17.バランスについて
世界にはバランスがある。それは人々にとっての平等という意味のバランスではなくて、あらゆる犠牲を内包して形を保ち続ける力の釣り合いという意味でのバランスだ。
私たちが《怪異》を対象とした戦いに臨む理由。それはその歪なバランスを保つためのバランサー。私や先輩は、この世に害をもたらす《怪異》が現れればその場へ向かい『対処』する。
それは世界の《信仰》のバランスを保つということに他ならない。
行き過ぎてしまった《信じること》である《怪異》や《異能》を『対処』するということ。行きすぎた《信仰》を『正しい』総量に調整すること。
私は任務を繰り返す中でうっすらとねえさんのことを思い出す。
ねえさんがだめになった理由を考える。
でも、それについて直視してはいけない。たまによぎる残像のような記憶として閉まっておかないといけない。
だって、私は《言葉師》であり続けないといけないから。ねえさんの後を継いで、生きていかないといけないから。
そうじゃないと、ねえさんの人生の意味がわからなくなってしまうから。
私の考える、ねえさんの人生の意味がおかしくなってしまうから。
辻褄が、合わなくなってしまうから。
だから、嬉しかった。私が誰かを、ねえさんのように救えたのならきっとそれは意味が続いているということだから。
無駄なことなんて、無駄な生も死も、存在しないと信じることが出来るから。
榎音未さんを救えた時、救ったと思った時、あの手を差し伸べた時。真似事の言葉を言った時。
――あなたは怪物なんかじゃない。
だから、きっと私は、榎音未さんではなくて、自分を救っていたのだ。
▲▲▲
「なぜ、榎音未さんの周りには《怪異》が生じるのでしょう」
師匠の言葉には私は何も言わない。言えない。
言いたくない。
「バランスがおかしくなっている」
先輩が私の言葉を待たずに言う。
私も先輩も、師匠の言っている意味は理解していて、だからそれは私が言わなかった答えだ。
世界は均衡を保ち存在している。天秤の片方の秤が《信じること》もう片方の秤が《信じないこと》。それは本来釣り合いを保つようになっているけれど、時にそのバランスを狂わせるような物が現れる。《信じること》の秤に傾く時、すなわち《怪異》や《異能者》の存在が生まれ落ちる時。
その時、世界もまたバランスを保とうとする。
もしもその《信仰》が時間経過と共に薄れていくようならば、問題はない。人々に忘れ去られると存在の曖昧な《怪異》もまた消えていく。
でも、もしもそれが均衡を破壊するほどのものだったら。決して人々が忘れないものだったとしたら。もしも決して忘れない個人の《信仰》であったとしたら。世界は簡単にその存在を例外として認識する。常識という世界のレイヤーとはまた別のレイヤーに重なって、この世界に確立される。
例外として、世界に重ね合わせられながら同時に、切り離され、怪異、あるいは異能として顕現する……という結果として。
私の『瞳』や先輩の『未来視』もそうだ。世界にその存在を例外として認識された事柄。世界とずれてしまっていても、その世界から消えることも、世界に合わせることももう出来ない《異能》の存在。同じ《異能》を持つ存在がいない孤独が埋め込まれた存在。天秤の外に置かれた、あるいは弾かれた存在。それが《怪異》であり、私たち《異能者》だ。
では?
「榎音未さんを起点に《世界への不信》が溢れているから」
私は先輩の言葉を補足するように小さく呟く。
行き過ぎた世界に対しての何かを《信じること》により例外が生まれる。そこまでは前提だ。
では今度は逆。世界そのものへの《不信》が存在した場合はどうなるか?
もしも、仮にこの世界の全てを疑うほどの《信じないこと》で溢れたのなら。
世界はその存在をただ《信じられない》というだけで形を失おうとしてしまう。だから、世界はその状況から世界の《信じること》を強めようとする。重量の増した不信に釣り合うだけの、信仰というもう片方の秤の重量を増して、釣り合いを戻そうとする。それだけの根拠を世界に作り出そうとする作用が世界が自らを保とうとする動きから生じる。
例えばそう、鮫神の存在を狂気と共に信仰して呼び出す人々であったり、殺意を《異能》に変える者であったり、誰かを助けたいという願いが都市伝説と結びついて《怪異》となった者であったり。
「思うに、世界は天秤の釣り合いを取ろうとしている真っ最中なんですよ。榎音未さんという《信じないこと》があるから、世界はバランスを取ろうと近辺に存在する《信じること》を片っ端から確立させていく。それぐらい、世界の在り方を歪める不信が存在しているから」
「……」
先輩がファーストフードで言った言葉を思い出す。
――塾長も久遠も見えてないのか? というかわかってないのかな? って感じだし。多分答えが出るとしたらあっさり出るって感じだと思うんだよねーというかこういう時、それこそ気付きたくないのかな?
榎音未さんの過去の話。自分にとっての普通を他の人の普通にするという感情。
あれも世界への不信の一つだろうか? 私は考える。
「まぁ、あくまで現状の仮説でしかありませんがね。桐野がそれに今アタリをつけて考えているってところです」
やれやれ、といった様子で師匠が言う。
「実のところ榎音未さんについての仮説はこれからの話のオマケです。貴方たちを襲撃した奴等から逆算すると狙われた榎音未さんがそういうポジションなんじゃないかって桐野は考えたって話なんですよ」
「あの、《箱使い》と《ドッペルゲンガー》……」
「証拠はありませんが、確信はあるって感じですね。あの連中は間違いなく、そういうことをやると桐野は知っている」
「どういうことですか」
「五葉塾はこの世界がバランスを取るように、我々は我々で世界のバランスを保とうとしていますね?」
「はい」
「世界は自動的にバランスを保とうとする。そうであるのに、我々は世界にそのバランスを任せない。我々は我々でバランスを保とうとしている。その理由は?」
「世界が保とうとするバランスと、私たちが生きていける世界のバランスは違うから」
バランスを保とうとする、という同じ言葉でもそれを行使する主語が『世界』か『五葉塾』で意味するところは違う。
世界のバランスの観点に人間の存在の比重は重くない。世界にとってみれば私たちのような人間も、部屋の隅に固まった綿埃の価値も変わらない。だから、世界が均衡を保とうとした『調整』の勘定に人間の生活が入るとは限らない。
例えば鮫神とまではいかなくても人間に害をもたらすような呪いが《怪異》としてこの世界に確立されたらどうなるだろう? 見たら死んでしまう呪いのビデオのような、存在がもしも確立されたらどうなるのだろう?
人間からして見れば大迷惑だ。もしかしたらそれが原因で世界が滅ぶ可能性もあるかもしれない。
でも、世界からしてみればそんなことはどうでもいい。
だから、五葉塾はその世界のバランスとは違うバランスを保とうとする。人間本意なバランスと言ってもいい。
だから、《怪異》は危険になる前に対処する。そうすることが、私たちが生きていくために必要なことだから。
「つまり、我々がやっていることはまぁ、我々の利益という視点が混ざっているんですよね。新たな《怪異》や《異能》、もっと言えば特定の《信じること》が世界にとって必要か否か、である前に我々が世界に存在する上でどうするか、という視点で」
エゴイスティックな理由かもしれない、と思う。傲慢な行為かもしれないと思う。
私たちのやっていることは、私たちの存在をただ肯定したいという営みなのかもしれないと思う。
「ですが、そう思わない存在もあるってことなんですよ。すなわち、人間が存在できるか否か、ではなく別の尺度で世界のバランスを保とうと志向する存在が」
その時だった。
机に置かれた黒電話のベルが鳴る。
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