13.存在しない怪異

 ドッペルゲンガー、自分と瓜二つの姿をした存在として語られているもの。自分と同じ姿をした存在を見てしまう現象を指し示す場合もあれば、自分と全く同じ姿をした分身を指す言葉でもある。曰く、自分のドッペルゲンガーと出会った人は死ぬ。歴史の中でも様々な著名人がドッペルゲンガーと出会ったとされているし、文学やサブカルチャーでもその存在は繰り返し語られる。

 だけど、私はドッペルゲンガーという《怪異》が存在するとは思っていなかった。そして実際に、五葉塾ではドッペルゲンガーという《怪異》は理論上存在しない、とされていた。


 信じること、が《怪異》を作る。人々の共通するイメージ、もしもこうであったのなら、もしも存在したのなら、というイメージこそが《怪異》を作る。つまり、共通するイメージが必要となる。


「アイコンもない存在なのに、こういう形で存在してくるとはね」


 先輩が緊張した声で言う。

 そう、ドッペルゲンガーには共通するイメージはない。各々が思い描くドッペルゲンガーは、必ず自分の像となる。

 だからこそ、万人に大枠ですら共通するイメージなど存在しない。

 だからこそ、この世には生まれ得ない。


『私は、誰でもない人』


 だがしかし、目の前の存在、《ドッペルゲンガー》と呼ばれた存在が声を出す。

《瞳》を介して視ようとする。しかし、その存在は映らない。

 その存在には個人を特定する顔がない。そこの存在には個人を特定しない顔がある。

 誰でもない顔。特定の出来ない顔がそこにある。だからこそ、それを見ても認識として成立しない。

 眼前のドッペルゲンガーと呼ばれた存在には目も鼻も口も、確かに存在している。だが、それらを一つの顔として像を結ぼうとすると途端に印象はかき消えてしまう。


『わからないでしょ?』


 ケラケラと目の前の存在が嘲笑のような笑い声をあげる。

 それは世界を嘲笑っていた。

 それは世界を呪っていた。


『私は何処にもいない。私は何処にでもいる。私は全てを奪われた。私は全てを奪いたい。私はドッペルゲンガー。名前のないもの。透明である者。

 私から全てを奪った世界から全てを奪い返すその日まで』


 それは宣言だった。それは宣戦布告だった。それは殺意だった。


「《干渉》《制御》《反発》《加速》《実行》」


 私の口が意識よりも早く動いた。私の体は概念刀を抜刀のために鞘へと納め、腰を落とし始動へ向けた体制となる。

 反射的な、眼前の存在への本能的な忌避からの防衛行動。


「抜刀――序式・開刀一閃」


 瞬間的な加速、世界が止まって見える一瞬。私の概念刀の加速は鞘の中で完結している。抜刀だからこその速攻。

 数メートルあった相手までの距離が刹那のうちに消える。言葉により強化された全身は意識してからの体の始動ではなく、もはや肉体そのものが思考し反射として行動が生じる。

 人間、《怪異》と言えど容易に回避など出来はしない。はずだった。

 確かに概念刀は断ち切った。私が発生された攻撃の軌跡を奔り、そこに物体があった場合に切断をしていたはずだった。


『やっぱり、当たらない』


 傷一つなくその存在は立っていた。私の愚かさを憐れむように、羨むように私のことを見つめていた。


『私からは触れられるのに』


 ヒタリ、とその存在は私の頬に触れる。


『ああ、暖かい』

「《干渉》《隔絶》《実行》」


 全身に起きる怖気を押し殺すように私は障壁を発生させ、体勢を立て直そうとする。冷静にならなくてはいけない。距離を取って、相手を見極めなければ。


『貴方は私を拒めない。だって、私が視えないから』


 生じた障壁をすり抜ける。何でもありか、そう思いながら地面を蹴って後方の先輩の傍へと飛んで着地する。


「先輩、あれどうすればいいかわかります?」

「概念刀で切れない、ね。じゃあ、こういうのはどうかしら」


 先輩が何か腑に落ちないような反応をしながら、肩に掛けた鞄を開く。


「アタシ、近距離とか嫌いなのよね」


 取り出したのはハンドガン、ベレッタ92FS。両手で構え、半身となったウィーバースタンスと呼ばれる姿勢で迅速に照準を固定。

 空中に浮いていた《言符》の一つが消えて、銃声が響き渡る。

 先輩はその小柄な外見でいながら発砲しつつ微動だにしない。おそらく、構えに加えて、より正確な射撃を行うために体を固定するような《言符》を使ったのだろう。

 その体格に似合わず、逆辻先輩の射撃は常人の域を超えていた。たとえ相手が縦横無尽に動く存在であっても、その射線がズレることはない。


 ただの異能頼りではない、先輩が積み上げてきた技術そのもの。

 全弾は打ち切らず、両手両足への正確無比な射撃は対象の《ドッペルゲンガー》に確かに直撃する。それまでの私の行動とは一変、余裕を持っているようだった対象の反応が変わる。


『痛い、痛いいいいいいい!』


 悲鳴のような声が発せられる。頭が割れそうな声、聞いているだけでなぜか悲しくなってくるような声。

 どうして、こんなに私は悲しくなっているんだろう。敵と思われる存在だというのに、さっきまで自ら攻撃を仕掛けていた相手であるというのにその姿を見ると私は自分が悪いことをしているような気持ちになってくる。この気持ちは何なのだろう。


「悪いけど、私は久遠と違って自分の出来る範疇ってのを決めているの。だから、ごめんなさい」


 先輩はそう言って、照準を眼前の存在の額に合わせる。止めなくてはいけない、と自分の立場と裏腹な心の動きがあるけど、さっきまでの戦闘の動きと違って私は迷い、体も動かせなければ声も出せない。

 先輩の動きは早い。

 銃声が、響く。

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