19.スクラップアンドビルド
一方的な宣言だった。一方的な言葉だった。何一つ、私にとって理解し難い内容だった。
『それでは失礼します。さて、皆さん。目を逸らしていた箱が開くのは、もうすぐですよ』
そして、切断。
電話が切れた後に訪れた静寂の時間は私の困惑を一層に深くする。
「まったく、勝手な話ですね」
師匠がそう呟いて椅子に深くもたれかかる。
「どういうことなんですか。さっきの師匠のそっくりさんも、あの連中も、榎音未さんが鍵って、全部説明してくださいよ」
「残念ながら、全部は言えないんですよ。聞かれているから」
「聞かれている?」
先輩が訝しげな顔で繰り返す。
師匠はそれに、答えない。
「まぁ、しゃべっても問題ないことは話してしまいますか。知るべきことを知らないと、何も考えられないですものね。さっきの桐野のそっくりさんとは厄介な関係でしてね。桐野が知ってること、考えていること、それらは全て漏れちゃうんですよね」
「師匠がここからほとんど出ないのも、それが理由ですか」
私は聞く。師匠は自ら任務に出ることはない。《怪異》が現れても、塾長室にただ一人残っている。ただ一人で、ここにいる。
そして、静寂。
息が詰まる。私は、自分で発した言葉なのにその質問の答えを聞きたくないと思った。
「逆辻さん、久遠さん」師匠が言う。「桐野はね、機構なんですよ」
「機構……って、どういうことですか」
私が知ろうとしていなかったこと、考えようとしなかったこと。
視て、いなかったこと。
「この世界にセットされた、この世界をある種の方向に導くための。長い長い時間をかけて、少しずつ世界の調整をしている。それが、桐野の役割です」
箱使いは言った。目を逸らしていた箱が開くのはもうすぐと。
「調整というのは、《怪異》を処理することですか」
これは、私にとっての一つの箱なんじゃないか?
「それもありますね」
「私たち《異能者》を集めているのもその一環ですか」
パンドラの箱、あらゆる災いの詰まった箱。そんなものを、パンドラは開けてしまう。どうしても、開けたかったから。きっと、開けないといけないという衝動があったから。
「そうですね」
「五葉塾はその調整のための組織ですか?」
今の私には、その気持ちがわかる。
「そのための組織です」
「調整して、何がしたいんですか」
私は、今、開けてはいけない箱を開けている。
「この世界の終わりを乗り越えること」
「世界の終わりとは?」
「この世界の行き止まり。強制的な断絶。あらゆる存在を根こそぎ消滅させる存在がやってくること。この世の知覚では認識できない理の存在」
「それは《怪異》ということですか?」
「いいえ。《怪異》は限られた人間しか知覚できないだけで、概念としては認識できます。世界の終わりは決して知覚出来ないもの。この世界に定められた終わりといってもいい」
「それはいつくるんですか?」
「あと五周ってところですかね」
師匠が私たちを見つめて言う。
「現在の文明と呼ばれるもの、生態系が壊れて、作り直される、その繰り返しが五回ほどあった後です」
「え……」
そんなの、途方もなさすぎる。私にとってどう実感を持てばいいのかもわからない言葉に何も言えなくなる。目の前の師匠と交わしている言葉の認識が同じものなのかもわからない。
それはシステムで、私たちは部品だった。
そのシステムが算出する結果を知らないままに、稼働し続ける部品が私だ。きっと様々な《異能者》がその中で生きて、死んでいった。
何かが変わると、漠然と信じていた。
全てに意味があるのだと、信じたかった。
ねえさんに救われたこと、ねえさんが死んでしまったこと、私が『瞳』を手に入れたこと、《言葉師》となったこと、五葉塾の任務をこなすこと。その一つ一つが、何かの意味を持っているという感覚、それが今損なわれたという気持ちがある。
そして喪失してしまったその感覚こそ私をこれまで動かしていたのだということを、不意に理解してしまっている。
何をしても、私が何を信じても、信じなくても、大きなが流れの前にはきっと意味がない。
それぐらい、師匠が見ている『世界』は大きすぎて、私は小さすぎる。
じゃあ、と私は考える。考えてはダメだ、と思うけど、その思考は止められない。
じゃあ、私がいてもいなくても同じなんじゃないか?
「でも、本当に今の世界……というか、人類?が滅ぶかなんてわからなくないですか? 私たちが死んで、その後も人間が生きていって、五葉塾も続いていって、師匠が言ってる五周とかないんじゃないですか? 文明がどのくらいで滅びるかなんてわからなくないですか? 五周って、まるで滅んで作り直すのが当然みたいのって、おかしくないですか? そんなの、わからない。わからないじゃないですか!」
声が震えているのがわかる。私は怯えている。私の足元が揺らいでいるから。私の信じていること、信じたいことが揺らいでいるから。
きっと私はこの世界の悲しみが消えないであろうことに耐えられない。
誰かが何かを信じることが、悲しみに繋がることが耐えられない。
ねえさんが、榎音未さんが、鮫神が、口裂け女が、たくさんの《信じること》が、すべて無駄に終わることが耐えられない。
私が決めたこと。私が信じたこと。この世界の悲しみがいつか消えてくれること。
きっと、目の前のことを解決していくことが悲しみを消すことに繋がっていると信じていた。信じたかった。
でも、師匠の話はそれが全て無駄であるように思えてしまう。
生まれて、死んで、その中でたくさんの悲しみがあって、この世界から悲しみは消えなくて。
それは世界の終わりへ向けた何かのためにずっと続いていて。
貧富も、差別も、争いも、虐待も、苦痛も、悲しみも消えてくれない。
そんなの、救いがない。
みんな生まれて、何かを信じて、生きていって、争って、憎んで、恨んで、呪っていって。
みんな死ぬ。死んでいく。
だから、そんな悲しみが続くなんて、信じたくない。
「桐野はね、視てきたんですよ。久遠さん」
部屋の空間が変わる。私と先輩の頭の中に直接流れ込んでくるようなイメージがある。
師匠が見てきたものを、私たちの脳裏に投影していた。
そこには、争いがあった。個人と個人で、家族と家族で、友達と友達で、組織と組織で、国と国で。
素手で、棍棒で、剣で、ナイフで、銃で、戦車で、戦闘機で、ミサイルで、核で、私の知らないあらゆる未来の手段で。
命が命を妬んで、妬まれて、憎んで、憎まれて、呪って、呪われて、殺して、殺されて。
世界中が戦って、そして滅んでいく。それが繰り返されていく。あらゆる生命が闘争を重ねて、そして滅んでいくイメージ。
世界は、何度だって壊れていた。
世界は、何度だって生まれていた。
そうして永遠のように続くスクラップアンドビルド、その中の何でもない一回が、私たちの生きる世界、この箱庭。
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