第10話 魔神について考察せよ!

 魔界の情勢はこの数年で一変した。


 かつて魔王クロノによって一度は統一されたこの地は、魔神という新たな支配者によってその八割以上を失うこととなる。その後は地上より現れた支配者であるミストの手によって、更にその勢力は大きく塗り替えられることとなった。


 もはやかつて魔王クロノが支配していた地域は全て両者によって奪われ、三つ巴だった勢力は二分化されている。しかしそれも、ほとんどがミストの支配下であり、魔神の支配地域は大陸の西のわずかなものだった。


 そして今、その最後に残った地域すらも支配しようと、ミスト率いる暗黒教団は魔神軍へと襲い掛かろうとしていた。





「……つまらん」


 ミストは一人、己の天幕でふてくされていた。


 すでに戦端は開かれそれなりの時間が経っている。外から聞こえてくる雄叫びは、戦いの激しさを物語っているのだろう。


 当然、自分もその戦場のど真ん中で華々しく活躍をしているはずの時間帯だ。だというのに、ミストは今戦場にいない。


「旦那様め。なぜ私がこんな後方で待機しなければならんのだ」


 トール曰く、魔神の力が想定以上だったため、ミストの力を温存する必要があるとの事だ。


 しかし昔と違い、今のミストは己自身の力が大した物でないことを知っている。その自分が後方に待機したところで何の意味があるというのか。


「そのくせ自分は悠々と戦場へ。全く、これは久しぶりに調教が必要だな。とはいえ……」


 今回の件、トールは今まで以上に警戒しているようにも感じる。昔から暗躍の好きな男であったが、戦力的に優位な立場になってきたここ最近は、あまり見なかった様子だ。


「別に……正直に話せば許してやるというのに……まったく旦那様は」


 トールが暗躍をするときは大抵、自分を危険に巻き込まないときだった。そのくせ、己の身の危険に関しては無頓着なのだからタチが悪い。


「一体どれだけ私が心配しているのか、わかっていないのだ。だからすぐ命を賭けたりするし、怪我して帰ってくる」


 昔の、己の力ですべてを薙ぎ払ってきたと思い込んでいた時は気付かなかったが、今ならわかる。トールはいつも先陣を切り敵の情報をかき集め、そして有効な手立てを持ってから敵を倒す。


 ――ミストが気持ちよく敵を蹂躙できるように。


「……優秀すぎる副官というのも、考えものだな」


 これまで与えられた物が大きすぎて、ミストですら彼に返せる物が思いつかなかった。もちろんトールは家族だから、今誰よりも幸せだから何もいらないと言うのはわかっているのだが、それではミストの気が晴れないのだ。


「……今度マリアのやつに、男の悦ばせ方でも聞くか」


 ――私はまだ処女ですからミスト様!


 そんな叫び声が聞こえてきそうだが、あえて無視する。外から聞こえてくる戦場の音がかき消してしまうのだ。


「しかし、いつまでも私を抑えられると思うなよ旦那様? 早くしないと、勝手に出陣してしまうからな」


 トールに何度も念押しされなければ、とっくに戦場に出ているところだ。


 すでにヤマトとカグヤは遥か後方、中央大陸の魔王城に置いてきている。そして自分まで後ろに置いていく以上、今回はよほど厳しい戦いになると予想しているのだろう。


 天幕から外に出て戦場を見下ろす。血と肉が飛び交うその先には巨大な城壁がそびえ立っていた。


「いいさ。ちゃんと従ってやる。だから、無事に帰ってくるのだぞ」


 視線の先にいるであろうトールに向かって、ミストはそう呟くのであった。





 件のトールはといえば、戦場を背に一人城壁を突破し、すでに魔神がいるであろう居城へと侵入を果たしていた。

 

「さてっと。ここまでは順調だな」


 かつては別の魔族が使っていたであろう城は、敵の侵入を防ぐためというよりは、その財力を見せつけるような造りになっている。


 おかげで複雑な道もトラップらしき物も存在せず、城壁を抜いてからはそう時間をかけずに進むことが出来た。たまに遭遇する魔人は叫ばれる前に潰し、奥へ奥へと進んでいくと、一人の女性が目に入る。


 かつて戦場でまみえた、魔人軍の女将軍キキョウだ。彼女は近くの魔人達に細かい指示を出している。


「っ……」


 かつてミストの親衛隊達が捕縛にあたり、逃げられた相手だ。そこらの雑魚とは違う。それこそ遠目で見ていた限りでは、聖剣の勇者であるセイヤに匹敵する実力を有していた。


 流石に敵の居城でアレを相手にして、無傷でいられる自信はない。そっと気配を消し、キキョウがいなくなるのを息を潜めて待つ。


「行ったか……」


 キキョウの気配が遠くなったことを確認したトールは、一気に城の中を突き進む。


 今回のトールの目的は二つ。


 一つは魔神の情報を収集し、万全の体制で戦いに挑むこと。そしてもう一つは、魔王イリーナの救出である。 


 幸い、何人かの口の軽い魔人を拷問することで、イリーナが無傷で地下牢に囚われていることは確認できた。


 どうやら魔神はイリーナを何かに利用するつもりらしい。その中身までは末端の兵士では知らされていないので分からなかったが、しばらく時間に猶予があることだけは確かだ。


 となれば、あとは魔神の情報である。


 これまでの魔界での戦場や支配地域を見ていけば、かの魔神が万全の状態ではないのは予想できていた。問題はそれがどのレベルなのか、そして魔神の最終目的は何なのか。


「最低でも、この二つくらいは確認しておきたいんだが」


 魔人達が掲げる魔族の殲滅、という割にはやっていることが矛盾しているのだ。確かに魔族の心を折り、一切の抵抗を許さず家畜のような扱いはしていたが、殲滅が目的なら殺さない理由はない。


 かといって魔界を支配する、というのもまた違う。支配とは搾取である。飼い殺しにするような真似は資源を無駄に使うだけで、百害あって一利なしだ。


 魔神の目的は殲滅ではない。そして支配でもない。とすれば、自ずと答えは見えてくる。魔神にとって魔界を蹂躙し、手に入れる物。それは――


「畏れ……そして信仰か」


 地球では神は空想上の存在として認知されてる。だがしかし、この世界には『神』と呼ばれる存在は確かにいるのだ。


 トールはこれまで、敵は魔神などと名乗っているが、所詮は大きな力を持った魔族か何かだと思っていた。しかしいくら強い魔族であっても、聖剣の勇者であるセイヤを正面から破ることなど出来るだろうか?


 不可能。それがトールの出した結論である。少なくとも聖剣の勇者であるセイヤは、人類を超越した力を持っている。魔族の中で突然変異が現れたとしても、彼を圧倒できる生物がいるとは思えなかった。


 これまでの魔神軍の行動に当てはめてみると、本物の神である可能性が見えてくる。


「神……か」


 神にいい思い出はない。なにせトールにとって思い出すのは、最愛の女性を乗っ取った邪神なのだから。


 まともなやり方では神は倒せない。事実、邪神を滅ぼすために、トールは凄まじい遠回りをしたものだ。存在を否定し、存在の矛盾を突き、そして存在そのものをなかったことにする。


 そのための暗黒教団。そのためのミストファンクラブ。神以上の圧倒的信仰を持って、神と戦う術を得たのだ。


 何年も入念に準備を整えた。だからこそ、歴史上誰も成し得なかった神殺しに成功した。


 だからこそ、魔神と名乗る者が本物の神なのだとしたら、不味いかもしれないと思う。今のトールには、神と戦うには情報が足りなさすぎるのだ。


「信仰は潰すことが出来る。だが、畏れは……」


 窓の外では暗黒教団が魔神軍を攻め立てている。パッと見た限り、戦況は優勢だ。だがトールは戦場で戦う魔族達が未だ、敵である魔神達を恐れていることを知っていた。


 ――与えられた心の傷痕はそう簡単に消えるものではないのだから。


 そしてもしそれが魔神の力の糧となるのであれば、不味いかもしれない。


「今の時点で勇者を圧倒出来るやつが更に力を付けたら……はは、勝てる気しねぇ」


 トールは苦笑しながら、頭の中で思考をフル回転させる。現状では情報が足りないが、それでも何とか勝つための光明を探し続ける。


 そして一つの事柄に気付いた。


「今セイヤより強いやつが、なんで戦場に出てこない?」


 まだ目標にしている力まで届いていないから? それとも――


「……力を発揮できない状況にある?」


 そう呟き思考を整理させていく。これまでの魔神がとってきた行動の矛盾点を思い出しながら、一つ一つ、勝機を探していくのだ。


 勇者であるセイヤを見逃したのは何故? 敵であるイリーナを幽閉しているだけで殺さないのは? 今も戦場に出てこない理由はなんだ?


 過去を遡り、魔神が現れたところまで思考を戻す。


「……魔神はこの世界で全力を出せない? 違う、おそらく依代になった今の体を使いこなせてないんだ」


 信仰だけでは駄目なのだろう。畏れだけでは駄目なのだろう。神は神として地上に現れるためには、依代が必要だ。


 それはかつて邪神によって選ばれた、ミストのように。


「もしそうなら、チャンスはある!」


 トールは駆け出すスピードを一気に上げる。目指すは城の最奥、魔神がいるであろう玉座である。


 時折トールに気付いた魔人達が邪魔をしてくるが、すれ違いざまに潰していきながらそのスピードを緩めない。


「見えた!」


 そうして王の間へと続く階段を駆け上がり、一気にその巨大な扉をこじ開ける。


 そこには――


「いない!?」


 主を失い、もぬけの殻となった王座が一つ存在するだけだった。

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