再び視る。
私はそれを全て読むことができて、私は自分の好きな言葉を読むことが出来る。
『そしてお前が産まれた』『今のお前になった』『自分の出来事を特別であるように視て』『私たちを視なかった』『ずっと視なかった』『私たちは何も変わらなかったのに』『我々も、死にたくなかったのに』
声がする。
『なあもう一度聞くぞ』『お前はたくさんの《怪異》を視た』『たくさんの願いを視た』『多くの信仰を視た』『それは本当に綺麗なものだったか?『『瞳』『世界を構成する言葉を読むもの』『絶対的な言葉など存在しない』『この世界に絶対は存在しないのだから』
『ならば』
――――なぜお前が視た言葉が真実だなんて言える?
『鮫神』『口裂け女』『あらゆるお前が《言葉師》として視てきた言葉たち』『本当にお前がおもうような綺麗なものだったのか?』
「……」
『お前は視て、無視したんだ』『こぼれ落ちた物語を』『物語になり得なかった物語を』『お前は無視をした』『お前は掬い上げられる言葉だけを読み取った』
私はドッペルゲンガーが何かをもう気づいている。
『なぁ久遠』『ねえ、私』『本当は気づいているんでしょう?』
ドッペルゲンガーの口調が変わる。反射的に気持ちが悪いと思う。その声は、全く知らないようで、よく知っているような気がする特徴があったから。
『視えているつもりで、何も視ていなかった』『だからこんな事態になった』『全部私のせいなんだよ』
ナイフに映る私が私を視る。
『私はドッペルゲンガー、私自身が切り捨てた言葉であり、この世から救いとられなかった言葉の群れ』『何者でもない者の集合体』『救われなかった世界を構成する言葉の集合体』『我はドッペルゲンガー、お前の敵でありお前自身である存在』
私の目の前にいるのはねえさんじゃなかった。
私がいる場所も地下室ではなかった。
私は今、新王タワーにいる。
私の手は概念刀を握り、自分へ突き刺そうと刃を己に向けている。
「私はドッペルゲンガー、この世界の矛盾を許さないもの」
私はそう、呟いた。
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