18.宣戦布告

 ベルが鳴るのを聴きながら、私は自分のスマートフォンを確認する。師匠の結界は空間ごと切り離す類のもので、電波は入っていない。きっと、通常の電話であっても繋がることはないだろう。


「さて、誰からの連絡でしょうね」


 そう言って師匠が受話器を取る。

 聞こえてきたその声は、受話器からではなく部屋全体に響くような声だった。


『お久しぶりです。三笠様』


 響く声は箱使いと名乗った者の声。師匠はその声を聞いて鼻で笑う。


「あなたに様づけされるような立場ではないと思いますがね。桐野、あなたのこと大して知りませんし」

『いえいえ。三笠様である以上、私にとってはそれは当然必要なことなのですよ。まったくもって恐悦至極』

「桐野にとってはどうでもいい話です。そんなことより、要件があってかけてきたのでしょう。どうやらウチで預かっていたはずの人もそちらにいるようですし。町もしっちゃかめっちゃかになってますし。桐野としては面倒極まりない。早いところ解決させてほしいものです」

『それはおかしいですね。いやぁ、本当におかしい』


 箱使いが笑う声がする。


『貴方にとっては願ったり叶ったりでしょう。そう、この状況自体待ち望んでいたものなんですから』

「そうやって桐野のやりたいことを勝手に解釈するから貴方たちはうんざりなんですよ。何回そちらを滅ぼせばわかってくれるんですかね」

『それは三笠様が求めた完成に届くまででしょう。三笠様が望んだ現状、三笠様が調整した世界なのですから』


 何を言っているのかわからない。師匠、塾長代理、三笠桐野、目の前に座る存在。三笠様が望んだ現状?


「ハァー、埒が開かないですね。もう代わってくださいよ。上の方に」

「もう来ている」


 突然のことだった。

 その部屋には私と先輩と師匠だけがいた、はずだった。誰もいなかったはずの空間に彼女は現れた。

 現れた存在の姿は少女だった。そしてその姿を私は見慣れていた。ずっと昔から、私はその姿を知っていた。


「おやまぁ、桐野が貼った結界によくそんな簡単に入ってきますねぇ。落ち込むんですが」

おまえが作ったものが私を拒むわけはない。おまえがいる場所に私が来ることに、何も問題はない」

「あーあー、身もふたもないこといいますねえ」

「なぜおまえは人の真似事などをしている」


 その少女は師匠と同じ顔で、声で、服装や話し方以外の何もかもが同じだった。


「はぁ。貴方は本当につまらないですね。桐野みたいにキャラ立ちさせて方がいいんじゃないですか」

「私たちにそんなものは不要のはずだ。おまえわたしは逸脱している。このような戯れをいつまで続けるつもりだ」

「残念ながら桐野はいつだって真剣ですので」

「ちょっと全然わけわかんないですよ。どうしてこの人、師匠と」


 疑問を口にしようとしたその時だった。


《平伏せ》


 それは言葉だった。私と先輩は叩きつけられるように倒れ、地面と縫い付けられるように身動きが取れない。師匠と同じ顔をした、同じ声をした存在が放った言葉によって私たちは支配されたのだと直感的に理解する。


「どうなってんのよ……これ」


 先輩もまた、動揺しながらも私と同じ理解に至ったのか、師匠と突然現れた存在を見上げならうめくように呟く。


「三笠さん、やめてもらえませんかね。ウチの子たちに手を出すのは」


 師匠が変わらない声のトーンでそう言った。三笠? 師匠を指す言葉と同じ名。二人の関係はなんなんだ? あまりにも突然のことに私の頭の中はとっちらかっている。それでも、目の前の状況は待ってくれない。

 空気が張り詰める。師匠もまた、普段と変わらない立ち振る舞いであるはずなのに纏う空気が変わっている。それは冷たく、殺意であるようだった。

 すると、相手側の空気が緩む。


「話し合いの邪魔になりそうだったから黙らさせただけだが」

「話し合い? 殺し合いにでも来たのかと」

「まさか、そんなこと無益だろう。私にとってもおまえにとっても」


《楽にしろ》《喋るな》


 その言葉と共に私と先輩を縛り付けていた重圧は消える。喋ろうにも声は出なかった。

 言葉による支配。

 それは私と先輩が師匠から教えられた《言葉師》としての技術、その上位の力だった。


「邪魔をするな。それだけで良い。もうこの世界は行き止まりになっている。定められた時までに、私もおまえ|もこの世界をより強くしなくてはいけないはずだ。あの女はそのための鍵だ。この世界の法則を壊し、より強くなるための」


 鍵? 榎音未さんのことを言っているのだろうか? 師匠はその言葉を聞いて大袈裟に「やれやれ」といったふうにわざとらしく手を広げている。


「残念ながら、見解の相違ですね。桐野は桐野で、自分の責務を全うしているので」

「ではどうする。ここで殺し合いでもするか? この子供の『瞳』を当てにしているのなら思い上がりもいいところだ。おまえがこの子供を自由にする前に私はこの子供を殺すことができる。存在自体、簡単に消すことができる。おまえにはわかるはずだ。私に出来ることはおまえにも出来るのだから」


 空気が張り詰める。私の『瞳』がなんだと言うのだろう。話の道筋が私には見えてこない。


「いいえ。お帰りいただこうかと。ええ、ただただ桐野はこうしてお願いするだけですよ。おまえもわかっているのでしょう。どうせこの話し合いで何かが変わることもなく、戦ったところで何も得られるものがないことに。我々がそういうものである、ということを」

「……私は世界を信じない。この不完全な世界を。私はこの世界を不信で塗り替える」


 やがて師匠と瓜二つであった三笠と呼ばれた存在の姿が消えていく。まるで最初からそこには何もなかったかのように。


「相変わらず仲良く出来ませんね。桐野みたいに少しは茶目っ気を持った方がいいんですがね。はいはい、やっぱりあいつの手の者だったわけですね、貴方も」

『ええ、でも貴方様も本当は気づいていたのでしょう。いえ、むしろ既にそうだと知っていたはずだ。何故なら貴方もまた三笠様なのですから』

「桐野を買い被りすぎですね。そんな全知全能ではないですよ」

『それでも私にとっては主人なのでね』

「それで? まさかただ主人の挨拶のためにかけてきたわけではないでしょう」

『そうですね。私は宣言に来ました』


 少しの間、箱使いが言葉を紡ぎ出す。


『我々はこの世界に穴を開く。この限界のある世界に穴を開く。僅かな揺らぎすら存在が出来なくなったこの世界に穴を開く。この世界は間違った信仰と結びついてしまった。この世界は間違った進化をしてしまった。不合理で、不条理で、不本意で、全てのものが呪われているこの世界に穴を開く。何者にもなれなかった、何処にもいない、何処にでもいる存在と、この世界の不信の鍵を持ってこの世界に穴を開ける。私は箱使いパンドラボックス。この世に混沌を蘇らせ、世界をあるべき方向へ進める者。禁忌に触れ、災厄の後に希望を残す者』


 一人であったはずの男の声が重なって響く。その声はもはや男だけの物ではなかった。男であり、女であり、少年であり、少女であり、老爺であり、老婆だった。

 突如として私の脳裏にイメージが浮かぶ。新王町の中心地、新王タワーの情景。タワーの頭上を渦巻く大きな穴のイメージ。そして塔の最上階に立つ、榎音未さんの姿。

 これは、何?


『これは宣言です。私が主人から受けた使命を全うすることの。そしてそれは同じく貴方にも宣言しなくてはいけない。これは私にとっての試練です。世界の不完全性を越すために、我々が成さねばならない試験。今宵、私はこの世界を生まれ変わらせる』

「だからこそ《我々》はお前を打ち倒す」


 再び、間近から声がした。

 いつからそこにいたのだろう。どうして気づかなかったのだろう。どうして見逃していたのだろう。すぐそばに、それはいた。

 私の正面、眼前に立つ透明な存在。顔のない存在、《怪異》ドッペルゲンガー。


「《我々》は透明な者、何処にもいない者。故に何者でもあり、何処にでもいる者。我はドッペルゲンガー、世界を信じることの出来なかった者、世界に救われなかった者。『瞳』の所持者、お前を殺す者」


 強烈な殺意に全身に震え上がる。明確な冷たい感情。『瞳』を使用した時に垣間見るもの。自らの存在を否定しようとする敵意そのものだった。


『貴方たちに伝えておきましょう。既に私とドッペルゲンガーはこの町を掌握しました。既に最終段階に入っている。あとは『鍵』によってこの世界の不信を解き放つだけです』


 ――ですが、と箱使いが言う。


『抑止力の存在は踏破しなくてはいけない。打ち倒さなければならない。乗り越えなければならない。貴方たち五葉塾、そして『瞳』の所持者。世界の根本を変えるためには貴方たちが邪魔だ。我々はそのために貴方たちに挑むのです。宣言するのです。

 鍵、榎音未唯愛を使って』

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