20.まだ何も聞いていない
言葉のなくなった部屋の様子を察したのか、師匠が不自然なくらいに表情を明るくして言葉を発する。
「逆辻さんと久遠さんには難しい話でしたね。まっ、気にしないでください。それよりも目の前のこの騒動ですよね~どう解決したものか」
まるで茶化されているようで、私の心がざらつく。
「それ、意味あるんですか」
思わず口をついて出る。
師匠と、師匠とそっくりの同じ存在、箱使い、ドッペルゲンガー、どれも私にとってどれだけ関係があって、関係がない存在なんだろう。
「だって、それ、師匠も師匠のそっくりさんも、結果的には同じことをめざしてるんですよね? 世界の終わりを何とかするっていう」
「結果としてはそうですね」
「それで、その世界の終わり云々ってこう、今の私たちが生きてる世界? が滅んで、また生まれて、が五回繰り返した後なんですよね」
「そうですね」
「私たちが頑張るかどうかで変わることなんてあるんですか? 私たちが、付き合う必要なんてあるんですか?」
「……」
その時、師匠の表情に翳りが出たような気がする。
「久遠」
先輩に袖を掴まれる。顔を見ると私を嗜めるような、それでいて悲しむような顔だ。
「今は榎音未さんを助けることだけ考えなさい。世界がどうとかの話になって動揺しているのは私もだけど、少なくとも今は」
「そうかもしれないですけど……」
「いい? 混乱はわかる。どうしようもない気持ちになるのもわかる。でも、私たちがそもそもここに避難してきたのは別問題。榎音未さんが攫われて、私たちが町中から攻撃されて逃げ込んだ。その裏で塾長のそっくりさんとか、この世界についての話があったけど、私たちの話とは別よ。少なくとも今は。今、私たちが考えるのは榎音未さんを助けること、この事態を何とかすること」
先輩が師匠の方を向いて、宣言するように言う。
「塾長、私にははっきり言ってさっきの話は規模が大きすぎてサッパリです。けど、榎音未さんが攫われたのは私にも責任があるので対応します。それ以上は、後でゆっくり考えます。それについて力を貸してください。それから先は、私たちで勝手に決めます。それでいいですね?」
「構いませんよ。桐野も状況で説明しただけなので。榎音未さんを助けることについてはもちろん協力します」
「久遠、榎音未さんについてさっきの奴らが言ったことは一旦全部無視しなさい」
「でも……」
「でももだっても、ないの。いい? 確かにさっきの奴らの言ったこととか、塾長が言ったことは本当かもしれない。私たちでどうにもならない話かもしれない。でも、榎音未さんが何を考えているかはまだ誰にも説明されてないの。いい、ゼロなの? 私たちの今の目的についての情報はゼロ。あちら側が勝手な都合を喋って、それに釣られて塾長が世界について話して、でも、それだけよ。榎音未さんの意向について私たちは何も知れてない」
「……」
「榎音未さんとの縁を作ったのは久遠、あなたよ。それはね、あなたに責任があることなの。あなたが背負わないといけない責任なの。世界も、機構も、全部どうだっていいわよ、そんなの。それに比べたら、紙屑みたいなものよ。他の全ては関係ないかもしれないけど、それだけは自分で見て、自分で考えて、自分で決めなさい」
先輩が私も真っ直ぐに見て、そう告げる。
その言葉の厳しさと、その中の切実な何かを私は感じる。それはまるで暗雲の中で一筋の光が過ぎるような、そんな言葉。
たくさんの疑問と疑惑が私の中で渦巻いている。それは台風のようなもので私の心を常に荒らしていて、私は微かな希望に縋りついて凌ぐしかない。
まだ何も納得していない。まだ何も解決していない。そして、私に出来ることはきっと大したことではないのだろう。
でも、榎音未さんにもまだ何も聞いていない。
鮫神の件で出会った榎音未さん、口裂け女の事件で私を信じると言ってくれた榎音未さん、私に勉強を教えてくれると言った榎音未さん、世界を信じていないかもしれない榎音未さん。
全てが本当のようで、全てが嘘のように思える。
だけど、だからもう一度だけ。
先輩を見つめて、頷く。そして私は師匠へと視線を向ける。視界の端で先輩が少しだけ微笑んだ気がした。
「師匠。私たちはこれからどうすれば榎音未さんを取り戻せますか」
榎音未さんを助けて、話をする。何かを諦めるのも、何かを決めるのはそれからでも遅くないはずだ。
「そうですね。桐野の想像できる範疇で考えていきましょうか」
師匠がそう返す。これからのことを考えなくてはいけない。
全ては、それからのはずだ。
そう考えながら、私の中で囁く声がする。私はその声を聞かないふりをする。
もし。
もし榎音未さんが本当に何もかも信じていなかったら私はどうしたらいいんだろう?
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