10.乱入者

「もうさー全部見えてるよ。最初から全部」


 拡張異能によって先輩の口調が変わる。《マックの女子高生》としてのトランス状態。それまでの先輩の調子とは一転した軽薄な口調。指をクルクルと振り回して落ち着きのないジェスチャーを繰り返す。一つ一つの挙動、ちょっとした振る舞いが人を規定していく。

 だけど、目の前の存在は私の知っている先輩と姿が同じだけでもう違う振る舞いの存在だった。


「塾長も久遠も見えてないのか? というかわかってないのかな? って感じだし。多分答えが出るとしたらあっさり出るって感じだと思うんだよねーというかこういう時、それこそ気付きたくないのかな?」


 不意に私の名前が呼ばれて、手が止まる。

 見えていないものがある?

 私が取りこぼしているものがあるんだろうか。榎音未さんと出会ってから今までの中に。


「もうヒントも答えもある、ただそれを見てないんだよ。誰も。あなたもね」


 そう、先輩が榎音未さんを見て言った。

 ただ、私たちが答えを見ていないだけ。榎音未さんの異能の正体。

 その時だった。

 パチパチパチ、とわざとらしい拍手が聞こえる。


「いやぁ、いやぁ。素晴らしい《異能》ですね」


 男の声。褒め言葉でありながら、相手を格下であることを確信しているかのような傲慢な礼儀正しさ。

 余裕を持ったある種の行き過ぎた丁寧さっていうのは、相手を舐めているから出来ることなのだ。

 私の中で嫌な予感が過ぎる。


「なるほどなるほど。ネットミームと絡めた拡張の仕方があったなんて、いやぁ素晴らしい。その調子なら本日あなた方が解き明かそうとしている謎にも答えが出るでしょう。

 いやはや、しかしーーその答えなら私が持っています。残念ですがこちらでいただきます」


 声と共に店内の明かりが消える。いや、それにしては暗すぎる。まだ夕方だというのに窓から差し込む光すら店内を照らしていない。暗すぎる。

 そして先ほどの男の言葉。


「世界は箱で出来ています。ファーストフードの店内もまた箱に過ぎない」


 足音がする。まるで自らの位置を主張するかのような癇に障る、小気味良い足音だった。


「久遠、榎音未さんを」


 先輩が立ち上がり、私たちの前に一歩進む。それまでの《マックの女子高生》の時の状態は抜けている。

「アンタたち、誰」


 先輩の言葉で気づく。男の背後にもう一人姿があることに。


「たまたまファーストフード店で食事を取ろうかと思って入ったら意味深な会話をしている女子高生がいたので気になって声をかけた、とは思っていただけないですかね」

「この店に入るかどうか、このフロアの階段を登るかどうか、私たちに近づくかどうか、それぞれ三重に簡易結界かけていた。物理的なプロテクトでなくても、そんな精神的な忌避感を全部無視して意味深な声かけしてきた人間に無警戒で接したらそれこそ馬鹿よ」

「これは手厳しい」


 ずるり、と音がした。


「とはいえ、警戒するだけ無駄でしょうね。結界を超えられた、ということを意識するだけでその外側のことに気づいていない」


 私の視界の中、店内の壁面が崩れ落ちていく。物質的な破損ではなくて、まるで空間自体が溶け落ちるかのように空間が揺らいでいく。


「不味い!」


 即座に私は行動に移る。《瞳》の使用開始。テクスチャの剥がされていく視界の中で何が起きているかを《視》る。


「空間――言葉が、書き換えられている」


 私の《瞳》の捉える視覚の中で瞬く間に世界を構成する言葉が置き換わっていく。それまで一般的な壁でしかなかったものが私の認識している《言葉》を超えたものに置換されていく。


「久遠さん、でしたっけ。ああはい、存じてますよ。あなたの《瞳》は。言葉を見て、そして言葉を付与、あるいは別の読み筋を見つけ出す《言葉師》。その力は確かに脅威といったところでしょうね。ええ、実際に脅威だ。怖い。怖いですよ。本当に」


 その呟きと共に男の目の前に箱が現れる。

 人一人入りそうな、そんな箱だ。異様な空気であるというのにその箱はファンシーな装飾が施されていて、まるでクリスマスや誕生日のプレゼントが入っていそうな雰囲気だ。


「まぁ、あなたはその真価に気づいてもいないのでしょうが。私は油断なんてしません。目の前の存在を、未熟だからといって過小評価などしない」


 箱が開く。


「今日はご挨拶に来ました」


 男が語る。


「挨拶に来た人が結界を超えてきますかね。随分無礼ですよ」


 私はうんざりした心地で返す。


「それは全くもって確かに。失礼しました。うん、ところで、ピーターの法則というのを知ってしますか?」


 男が私の言葉を意に介さず続ける。私の言葉も待たずに喋り出す。


「能力主義の階層社会においては能力がある限り何処までも上に行くそうです。結果、有能な人であってもいずれ無能な存在になる。自分の能力が発揮できない場にいつか出会ってしまうわけですからね。これは構造的、世界の欠陥といってもいいかもしれません」


 箱の中から、異様な何かが現れる。それは機械のようだった。それは生物のようだった。そしてそれは私の知っている機械とも生物とも違う何かだった。

 粘液と、硬質な部分を併せ持った機械としても生物としても異様な何か。


「これって、戦いに置いても大事なことです。人間には、いや、生命には相性というものがある。絶対的な差です。誤魔化しは出来ても、本質的には覆らない差がこの世には存在します。皆、それから目を背けている。見ないようにしている。そうして、誰もが見て見ぬふりをして生きている」


 おっと、失礼。男が忘れていたかのように言う。


「これは《蟲》です。それでは話を続けましょうか」


 男はさも当然のように言うけれど、それは私の知るどのような虫とも似ても似つかなかった。

 《瞳》でも、言葉に置換出来ない。

 バスケットボールほどの大きさの《蟲》が現れる。きっと何処の図鑑にも載っていないような、存在していない蟲だ。

 まだ、名前の付いていない存在。この《蟲》は、この《世界》の外側の存在だ。


「世界には限界がある。悲しいことです。しかし。しかしですよ。私はそれを受け入れてます。仕方がない仕方がない。この世界には限界がある。この世界は袋小路で、壁がある。四方八方に敷き詰められた壁がね、あるんですよ。

 それは壊せない。どうしようもなく壊せない。壊れないものは、壊せない。

 仕方がない。仕方がない。

 だから、仕方ない。

 だから、私はそれを受け入れる。

 この箱庭でただ私は生きている」


 異音。目の前の蟲たちの叫ぶ声だと気づくまでに時間がかかった。今までに聞いたことのない音だったから。


「だから私はあなたと戦わない。それは仕方がないことなんです。

 だから、こうしてあなたと戦うにふさわしい存在を借りてくる。こうして場を用意する」


 このままではいけない!

 そう全身の感覚が叫び出す。私は《言葉》を行使しようと声を出す。

 はずだった。


「音のない世界ってイメージできますか? 音が空気の振動ならば、その世界には空気すらないはずなので生きていけるわけもないのですが。ただまぁ、仮定の話ですよ。そういう世界が存在して、なおかつ私たちが生きていける環境が両立したらどうなるのでしょうね。まぁ、きっとこと音も聞こえていないのでしょうが」


 動揺。最初に訪れたのはその感情だった。起こるべきはずのことが起こらない、自分の認識する世界の在り方が一点変わるだけでこうも人は動揺するものなのか。自分の発しようとした声が言葉に変わらないというただ一点で私は判断が遅れる。


「不思議なものですよね。人は普段出来ることが出来ないというだけで、思った通りに機能しないというだけで、判断が遅れる。動揺し、普段のパフォーマンスを発揮出来なくなる。たとえ、奪われた機能が本質的に関係がなくても。久遠さん、あなたにとって言葉は言葉であって、音は関係がないはずなのにこうして音が奪われるだけで反応が面白いくらいに遅れてしまう」


 無音の世界で私に向かってくる蟲を言葉にも出来ず見続ける。

 音のない世界は、全てが動いていながら同時に全てが止まって見える。

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