16.桐野さんのあまり明るくない講義タイム

「なるほど。大体状況はわかりました」


 一部始終を説明して、そう言うと師匠は少し考えるような間の後に机からフォルダを出して私たちへ見せた。


「これは?」

「最近のこの新王町で起きている不可解な事件について、東光院くんに頼んで調べてもらっていたものです」


 中に収められた書類はだいぶ数百ページはありそうな量だった。


「行方不明者一覧?」


 先輩がフォルダタイトルを読んでその書類を捲る。パラパラと読み進めるうちに先輩の表情が変わっていく。


「これ、全部ここ一ヶ月の事件じゃない!」


 私も先輩から受け取り内容を確認していく。それは異様な報告件数だった。明らかに行方不明として届けられる人数が多すぎる。

 新王町に限った報告であるにも関わらず一日に百を簡単に越す数の行方不明者がこの一ヶ月で続出している。


「報道のしようもないようでしてね。何せ数が多すぎる。公安の方で調査されているそうですが、内部でも行方不明者が出る始末だそうで。ただ、この情報だけでは桐野にも掴みきれないところがありました。ただ、どーにもきな臭いと思ったので、逆辻さんに来てもらったんですが、一手遅れましたね」


 聞いていて、違和感があった。照子先輩が呼び出された理由が私にはチグハグに感じる。


「待ってください。照子先輩が呼び出されたのって榎音未さんの《異能》について調べるためじゃなかったんですか」


 その言葉に先輩も頷く。目の前の書類が示す事件との関連性が見えてこない。


「久遠さん、この間の口裂け女の件、どう思いましたか」

「どうって……《怪異》である口裂け女と、そのきっかけを作った《異能者》絡みの事件で、過去に殺された被害者が同じ犠牲者を出したくなくて口裂け女になったと……」

「そうですね。確かに。なかなか苦い記憶の部分もあるようですが、そもそも何かしらの《信じること》が起点になっている以上、そんなイージーな話はないですしね」


 ただ、と師匠が続けて言う。


「やっぱりおかしいんですよね。公安には継続して口裂け女事件の犯人であり《異能者》であった坂本について調べていましたが、あの男に《異能》を後天的に発現するほどの特異性は見受けられなかったそうです。そして、口裂け女についてもあの事件に対しては噂話レベルあって、本当に《信じている》人はいなかった」

「でも」


 それでも、あの場にはかつて命を落とした人の願いがあった。祈りがあった。だからこそ、口裂け女はあの場に生まれ落ちたのだと私は信じようと思っていた。


「残念ながら、常人の後悔や、祈りだけで世界が変わるほどこの世界は柔くないんですよ。久遠さん――貴方も知っているでしょう」


 師匠が切り捨てるように言う。何も言えなくなる。

 わかってはいた。もしも一人の祈りや何かで過去に流行った物語でしかなかったはずの都市伝説が顕現するのならこの世界はもっとおかしなことになっているのだと。わかってはいた、何かしらの狂気に囚われた人間が後天的に《異能》を身につけるのならば、あらゆる狂気は《異能者》を再現なく生み出すことになる。

 でも、私たちの世界は保たれている。《怪異》は五葉塾や公安が把握して、対処できるほどの規模で世界が回っていて、《異能》もそんな世界のバランスを崩せるほどの規模にはなり得ない。

 だからこそ、この世界は壊れない。だからこそ、この世界は盤石だ。


 だから、本当はあの事件もおかしかった。


「久遠さん、貴方が鮫神以前の、榎音未さんと出会う前の任務で《視た》存在はそんなに強度のある存在でしたか?」

「……」


 鮫神の事件から、本当は異様だった。本当は、おかしい。


 最近の任務、若くして死んだ少年の亡霊の《怪異》を《視た》任務。その少年で、不幸の事故で亡くなったが故に学校に現れるという噂が大元だった。でも、そこにはその少年の心、願いや祈りは存在しなかった。私が《瞳》を介して《視た》先にあったのは、彼を慕う友人の「もしかしたら」という願いや悲しみ。

 その子を起点とした、集団による《信仰》が学校という限定的な空間で結びつき、形作られていた。それが真相だった。


 そこに、当の本人である亡くなった少年の心は何処にも存在しなかった。


 でもそれは珍しいことじゃない。全然、珍しいことじゃないんだ、本当は。

 鮫神以前――私や先輩が臨んできた任務はほとんどがそんなものだった。攻撃性を持つ《怪異》もあったけれど、それは手順を踏んだ時に作動するシステムとしての攻撃性だった。

 二十歳まで覚えていたら呪われる言葉。最後まで知ると呪われる話。呪いのビデオ、絵、写真。それらは法則に過ぎなかった。

 崖から落ちると死ぬ、首を吊ると死ぬ、水に溺れると死ぬ、そういったことが信じられるように、世界の《信じられている》法則に新たな何かが加わりかけている、そんな具合のものがそれまで私が相対してきた攻撃性を持つ《怪異》というものだった。

 そこにあるのは《怪異》に備わった意志や心ではない。ただの一連の決まった流れでしかなかった。

 私が五葉塾で任務をこなすほどに《瞳》でわかっていったこと。


 世界は言葉で出来ている。でも、その言葉は空虚だ。


 意味のあってほしい言葉、大切にしたい言葉は、残らない。ただ忘れにくく、印象に残る言葉だけが残る。残るものは形だけ。そこに込められた祈りも願いも残らない。

 だから、本当は私は鮫神の事件の時も、口裂け女の時も、悲しくて、辛くて、苦しくて――――嬉しかった。


 殺し合いの果てに《視た》言葉である《鮫神》も悲しみと共に《視た》言葉である《口裂け女》にも、そこには願いがあったから、祈りがあったから。

 誰かが強く《信じた言葉》は確かに残るのだと私が思うことが出来たから。

 たくさんの願いや祈りがあるのに祝福は愚か、呪いにすらならずにこの世界からただ消えていくなんてそんなの、悲しすぎる。

「今の世界で最も強く、矛盾した《信じること》はですね、世界の不変性なんですよ。この世界は変わらない。終わらせようとしても終わらない。明日も明後日もそしてまたその次の日も。ずるずると続いていく。実際はそんなことないというのに、本当はわずかな力加減で壊れるほどに脆い世界なのに、人々の信仰だけは乖離して存在していて、それがこの世界の日常を僅かに構成して延命させている」


 そう、世界は脆いはずなのに、同時に驚くほど堅牢だ。裏腹な意味が世界に溢れている。


「そして、もう一つ質問です」


 師匠の言葉が、私を引き戻す。


「なぜ、榎音未さんの周りには《怪異》が生じるのでしょうね」

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