第11話 戦う理由を考えよ!

 ミスト達暗黒教団に置いて行かれていたセイヤは、とてつもない速度で荒野を駆け抜けていた。目指す先は西の果て、主戦場となっているであろう魔神の居城である。


 走りながら、なぜ自分は今こんなにも必死になっているのだろうかと思う。そもそも、セイヤが魔界の戦争に身を投じたのは、ある種の罪悪感を覚えていたからだ。


「今思うと、ガキだったんだよな」


 幼馴染達と共に勇者に選ばれ、唐突に世界を救って欲しいと言われた。人の良い幼馴染達はともかく、なぜ自分が見知らぬ誰かのために戦わなくてはいけないのだと思ったのを今でも覚えている。


 それでも戦ったのは、戦わなければ元の生活に戻れないと告げられたからだ。


 勇者として魔獣を斬った。魔族を斬った。そして――人を斬った。


 召喚したフローディア王国の敵になる者は容赦なく斬ってきた。


「俺の手は血で濡れている」


 戦えば元の世界に戻れる。そう信じて戦い続けてきた結果、セイヤは戻れないところまで来ていた。幼馴染達は世界のために血を流してきたが、セイヤは自分の世界を守るために返り血を浴びてきた。


 セイヤが苦戦するほどの敵はほとんど現れず、ほぼ一方的に蹂躙する側だったセイヤは、相対する敵からすれば死神か悪魔にも見えたことだろう。


「魔族にも、家族や生活があることくらい、わかってたのにな……」


 セイヤは魔王クロノを討つため、そして強くなるために戦ってきた。魔王軍は侵略者。そんな言葉を免罪符にして戦ってきたが、その実、自分こそが異世界からの侵略者ではないか。


 この世界の戦争だ。この世界の者に任せれば良かったのだ。


 魔王クロノがミストを乗っ取った邪神によって殺されたとき、心の底からそう思った。 


「そう思ったのに……俺なんてお呼びじゃなかったっつーのに、なんで俺はまた同じことしてっかなぁ?」


 そう呟きながら足を止める。崖の下には狂気が渦巻いている戦場が広がっていた。パッと見ただけでも押しているのは、ミスト率いる魔族軍だ。


 彼らはみんな必死に戦っていた。己の生存を賭けて、己の未来を賭けて。


 では自分は? 一体自分は何のために戦っている?


「……決まっているか」


 魔界で過ごし、魔族を守るようになってセイヤの傍には多くの者達が集まるようになった。それは力があって戦っている魔族から、街の中で懸命に生きる者まで様々だ。


 人間である自分に憧れの視線を向ける魔族の子を見たときは、思わず苦笑してしまった。


 地上で戦っていた時は、幼馴染を守れればそれで良かった。それ以外は仮に守れなくても何も感じなかったくらいだ。


 だがこの魔界での戦いは違った。たった一人で召喚され、守ってほしいと懇願され、そして己の意思で人々を守ってきた。守りたいと思っていた。


 それは彼らが絶望的な状況でも必死に生にしがみつき、戦ってきたから。地上の時のように、勇者に任せきりの人間たちとは根本から違っていたから。


 もはや幼馴染と離れ、一人になったセイヤにとって彼らの生命の輝きはとても眩しいものだった。


 そんな彼らを守りたいと思ったのだ。


 何より、セイヤは知っていた。彼ら魔界の人々を守るために誰よりも戦い続けて生きた一人の少女を。彼女の生命の輝きは、セイヤにとって憧れであり、そして――愛おしいと思うものだった。


「助けないとな」


 守ると約束したのに、守れなかった少女がいる。戦う理由なんて、それだけで十分だと思う。


「約束を破るやつは最低だからな」


 大嫌いな父の言葉を思い出す。


『悪意には悪意を。善意には善意を。苛められたら苛め返せ。助けられたら助け返せ。絶対に恩もあだも踏み倒すな。仇を踏み倒せば損をするし、恩を踏み倒せばそれは悪だ。踏み倒した分だけ、より大きな悪に踏み倒される。いいか、最後にもう一度だけ言うぞ』


 ――世の中ってのは、意外な事に平等だ。


 イリーナは己に善意を見せてくれた。魔神は己の悪意を見せてきた。例え己が異邦人であり、この世界から見たらイレギュラーだとしても関係ない。


「イリーナは助け出す。魔界も救う。魔神を倒す。そうだ、俺は――聖剣に選ばれた勇者だから」


 強大な魔力が敵の城からあふれ出している。その力はかつて感じた魔王や邪神ミスト以上の力だ。だが関係ないのだ。


 倒す、そして救う。考えることは、たった二つ、これだけの簡単なことなのだから。






 牢屋に捕えられたイリーナは、窓の外から聞こえてくる剣戟の音で、戦争が佳境に入ったことを感じ取った。すでに見張りをしていた魔人も戦場に駆り出され、外の喧騒がよく聞こえてくる。


「やっぱり駄目ね。魔力そのものが封じられてるのかしら」


 ガチャガチャと手首にかけられた手錠をどうにかしようにも、上手く魔力が練れない。魔力のない自分はただの女であることを否応なしに実感させれる。


「……みんな、無事だといいのだけれど」


 状況はある程度把握していた。というのも、キキョウと名乗る女性が頻繁に牢屋にやってきて、逐一報告してくれるからだ。


 すでにセイヤはミスト達と合流していることも、そして外の戦いがミスト軍による侵攻であることも報告されている。


 これが最後の戦いになるだろう、とキキョウは言っていたが、正にその通りだろう。長く続いた魔界の命運をかけた戦いは、ついに終局まで来ているのだ。


 その戦いの舞台に自分が立てていないことが歯がゆく、こうして脱出のために動いているものの成果は見られなかった。


「無駄な真似をしているな」

「っ!」


 鉄格子を挟んだ先に現れた男は、イリーナに気配一つ悟らせることなくその場に現れた。あまりに唐突の出来事にイリーナは息をのんでしまう。


 現れたのは魔神。依然としてフードを被っているせいでその顔は見えないが、その瞳には憎悪の炎が宿っていることが分かる。


「貴様には貴様の役割がある。それまで大人しくしておくがいい」

「女性をこんな牢屋に閉じ込めて役割があるだなんて、魔神というのはとんだ変態だったのね」

「くだらん」


 魔神を挑発してみるも大した反応は見られない。ただその声はどこか聞いたことのあるような気がする。だが、頭に靄がかかったように思い出せないでいた。


「こんなところにいてもいいのかしら? 外ではもう戦いは始まってる。純粋な戦力で言えば魔神である貴方がいなければ、この程度の城すぐに陥落するわよ」

 

 目の前の魔神の力は強大だ。セイヤと二人がかりですら敗北するような相手に、ほんの少しでも情報が欲しいと思い、挑発を繰り返す。


「かまわんよ。しょせん魔人など、この魔界を侵略し、絶望させるための駒でしかなかったからな。もはや用済みだ」

「駒……? 貴方のために死んでいく兵士達に対して、そんな思いでしかないの?」


 思わず口調が厳しくなり、目の前の魔神を睨み付ける。確かに魔人達はみな残酷な敵であるが、この神のために死んでいった者達も大勢いるのだ。


 その主がこれでは、あまりに報われないではないか。


「くひ!」


 一人の王として許せない思いで目の前の邪悪を睨み付けた瞬間、魔神はまるで人が変わったかのように嗤いだした


「ククク、カッカッカッ! カーカッカッカ!」

「――っ!? 何がおかしいの!?」

「くひひ! 我は前回の事で学んだのよ! 使った駒はキチンと処分せんと、すぐ逆らう! ゆえに役目を果たした以上、逆に死んでもらわねば困るというものだ!」


 それまでの落ち着いたものとは違う、醜悪に歪んだその声色は見ているイリーナをぞっとさせる。


 ――これは、なんだ?


 強大な魔力を持って生まれたイリーナにとって、これまで恐怖を感じる相手などいなかった。自分よりも強い相手はいつも、彼女の味方だったからだ。


 だがこれは違う。魔力の量もだが、その中身があまりにも醜悪だった。だというのに、この醜悪な魔力の中に感じる、懐かしいような何か。


 イリーナは、この魔力を知っている。だが、信じられない。少なくともこの魔力の持ち主は、彼女の知る限り誰よりも魔界を愛し、魔族を愛した人なのだ。


「貴方は……貴方は誰!?」

「くひひ、そう睨み付けるな。なあ――」


 そう言って魔神は身にまとっていた外套を脱ぐ。その姿を見たイリーナは、信じられないと目を見開く。


「――っ! なん……で……」


 その男は人とは思えないほど、あまりに美しかった。白銀の髪をまるで女性のように長く伸ばし、漆色の軽防具はその銀を更に輝かせる。何より目を引くのは、まるで神話の堕天使のように伸びた片翼の羽根。


 この純然たる魔力で出来た羽根は、魔界における伝説の象徴だ。


 かつて世界を滅ぼそうとした邪神を地上の勇者と共に封印し、この世の全ての光を吸い尽くさんとするほど黒い剣を持って、混沌とした魔界の闇を切り裂いた魔界を統一した歴史上もっとも偉大な王。


 そして、イリーナにとって伝え聞く地上の太陽のように大きく暖かな存在。


「お父……様?」


 魔界の王にして、イリーナの実父である存在――魔王クロノがそこに立っていた。

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