26.幕間 見通せない未来

 差し出された手を見て、彼女は怪訝な顔をする。意図が読めなかった。


「何のつもり?」

「簡単なことですよ。和解しましょう。我々と手を組みましょう」

「本気で言っている?」

「本気か聞きたいのは私ですよ。

 なぜ変えられない未来を視て起きながらその組織に身を置くのか。

 本当のところ、あなたはむしろこちら側なのではないですか? 変わらない世界を憎み、復讐をしてしまいたいという我々と。ただ、《異能》という何者かになってしまう呪いをかけられてしまっただけのあなたは」

「……」


 無数の過去が照子の脳裏を過った。その殆どは暗闇を彷彿とさせた。何も見えない暗闇で、ただ一人放り出される感覚。ただ冷たく、寒い。そんな過去だ。そして、そんな世界こそが彼女の生きてきた世界だった。


 その手へと、彼女は手を伸ばす。



※※※


「何か言ったらどうだ」


《修正屋》の言葉が耳に届いた時、未来への諦め以外の衝動が彼女を動かした。


 反射的だった。なぜそうしてしまったのか、理屈ではうまく答えが出せなかった。

 ただ、そのまま終わることが嫌だった。

 全身が、そのまま終わりを受け入れることを拒絶した。そこには正当性も思想も理想も存在しなかった。


「嫌だ」


 照子は視線を上げた。

 そして、視た。

 直後、パァン! という音がする。


「ああ!?なんで投げちゃったんですか!? 桐野が張り込みで飲もうと思っていたマウントレーニア!? なんで!?」

「なんでって、そりゃ止めるために投げるでしょ……手元にあったんだから」 


 刹那の時だった。突然の出来事の中、照子の頬は涙で濡れていた。

 何が起こったのか、そう呆然とする《修正屋》の瞳を照子は見ていた。

 それは、確かに視た未来だった。照子が視線を上げた瞬間に、自分で視た未来だった。

 視る、と決めた未来だった。

 決めるその時まで、知らなかった未来だった。

 

 それからのことは自動的に進行しているようだった。自分よりもわずかに年上のような外見の少女が自分にあれこれ質問をしてきた。

 照子はあまりにも非現実的なことが連続したためか、それとも自分が視た未来から何かを感じ取ったのか、自分の知っていることを話せることだけ全て話した。

 未来が視えること。

 視ると決めたこと。

 まだ視えていない未来があったこと。


「ふんふん、面白い《異能》ですねえ、いや、生きづらいでしょうね。こうして《異能》を知り、扱うことが出来る桐野にもその未来を話せないんですから」


 後に五葉塾の塾長代理と知る、桐野は話を聞いてそう言った。

 その言葉は少し前までの照子にとっては事実だったかもしれない。視えてしまった未来は変わらない、覆せない。


「何で信じられるの?」

「貴方がそういうのなら、まずはそれに全力で乗りますよ桐野は。この世にはね、信じないことには始まらない物事というのがあるんですよ」

「私は、私が視えていないものを視たい」


 その声はもう少女のものではなかった。六歳にして彼女の骨子は確立された。それは悲劇かもしれない、哀れに思う人もいるかもしれない。

 そうならざるを得なかったとも言えるかもしれない。

 それでも、照子にとってはそうではなかった。

 視てしまった未来は変えられない。それが照子にとって《信じてしまっている》ことだった。全ての《異能者》が信じたいことだけを信じているわけではない。否応がなく、自らの気持ちに関わらず《信じてしまう》ことがある。


「信じること、で世界が出来ていると言ったらあなたはどう思いますか? 逆辻さん」


 それは理不尽だと思った。残酷だと思った。

 信じたいものを信じれる人にとってはそれは救いかもしれない。それでも信じたくもないことを、それでも否定出来ない人もいて、それが自分だと照子は理解していたから。


「その世界はきっと、寂しいと思う」


 誰もが何かを信じている。そして、その《信仰》がはみ出してしまった者が《異能》を得る。

きっと、全ての《異能者》は決して人と相容れない《信仰》を持っている。分かち合えないものに呪われている。


「それでも、私は諦めたくない」


 生きていればきっと必ず自分の視た未来へ辿り着く。《異能》のもたらした制約は照子を縛り、孤独が蝕んでいく。

 それは決められた未来なのかもしれなかった。

 でも、終わりが視えていても、その過程であるはずの無数の未来を自分はまだ視ていないのだ。

 自分で決めて、顔を上げるまで視えなかった未来のように。そうしてたどり着いた今のように。

 視えた未来へ辿り着くまで、自分の心だけはわからなかった。そしてそれだけはまだ未確定なのだと照子は理解した。


 だから、歩くと決めた。

 そして、彼女は出会った。

 逆辻照子が十歳の頃だった。彼女は自分にとっての後輩と出会う。


 その少女は今にも死にそうな顔をしていた。衰弱しきっていた。そして、血に汚れていた。

 地下室に幽閉されていて、光を知らず、ただ偏った世界の情報だけを与えられていた子だった。

 自らその幽閉された空間から出てきて、言葉にならない叫びを上げて助けを求めたのだ。

 周囲の大人が大慌てで治療などに駆け回っている中、不思議なほど照子の心は静かだった。


 たまたま照子が五葉塾にいたのは偶然ではなかった。その出会い自体は視ていなくても、この日、五葉塾にいる自分をかつて視ていたから。

 その少女は自らの苗字も知らなかった。ただ、生存本能だけで世界から隔絶された空間から逃げてきていた。

 横たわりながら、一言も発さないと思えば、突如として絶叫し、暴れ、自分自身の顔を殴っていた。自らを罰するかのような光景は異様だった。大人たちはむしろその光景を恐れていたのだろう。ただひたすらに少女の手足を押さえつけるようにして、事態の収束を図っていた。

 手足が拘束され、ようやく照子にその少女の瞳が見えた。


 少女の右目は空洞だった。


 エゴだと思った。自分は傲慢な行いをしようとしていると思った。だが、その少女の様子を見て、かつての自分が未来を視た時の絶望を連想した。

 余白の無い未来は、何も視えないことと同義だったから。その欠けた瞳、欠けている世界を視る少女に逆辻照子は確かなシンパシーを見出した。


 大人たちの間を縫って、少女へ近づいた。

 本人には自覚がなかったが、それは後に彼女が制御下に置くもう一つの限定的な《未来視》であり、十数秒先の未来を視てその動作は実行されていた。

 止めようとする大人たちのどんな動きも彼女の予知の範囲だった。それらは決して彼女を阻むことがなかった。

 その少女と出会う未来も視えていた。ただ、自分の心だけはその瞬間まで視えていなかった。

 視えていたのは情景で、そこに至った時の自分は不足していた。

 そしてその時、照子にとって不足していた自分というピースがその情景に備わった。


 自分と同じだと思った。何が起きたのかも、さっきまでその少女のことを知りもしなかったのに、直感的に理解した。その少女もまた、きっと自らの完全な世界を喪失したのだとわかっていた。

 だから手を伸ばした。それは何の助けにもならなかったかもしれない。それでも、この世界の永遠にも感じる絶対的な孤独に寄り添いたいと思った。

 過去の自分を救いたいだけだ、と自分の何処かで自分を嗤う声がした。

 それはただ自分が寄り添っているという自己満足でその少女の味わってきたものとは別だと訴える声がした。

 あらゆる否定の声がした。

 それでも、構わないと思った。それがもしも罪だったのならば背負う覚悟が彼女には出来ていた。

 手を伸ばし、その手を握った。


※※※


「私はね、もうあいつの手を握ったのよ。誰かと手を繋ぐのは、それでおしまい」


 不意に力が増し差し出された手をひねり上げる。


「ぐっ……!」


 即座に手を振り払われ、箱に手が戻る。

 痛みに苦悶する箱使いの顔を見つめながら、逆辻照子は告げる。


「私は諦めない。だってまだ、あいつの未来は視えていないから。だったらあいつに生き様ぐらい実践して教えてやらないと」


 逆辻照子は視えてしまった未来を信じたくなくても信じている。

 それは直感で、確信で、衝動で、絶対的な彼女の理だった。世界の未来を信じてしまうということ、それは彼女にとっての世界の限界だった。自分程度の柔な存在に、見通されてしまう世界への失望だった。

 だから、それは希望だった。自らで見通せない未来の存在が。自分では規定できない、混沌とした、それでいて自分の干渉がある未来。

 その未定の未来に立ち会う可能性に、彼女は賭けていた。

 そう、それだけは自ら決めて、信じていた。生きてきていた。『視えていない未来』があるということに。


 最後の攻撃が、始まる。

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