8.過去


「緊張しないでください。《拡張異能》といっても実際のところただ話をするだけなので。自然と未来が垣間見えるような流れを作り出すための場として話すだけなので」

「はい。よろしくお願いします」

「榎音未さんは何か指向性を持った力のような形での《異能》は発現しているわけではないんですね」


 先輩が淡々と話す。師匠からある程度、情報は聞いているのかも知れなかった。


「そうですね。私が何か特殊なことを自分の意志で起こせるかというと、そういうことができる感覚はありません」

「榎音未さんは《怪異》を視たことは久遠と出会う前からあったんですか?」

「視たことは、ありません」


 含みのある言い方だった。そして、確かに榎音未さんが私と出会う以前から何らかの困難を感じていたというのは知っている。あの村で、聞いたことだから。榎音未さんがあの村へとやってきた理由だから。


「ただ、他の人が気づかないことにいつも私は気づきました。晴れた日に予報外れの雨が降る時も、目の前で歩いている誰かが道端の石を踏んでしまって転ぶ時も、他の人が気づかないことに気づいてしまう。違和感を覚えてしまうことが多かったです」

「そして、その気づいてしまうことは勘がいいだけではすまないこともあった」


 先輩が榎音未さんを見つめていう。店内に響いていたBGMがいつの間にか遠い。私たちは既に自分たちの言葉に没頭している。


「私は何も見えないです。でも、見えないというだけでもその存在があることを知っていました。それは場所なんて選びません。一般的な怪談で語られるように校庭の隅であったり、トイレであったり、開かずの教室であったり、墓場であったり、病院の端にある病室、忘れ去られたトンネル、そんな特別な場所に存在しているわけではありませんでした」


 なぜなら、怪異は人の言葉の中にいるから。イメージが怪異を形作っていても、それが本質的に存在する場所は人の心だ。人の心が世界に言葉として干渉して形作っていく。

 だから、明確に形をもった怪異でない、その種子のようなものを榎音未さんが感じられるのであれば。


「昔、私が子供だった頃。小学校で学校で何人かで会話をしていたんです。最初は授業のことだったり、好きなドラマの話だったり、そんなたわいもないことだったと思います。クラスメイトの一人が、その場にいない子について話をしました」

「それは?」

「あの子、お父さんがいないんだって。そう言いました。でも、そのニュアンスは排斥のものではなかったと思います。ただ、可哀想だから気をつけようとか、そんなニュアンスでした」

「なるほど。そこで何かあったんですね。いや、正確には何も起きなかったけど、榎音未さんはそれを感じた」

「私はその会話の時、強い怨みのような感情を浴びました。何かに対して強い怒りであるような、憤りであるような、当時の私では言葉にできないような何か。私はその場にいないはずのその子が顔を歪めて私たちを睨んでいるような気がしました」


 無言。先輩は何も言わない。榎音未さんの言葉を待っているようだった。


「少しして、その子が教室にきました。皆、その話には触れずに笑顔で他の話題に移っていました。その子も笑っていました。私だけ、その空間が怖くて仕方なかったです」

「それは、その子の感情だったんですか?」


 そう、たまたま教室の時で聞いてしまったその子の表に出さない気持ち。


「そうかもしれません。ただ、私の思い違いか何かとその時は流してしまいました。いや、そうだと思いたかっただけですね。私の勘違いであるならば、全てつつがなく流れていく話だと思っていました」


 イメージする。榎音未さんが全身で感じるほどの強い負の感情が何事もなかったかのように流されていく様を。

 イメージする。その負の感情を表に出さないままクラスメイトと笑い合っているその子のことを。

 イメージする。無邪気な憐れみの傲慢さに気づいてしまった榎音未さんのその場の孤独を。


「でも、そうはなりませんでした」

「何かが起きたんですね」

「まず一人、その場にいたクラスメイトのお父さんが亡くなりました。急な病気で、たった数ヶ月で。その後にさらに一人。そしてもう一人」


 少し間があって、榎音未さんが言葉を続ける。


「私の父も、死にました」

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