1.信じること、あるいは桐野さんのチキチキ講義タイム。

 ひんやりとした空気を肌に感じて、この部屋は変わらないなと思う。


「この世には、《異能》を使う人たちがいます」


 師匠が戯けた調子で私と榎音未えねみさんに語りかける。空気とは対照的な鼻歌まじりの陽気な感じだ。

 師匠は今日は黒を基調とした和風ロリータファッションで、ツヤのあるストレートの黒髪をツインテールにしている。胸元には『じゅくちょうだいり きりの』とひらがなで名札がついていて、ひらがなで幼さを演出しているのが癇に障る。

 師匠の服装は相変わらずコロコロと変わる。和風、というのを基本にしているだけでそれ以上のポリシーはないらしくて「え〜〜〜〜可愛いじゃないですかぁ〜〜〜〜桐野は? 最高に? 美少女ですけど?」とか言っていて、絶対私よりもずっとずっと年上なのに良く言うわ、という気分になるけど別に服装は年齢で決めるものでもないと思うので何も言わない。でも、それはそれとして師匠の態度はうざい。

「シリアスぶるならその格好はやめて欲しかったんですけど」

「礼節とは心の作法なのですよ」

「礼節というならそんなふざけた格好にしない方がいいんじゃないですか師匠」

「いいえ、いいですか久遠さん。榎音未さん、この格好の桐野、どうです?」

 急に榎音未さんが話を振られてびっくりしたような顔をしている。榎音未さんの眼鏡の奥の瞳がまんまるく開かれるくらいには。

「えっ、とても可愛らしいかと……」

「そう! かわいいんですよ桐野は!やっぱりね、可愛らしさって儚さとか? そういうか弱さみたいなものも要素として一つあると思うんですよね桐野は。桐野は強い、塾長代理ですから。桐野は偉い、塾長代理ですから。故にそのままでは怖い!だから桐野は榎音未さんのために可愛さを演出して緊張をほぐそうとですね!」

「師匠、帰っていいですか。という帰ります。帰りましょう榎音未さん」

「まーった! 待った待った待った! ステイ! ステイ! 真面目に講義します!しますから講義!」

 五葉塾の地下に位置する訓練室に私と師匠はいる。

 師匠の鼻歌やポップな格好とは反対に、薄暗く、冷たい印象の部屋。黒を基調としていて、生活感のない部屋だ。体を動かすことも出来るように、物が殆どないのもそういう空気を作る要因になっている。

 初めて来た時は身が引き締まる思いだったものだけど、そんな部屋にしていることに呪術的な理由だとか神聖な意味があるわけではなくて師匠に聞くと「久遠さん何言ってるんですか? 黒いは強い、暗いはかっこいい、だからこの部屋は最高。桐野はずっと前からそういう常識的なことは知っていましたし? みんな知っているもんだと思ってたんですけど〜? フッ……この桐野、何者にも付き従わないほど高貴な存在ですが闇という最高のかっこよさのまえには闇の眷属にならざるを得ないですねフフフ」と、これでも私の記憶の中でだいぶ言葉を圧縮したくらいに小一時間語られた。辛かった。

 要するに今の格好と同じような趣味だというらしくて一気に冷めてしまった。

 とはいえ、更に後にそういう「気分」の積み重ねが自らの信じる気持ちに与える影響は馬鹿にならないと知って少し見る目を変えたのだけど。

 さて、いくらそんなふざけた師匠とはいえ真剣な話はそれなりに真剣なようで榎音未さんに説明を始める。

 五葉塾が関わっている存在について、その成り立ちについて。

人体発火パイロキネシスだとか、念力サイコキネシスだとか、なんでも良いんですが、とにかくそう言った『常識』みたいな言葉では規定出来ない物事を引き起こす人がいます。そこはイメージ、出来ますか?」

「それが、私のような……という意味合いであればイメージできます」

 榎音未さんが注意深く、一つ一つの言葉を噛み締めるように返事をする。

「そうですね。榎音未さんのように《怪異》を朧げながらも感じることが出来る、というのは一つの《異能》と言えます。まだディティールが定まっていない、わかっていないながらも榎音未さんもまた《異能》を扱う人間といえるでしょうね」

 《異能》を扱う人がいる。私が《瞳》を使って《言葉》を認識し、《言葉》で世に干渉する言葉師であるのも、大きなカテゴリーで言えば《異能》と言える。

「では《異能》の成り立ちは何か。雑に言ってしまえば《信じること》です」

 あらゆるイメージ、《信じること》で世界は満ちている。それが言葉を作る。

「信じること……ですか?」

 榎音未さんが繰り返す。まだ言葉の意味は飲み込めていないようなキョトン顔だ。

「感覚として確信が伴っていること、と言えるかもしれないです。例えば榎音未さん、ペットボトルの蓋って開けられますか? 桐野は非力のか弱い存在なので人にやらせますけどね!」

「師匠、そういう小ボケうざいですよ」

「ええ〜桐野の力は見ての通りの細腕薄幸和服ロリータ前髪パッツンツインテール美少女ですが……?」

「はいはい……ごめんなさい榎音未さん、話の腰を折って」

「いえ、すみません。桐野さん、ボケだったんですね。ちゃんとツッコミすればよかったですね」

 と、榎音未さんが心底申し訳なさそうに言う。

「……………………ち、違っ、ご、ごめんなさい……き、桐野は……桐野はそんなツッコミを強要したいとかそういうわけではなく、わけではなく!」

 こういうボケ殺し、みたいのが一番師匠には効くらしい。私ももっと早く知りたかった。

「桐野が余計なこと言いましたね。話を戻しましょう。ペットボトルの蓋は開けられますか?」

「開けられますね……」

「それはどうしてですか?」

「私の筋力では、こう、普通に開けられるかなと……」

「そうですね。実際簡単に開けられるでしょう。成人した、老人ではない不自由のない人間が生きる上では、普通に持っている能力です」

「はい」

「榎音未さんは開けられると《信じて》います。それは純粋な筋力だとか色々な理屈はあれど、そこには自覚しない感覚があります。出来るはずだ、という濁りのない感覚。《信じること》。もしも、この世界にある理屈がただただ《信じること》を補強するための理屈にすぎないとしたら?」

「え……?」

「この世界の理屈、理論、すべてが全部後付けて、世界全てが《信じられているから》成り立っているとしたら、どう思います? 筋力とか、物に触れられるとか、そういうことは実は後付けてで、ただ単純に榎音未さんが出来ると《信じている》から出来るのだとしたら」

「それは……」

 榎音未さんが動揺、緊張、困惑をしているのがうっすらと伝わる。

 世界の全てが、《信じること》で出来ているという考え。

 出来る、と《信じる》から全て出来る。歩けると《信じる》から歩ける。走れると《信じる》から走れる。喋れると《信じる》から喋れる。生きていけると《信じる》。人は死ぬと《信じる》から死ぬ。

 この世界が存在すると《信じる》からこの世界が存在している、ということ。

 世界を説明する理屈は全部後付けの、つじつま合わせで、漠然であやふやとした《信じること》だけで世界が出来ているという、暴論。

 《信じること》がなくなった瞬間、足下から全てが消えてしまうかもしれない世界であると思うこと。

 私も正直、師匠が言っていることが100%そうだとは思っていない。でも、そう考えた方が納得出来てしまう現象もこの世には存在している。少なくとも、五葉塾が関わる事柄はそういうことだ。

「ああ、いや、この桐野の言葉をそれこそ《信じる》必要はないですよ。ただそういう観点がある、と認識してくれればいいです。そういうロジックがこの世にはあるかもしれないし、ないかもしれないというぐらいのざっくりさで考えてもらえれば」

 少しの間があって、榎音未さんが言う。

「この世界で私が出来ることは私が意識的にであれ、無意識的であれ《出来る》と私が《信じている》から出来ているということですか?」

「その通りですね。地面を踏み締めていれば落下しないと思うように、呼吸を今しているように、そうであって当然と思うこと。そうであっておかしくない、という感覚。それが榎音未の世界を形作り、その相互作用で桐野たちのいる《世界》は出来ている。そして榎音未さん、貴方の未確定の《異能》も、久遠さんの《瞳》も。知らず知らずのうちに《信じている》から出来ている」


 ——《異能》というのはね、《出来る》と《信じること》から出来ているのですよ。


 私の右目にあたる場所、義眼のあたりがうずく。私の《瞳》も、そうだ。私はただ《出来る》という実感だけが自身に備わっている。だから、言葉として世界を認識できる。

「ある意味で、才能なんですよね《異能》って。意識的にじゃないにしても、それが《出来る》と思うのは普通ではないので。心の底から《信じれれない》人はどれだけ理屈で今みたいな話をしても絶対に《異能》は使えません。ただまぁ、そういう世界観というかある種の信仰は一般的な人の普通とズレると変わり者扱いになったりするんですが。この五葉塾も変わり者しかいないですしね。桐野以外は」

 ツッコミたくなるが私は何も言わない。変わり者度合いでいうなら師匠がぶっちぎりでトップですよ、トップ。

 師匠が一息ついて話を続ける。

「まとめるとですね、《異能》というのはそれを扱う異能者が《出来る》と《信じている》から起こせる現象ということです」

「《異能》は私が出来ると《信じている》から起こせる現象……」

「そうですそうです。ま、そんなのは見方次第かもしれませんが《異能》はそういったプロセスで発生していると認識してもらえると話が早いです。《異能》は個人の強い念によって発生している、と定義出来ると思います。そして《異能》が存在するこの世には《怪異》も存在しています。榎音未さんのいた村での騒動とかを思い返してみてもらえればわかるかもですが」

 鮫神、信仰によって集積された思念により姿形を持って顕現した怪異。

 数週間前の騒動。そこで榎音未さんを私が五葉塾で引き抜いてこっちに連れてきた。

「はい。覚えていますし、忘れる気もありません。鮫以外にも大なり小なり、これまでの人生でそういう存在は感じてきましたから」

 榎音未さんが言う。自分という存在がきっかけとなって暴走した村への罪悪感。それは私が何を言おうと榎音未さんの中で簡単に認識を変えられることではない。

 榎音未さんの《異能》について、まだ細かなことはわかっていない。でも朧げな《怪異》への感覚の鋭さ、生まれる前の段階の《怪異》を知覚出来る存在はとても稀有らしい。

「さて、ここでクイズです。《異能》と《怪異》の共通点ってわかります?」

「……どちらも、《信じること》から生まれている」

「そう、その通りです。

 個人による強い信仰から生まれる《異能》という力。

 集団による強い信仰から生まれる《怪異》という存在。

 その二つはどちらも《信じること》から生まれています。世界というのは、そうしてできている」

 師匠はことあるごとに繰り返す。この世界の成り立ちを。

「世界というものは、《信じること》で出来ています。そこに、今日も明日も時変わらず存在していると信じること。それが世界というものを成り立たせている」

 でも、と師匠は続ける。

「皆が大なり小なり変化を望みます。そうした想いが少しずつ、世界を変えている」

 師匠はその言葉を私にも何回か繰り返し言った。それを自分が忘れないように、噛み締めるようかのように言う。その時の師匠の、普段のおちゃらけた空気とは違う表情は毎回のように私の心を少しだけ揺らがせる。

「質問なんですが」

 榎音未さんが言う。

「はい、なんでしょう」

「なんとなく《異能》や《怪異》の成り立ちはわかりました。でも、そうだとしたら普通に人々に《怪異》が見えない理由はなぜでしょう。私がこれまで生きてきた中で見える、感じる人はいなかったので……」

 《信じること》が《異能》と《怪異》を成立させる。ではなぜ、それを見える人と見えない人がいるのか。

 榎音未さんの疑問ももっともだ。私だって昔疑問に思った。ただまぁ、私は師匠に初めて説明を受けてしばらくしてから疑問に思ったので頭の回転が遅かったのだけど……

「それはそうですね、榎音未さん。簡単に言うと、《異能》や《怪異》は異なるレイヤーが生まれているんですよ」

「レイヤー……?」

「世界をそうですね、コンピューターで作られた一枚の絵だと思ってください。いくつものレイヤーがによって作られた一枚の絵。通常であればレイヤーの存在までは人々は認識が出来ない。無数の信仰によって作られたレイヤーが重なり合って、一枚の絵になっているとします」

 師匠が説明を続ける。

 部屋に備え付けられた黒板に図を描いていく。『レイヤー1』『レイヤー2』と層に名前が書かれていく。

 複数の層に分かれた『世界』と書かれた図。

「普通の人、もっとも、何が普通というのかなんて桐野にはわかりませんが。

《怪異》などを見えない人が見る基準のレイヤーを1とします。《怪異》を見えない人たちも、《怪異》を見える人である久遠さん感じることが出来る榎音未さんも基本的にレイヤー1にいます。

 所謂『普通の世界』それがレイヤー1です。でも《怪異》と《異能》はそこからズレたレイヤー2にいます。

 世界はレイヤー1と2を結合した結果として存在しますが、ここで言う普通の人はレイヤー1しか認識が出来ない状態で日々を生きています。

 そこに、この間の鮫神がレイヤー2に出現したとします。一枚の絵としてレイヤー1と2を結合した時にもしもレイヤー1の上からレイヤー2がかぶさったとしたら」

 師匠が雑に描いた鮫の絵が『レイヤー1』と描かれた層にまで覆い被さっている。

 少しの間、榎音未さんの理解を待つための時間。

 ややあって、榎音未さんが言葉を発する。

「……一枚の絵としてみた時、レイヤー1に位置していたレイヤー2の《怪異》に覆い被さられた存在は見えなくなる」

「そう、それが《怪異》からの影響と言えます。この現実ではそれが結果として殺された死体であったり、神隠しとして出てきます」

「なるほど。世界には《怪異》や《異能》からの影響が結果として現れるけど、その原因であるレイヤー2をレイヤー1しか認識出来ない人たちにはその過程がわからない」

「ま、これはかなり単純化した話ですけどね。とにかく世界は色々な見方が重なりあって出来ています。

 《異能》を身につけた人はその別のレイヤーを認識しやすくなっています。通常の世界と別のレイヤーというものを自分の持つ《異能》故に《信じやすく》なっているからです。

 これを繰り返した先で、この世界がどういう絵になるか、それはわかりません。

 ただほんの一つのレイヤーで全てが台無しになってしまうかもしれない。逆に一つのレイヤーで生き生きと活気付くかもしれない。そういう風に世界は干渉しあっているんですよ」

「それを、五葉塾が調整している。ということですか?」

「まぁそうでもあるし、そうでもないかもしれないですね。何が正しいのか、はっきりとはわからないことですから。ただ、少しでも良い絵になるといい、そう桐野は思っていますよ」

 そこまで師匠が話す。

 やや間があってちらり、と榎音未さんが私の方を見る。師匠の言葉を聞いて私の《瞳》について少し気になったのかもしれない。

「久遠さんだけなのかと思っていました。《怪異》を見れるのは」

 ああ、そういうことか。

「久遠さんの《瞳》はちょっと特別なんですよ」

「特別?」

「ま、そこはそのうち説明していきましょう。久遠さん以外でも《怪異》を見れる人はいるし、この世界には《異能》を持つ人もいる、ぐらいで今日はオッケーです」

 そう言って講義を終える直前、師匠が呟く。

「久遠さんの《視え》る言葉っていうのは、間違えるし、欺くし、それなのに真実を形作ったりもする。本当に怖くて、不安定で、不思議なものですよ」

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