25.幕間 暗闇の迫る世界の中で
箱使いと向き合いながら彼女はそう挑発をする。喋りながら、自分の持つ残存戦力について思考する。
抱えたボストンバックに敷き詰めた武器――弾薬、言符、近接用のナイフ等、彼女が持つ装備は万全とは言えないものの普段の任務が前提であれはそれは「充分である」と判断を下す程度には揃っていた。
しかし、今はその感覚からは程遠い。眼前の男には、不十分だと彼女は感じていた。
「全てはね、決まっているんですよ。予定通りです。私がここで足止めすることも、あなたと退治することも。それは別に悲しむことでもない。役割を真っ当出来るというのは喜ばしいことですよ。少なくとも、自分で決めた役割ならば」
不愉快だ。
直感的に彼女はそう思う。目の前の箱使いという存在に、ただ自分がこなすべき役割以上の否定感情が疼く。
「随分ペシミスティックなことを言うわね。世界を変えようとする割に、つまらない発想をする」
箱使いは笑う。それは嘲りだった。
「それは、あなただってそうだ。あなたはつまらない発想で、自らの役割から目を逸らして無駄な抵抗をしている。そんなものは、駄々を捏ねる子供でしかない」
それが開戦の合図だった。
流れるような動作で足回りに付けたホルスターからハンドガンを抜き、射撃を開始する。
そこに殺意による予備動作は無かった。彼女は自らの感情を制御し、ただ射撃のための権能と化した。
箱使いを確かに捉えた射線を弾丸が奔る。
しかし、箱使いはその場から微動だにしない。
カラン、カラン、と音が響く。
彼女の放った弾丸が、地面に落ちた音だった。
「私の《異能》はですね。箱を作り、そして箱と箱を繋げること、ただそれだけなんですよ。でも、それでこの世界というのは成立する」
フッと、照子の視界が暗くなる。
「一つ一つの箱をつなぐ。箱に入れる。それだけで無数の、ifの世界と繋ぐことが出来る。あなたを危機的状況に陥らせる世界とだって、簡単に繋げる――こんな風に」
その言葉を受け、彼女は即座に限定的な自らの《異能》の一部を起動する。
本来であれば逆辻照子の《未来視》は変えられない未来を映す。だが、彼女は十数秒先に限定して改変可能な未来を視る。
それは彼女にとって、幸か不幸か判断のつかないギフトだった。変えられる十数秒先の未来は、果たして大局でどれだけの変化となるのか? 大きな流れの川に小石を投げ込んでも流れが変わらないように、無意味な足掻きにしかならないということなのではないか?
そんな疑問を幾たびも持ったが、彼女はそれでも意図的にそこについての思考を閉ざした。
なぜなら、彼女は決めていたから。
十数秒先の未来が脳裏に過ぎる。
そこは箱の中だった。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ。
彼女を取り囲む蟲がいた。彼女に攻撃を仕掛ける敵がいた。
それらを視た。
彼女は何よりも早かった。ボストンバックを落とした瞬間には急加速でまだ何もない空間にナイフを突き立てた。現れた蟲がこの空間に生まれた瞬間に切断された、暗闇の中であるはずなのに、彼女は何も見ずに右手のナイフで蟲を切り裂き、左手のハンドガンで空中の蟲を撃ち落とす。
ナイフにもハンドガンにも、無数の言符が貼られていた。
「概念刀には及ばない。でも、この程度の空間はこれで切り裂ける」
《切断》という言符が貼られたナイフを地面に突き刺した。
暗闇が晴れる、先ほどと変わらぬ姿の箱使いが見える。
「やはりね。限定的には未来視も戦闘に使えるようですね」
「人の信じていることを無闇矢鱈に明かそうとするの、悪趣味だと思わない?」
「残念ながら既に知っておりますのでね。これは確認、と言ったところです」
言葉が途切れると共に箱使いの頭上に無数の箱が現れる。その箱が開いた刹那、箱から腕がずらり、と飛び出る。
その腕の一本一本に銃火器が握られていた。
「――ッ!」
一斉射撃が彼女に向かって行われる。
「何でもありじゃない……!」
回避行動は迅速かつ適切。しかし、それでは遅すぎる。狙いは彼女自身ではなかった。
彼女の持つボストンバック。その内に秘められたものは戦闘を継続するために必要な銃器一式。
何かに命中した音が響く。土埃が立ち込め、箱使いの視界が不明瞭になる。
それでも、僅かに煙る視界の中で煌めいたものを彼は見逃さない。
鈍る視界を打ち破るかのように銃の乱射音が鳴り響く。
その射線は確かに箱使いを捉えていた。しかし、それはやはり彼には命中しない。
直線的な攻撃は、彼が適切に箱を設置することで防がれる。何処かへ繋がった箱は彼に命中するはずだった射線上に配置され、その弾丸を何処かへと運んでしまう。
そして――その何処かは彼の支配下にある。
「まずいッ!」
照子が自らに《加速》と書かれた言符を貼り付け、その場から跳躍する。先ほどまで彼女がいた地点に無数の穴が生まれる。それは彼女が放った弾丸が箱を経由して帰ってきたものだった。
箱使いが攻撃に適切に対処する限り、それは彼女を容易に打ち滅ぼすカウンターだった、
「人には役割があります」
箱使いはそう告げる。
「それをやり遂げられるかどうかは個人の資質、そして運によるところが大きい。そして、あなたには運がない。あっさりと、生命線とも言える武器を失ってしまう」
視界が晴れた。
向かい合う二人。互いに殆ど無傷。だが、実質的な戦いの勝敗はもうほとんどついていた。
「理解に苦しむのですよね、あなたのその戦いっぷりは」
彼女自信の離脱がその時の限界だった。ボストンバックはあっさりと中身ごと破壊された。《言符》も数枚しか残っていない。
彼女の残存戦力は瞬く間に限りなくゼロへと近づいてしまう。
逆辻照子は脆弱な《異能者》で《言葉師》だ。
制約だらけの《異能》、桐野や久遠のように自ら言葉を紡ぎ何かを起こすことなど出来ない。事前に桐野が準備した《言符》を用いて事象を起こすだけの模造品。
本当のところ自分は《言葉師》なんて名乗れたものではないのかもしれない、そう逆辻照子は考える。
その思考と同時に、今自分のいる周囲の空間の異変を察知する。
「ねえ、貴方もそろそろ気づいているんじゃないですか。この周囲の状況を」
あたりは暗闇だった。時間からして、おかしな状況だった。まだ夜の闇には早すぎる。
そして、夜の闇にしてもその暗闇の先が何も見えないのはおかしい。
まるで、その闇に飲まれたら何もかもが存在しないような黒のベールにあたりが包まれている。
「これが貴方の異能と関係があるのかしら?」
「私は異能で協力しただけですよ。私と、ドッペルゲンガーの異能の掛け合わせ。それに鍵が加わればこういう事態は起こすことが出来る。
ドッペルゲンガーに取って代わってもらうのはね、第一段階に過ぎないんですよ。人の信仰が世界を成立させている。ですが、既にその人々はドッペルゲンガーに取って代わられている。そして鍵によってこの世界の土台自体が緩んでいる。この世界の箱と私が定義する。あとは世界のバランスをちょいと揺らしてしまえば――簡単にこの世界は壊れてしまう」
「……」
返事はしない。その言葉から照子は真意を読み解こうとしていた。榎音未唯愛の真意を。だが、それを推測するには箱使いの言葉は不足していた。
「私単体の異能では個人の範疇は抜け出せませんがね、でも、貴方にもこの書き換えの序章が見えているでしょう?」
確かに世界の書き換え、と言える様相だった。
彼女の見える世界が徐々に暗闇に飲まれていく。おそらく箱使いと照子の向かい合う直線も僅かな時間でその暗闇に飲まれてしまう。
「あんたたち、世界をどうしようっていうの?」
「簡単な話ですよ。作り直す。もっと、もっと優れた完璧に近いものにね」
「そんなものあるとは思えないけど」
「完璧が夢想であったとしても、それを目指さないのは怠惰なのでね。ねえ、逆辻照子さん、貴方も本当は戦う意味なんてないって思ってるんじゃないですか? このどうしようもない世界に失望しているんじゃないですか? もしも全てを変えられるのなら、貴方だってそれを信じたいんじゃないですか?」
世界の書き換え。その後に何が生まれるか、それは彼女にはわからない。
「ろくに会話をしたわけでもないのに人のことをよく知ったように言えるわね」
そう言葉を返す。
状況は芳しくない。
眼前の箱使いは未だ無傷。照子が放った弾丸は全て宙に現れた箱によって虚空へと消え、用意した《言符》はこれまでの攻防で瞬く間に消費した。
その結果は防戦一方、ただ決着がついていないだけ。そんな状況だった。
「いいえ。知ってしますとも。あの方から聞いていますので」
「あなたの上司と話したことなんてないけどね」
箱使いはその言葉を無視して話を続ける。
「あなたの異能は未来視。だが限定的だ。出来ることは二つ。
一つ、十数秒先の未来予測。あなたが干渉出来るのはこれだけ。
二つ、確定した未来を視る。そしてそれを誰にも伝えることは出来ず、変えることは出来ない。
お笑いだ。これが意味することはお分かりですか? あなたが変えられる範囲の未来は大局的には何の意味もない、些細なものということですよ。十数秒の未来を変えたとて、最終的に行き着く結末は同じだ。それは絶望だ。絶望でしょうよ。視えていながら何も変えられないのですから。力を持ちながら、何かを変えるには不足だと突きつけられるのですから。
変えられない未来ならいっそ見ない方が楽だというのに。一体どこまで視えているのです? この戦いの結末も既に視ているのでは? 茶番だとは思いませんか? 勝っても負けても、あなた何をしても、結果が変わらないのならば」
「塾長の知識が筒抜けなんだったわね、あのそっくりさんから」
その言葉を言い終わる前に彼女の眼前に箱が現れた。その箱から手が飛び出し、彼女の首を絞める。
箱使いはその場に立ったままだった。ただ、右腕が逆辻照子の眼前の箱とは別の箱に入っていた。空間を二つの宙に浮かぶ箱が繋いでいた。
「会話は相手の質問に答えるものですよ」
「会話ってのは……そうやって相手に強いる時点で会話じゃないのよ……」
「逆辻照子さん、私はね、不思議なんですよ。本当にね。本当に不思議なんですよ。なぜあなたが五葉塾の立場のままなのか」
少しだけ首にかかる力が緩む。まるで憐れむような手つきだった。
「だって、あなたも絶望しているでしょう。この世界に。いや、あなたの場合は未来にというべきか」
箱使いの瞳が見える。その瞳は心底哀れなものを見るようだった。
「私はね、この《異能》に気づいた時嬉しかったんですよ。昔は手品師をしていましてね。箱の中からの脱出マジックとかもやっていましたよ。脱出する時に人々が無我夢中で箱を見る様を私は逆に見つめていました。その心は何なのだろうかと考えながら。
私にとって世界は全て箱だった。人は誰もが開いて見るまではわからないびっくり箱で、一つ一つがミステリーを秘めていて、全てが奇跡的な存在だと信じていたんです。そしてそれが叶ったのだと。この《異能》を自覚したとき、私は確かに世界と接続したのを実感しました。自らが世界の中心だと心の底から信じることが出来た。何か自分は特別な存在なのだと、思うことができた。何かが、自分の中で燻っていたものを一変させることが出来るのだと思った」
「……」
「箱の中からは見たことのないものが出てきましたよ。知らない花、知らない動物、知らない蟲、きっと様々な並行世界と繋がっているのだと思いました。だから、何かを変えられないわけがないと思った。
でも、次第に絶望しました。箱には何でもあるようで、何もなかった。私が何を取り出してもこの世界は変わらない。私の箱で変えられるほど、この世界は脆くなかった。そして、この世界自体が大きな目的のための箱庭だった」
「……」
「逆辻さん、あなたにもわかるはずだ。未来が視えて、それが変えられないあなたには。未来の奴隷でしかないあなたには。人と異なるだけでは世界も変えられず、世界に飲まれていく怒りが、悲しみが」
箱使いの身振りは更に大きくなる。かつて人に何かを披露していた名残なのかもしれなかった。
箱使いも彼女も足元は闇につつまれ始めていた。もう世界はその形を保っていることが困難な状況だった。
世界の書き換えは進行していた。
あとわずかで新王タワー以外の空間は存在を保てなくなるようだった。世界を作り変える前に、これまでの世界はすべてかき消えてしまうのかもしれなかった。
「もうすぐ全てがリセットされる! 大きな不信が世界をつつめば、その中での信仰はより強いものとなる。そして、そこから生まれる異能者もまた、それに見合うものになる。我々のような半端者ではなく、確かに世界を救うであろう異端者を生み出すための世界に生まれ変わる。
そしてあなたの異能もリセットされる。世界の根本が変わる。あなたの視ていた未来は不確定になる。心が躍りませんか? 胸が空くような気持ちになりませんか? 強いられた不条理をひっくり返す爽快感がありませんか?
そのための準備は既に整った。世界はどうしようもなく不安定になり、やがて終わりは始まる。
ドッペルゲンガーの拡張は完了しました。計画は進んでいる。あとは時を待つだけだ。
もうすぐ、透明な我々の復讐は完遂される」
首を絞める手が離される。
「私はここでの勝敗になど拘っていない。勝ち負けなど、どちらにしても関係ないのですから。
――それよりも」
箱使いの手が逆辻照子の前へと差し出された。
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