第12話 魔神の正体を看破せよ!

「くかかかか、久しい再会だな我が娘よ」

「――っ! 違う!」 


 魔王クロノは嗤う。その嗤い方はあまりにも醜悪で、歪で、とても優しかった父の姿とは重ならない。だがその見た目は間違いなくクロノそのもの。


「くひひっ! 違うものか、この体は魔王クロノそのものだ!」

「そう……そういうこと。魔神なんて存在がいきなり現れたかと思ったけど、そうじゃなかったのね」

「おっ? なかなか敏いな」


 イリーナの言葉にクロノが面白そうに嗤う。


「かつてお父様はセイヤと、そして地上の王との戦いに敗れて死んだと聞いた。その際、地上の王には一柱の神が宿っていたと聞いているわ」


 イリーナは父の死に際を、直接戦ったセイヤから聞いていた。壮絶な戦いだったはずだ。魔界で猛威を振るっていたセイヤですら、ほんの少し間違えれば死んでいても可笑しくなかった戦い。


 正に地上、魔界合わせた世界最強を決めるに相応しい頂上決戦だったという。


「そんな三つ巴の戦いは、最終的にその地上の王によって終結される。強大にして邪悪な神の力を持って、勇者も魔王も共に下した」

「その通り!」


 魔王クロノはイリーナの言葉を嬉しそうに聞く。


「……セイヤは言っていたわ。あの力は間違いなく自分たちを殺す一撃だったと。だけど彼は生き残った。手に持った聖剣が、全力で守ってくれたから」


 そう、最終的にセイヤは生き残った。それはまるで運命に愛されていたかのように、確実に死んでいたはずの逆境で生き残ったのだ。


「流石に怪我も大きくて、しばらくは動けなかったそうだけど、彼は生き延びた」


 であれば、互角以上の実力を持ち、そして聖剣と相反する力を持った魔剣を持ったクロノだけが死ぬのは可笑しくないであろうか?


「生きて……いたのね」

「ああそうとも! 生きていたのだよ、魔王クロノはな!」


 仰々しく両手を広げて、クロノはらしくない笑みを浮かべる。だがイリーナの言っている「生きていた」は決してクロノの事を言っていたわけではない。


 そう、彼女が言ったのは――


「生きていたのね……邪神!」

「くかか……かかかかか!」


 笑う、哂う、嗤う。邪神は醜悪な笑みを浮かべて嗤い続ける。鉄格子を握り、耐えられないと言わんばかりに声を荒げ続けるその姿はまるで、この世のすべての悪を収束したような、心を荒ませる酷い嗤い方だ。


「ひーひっひっひ! ひっひっひっひっひ!」

「……なんて、こと」


 イリーナはこれまで、魔神といっても突如現れた魔族の一人だと思っていた。しかし違う。これは神だ。邪に属するとはいえ、正真正銘の神。


「邪神、貴方……奪ったのね! お父様の身体を!」

「そぉぉぉとも! くかか、千年以上も前からずっと狙っていたのだ。全く忌々しい男であったが、最強を冠する相応しい男であったさ。いつかこの身体を奪って、顕現しようとずっと思っていた!」


 神が地上に顕現するには、依代が必要となる。かつて千年前の邪神がそうしたように、そしてミストに憑りついたように。


「ミスト・フローディアは依代としての相性こそ良かったが、所詮は普通の小娘。我の力を存分に振るうには身体が耐え切れん。もっとも、それでも地上を焼き払うことくらい造作もなかったが、この身体は違うぞ!」

「くっ――」


 魔神から魔力があふれ出す。それは魔界全土を見渡しても追随する者がいないイリーナすら軽く凌駕していた。


「どうだ、素晴らしいだろう!? 流石に完全とはいかないが、十分すぎるほどの肉体性能だ! 神の力をここまで引き出せる者は、早々見つかるものではない!」


 その言葉の通り、イリーナは目の前の存在に勝てるイメージが湧かなかった。


 魔王の体を邪神が乗っ取る。それによって生まれた、歴史上類を見ない最低最悪の存在――魔神が生まれてしまったのだ。


「とはいえ、ここまで力を取り戻すのは容易でなかったぞ? 地上はミストとトールのせいで我の畏れや信仰は完全に消し去られ、魔王クロノの精神力は流石の一言。魔界で恐怖をまき散らし続け、ようやく自由に体を動かせるようになったくらいだ」


 神とは概念である。信仰心の強い信者が多ければ多いほど力を増し、逆になれば弱っていく。かつてトールはその事象を持って神の力そのものを奪い取り、邪神を滅ぼすことを画策した。


 実際、それはほとんど成功した。ただ一つ誤算があったとすれば、邪神はトールが思う以上に慎重にして周到な性格をしていたことだろう。


「あの時、トールは我が滅ぼされる事を確信していたようだが甘かったな。千年前、忌々しい勇者とクロノによって封印されたとき、我は悟ったのだ。人を、魔族を甘く見てはいけなかったと。故に、我が力の種を蒔いておいたのだ!」

「神ともあろう者が、ずいぶんと弱気なのね」

「それだけ貴様らを認めているという事だ。だがまあ、前回は流石に予想外でもあったがな。まさか我が力を与えた眷属を丸々簒奪するような事を画策されるとは、思いもよらんかったぞ。おかげで本気で滅ぼされかけた」


 実際、ミストの中にいた邪神は完全に滅ぼされたのが現実だ。だが邪神はかつて封印される直前、地上の勇者と魔王クロノ、二人の中に邪神の種を蒔いていた。


 そうして瀕死だったクロノの身体を乗っ取って、再起を図ったのだ。もしこのときクロノの身体が万全であれば、邪神は逆に力を奪われるか、完全消滅していたことだろう。


「だがそのおかげで我はここにいる。魔神として、かつての邪神の力すら大きく超えた存在としてな!」


 魔神の名は今や恐怖の代名詞として魔界全土で広がっている。蹂躙された街々の者達はみな、畏れているのだ。例え一時解放されたとしても、そこにつけられた心の傷は決して消えはしない。


「だから貴方は魔族を殺さず、心を折るように蹂躙だけしていたのね!」

「そぉぉぉとも! ひひひ! あぁぁ、あの恐怖に怯えた感情、最高の味だともぉぉ」


 再び魔神は歪に嗤う。冷静な顔を見せたと思えばこうして異常者のように叫ぶこともあり、その姿はまるで情緒が安定しておらず、埒外の魔力を合わさって不気味さを増していた。


「そんな――そんなことのために! くっ!」


 思わず鎖で繋がれるのも忘れて、魔神に食って掛かる。暗い牢屋の中で鈍い金属音が響くも、そんな程度で解放されるわけもなく、白い手首からは紅い血が流れる。


 普段の冷徹な瞳とは打って変わり、憎悪を込めて魔神を睨み付ける。


 イリーナは魔界を愛していた。例え己の力の受け入れ先がなく、封印されることとなっても、この生まれ故郷を愛していたのだ。


 彼女にとって、魔王クロノは良き父だった。魔界の住民たちはみな、イリーナを愛してくれていた。封印から解き放たれた彼女は、そんな魔界を守りたいと思っていた。


 それがどこからともなく現れた神などという存在によって、全てを奪われた。父を奪われた。愛する大地を、民を全て奪われた。


「ヒッヒッヒ!」

「――っ! 殺してやる! 殺してやる!」


 水晶のように美しいサファイアの瞳は今、憎悪の炎によって歪まされ、白い肌は興奮によって紅潮しきっていた。


 そんなイリーナの姿を見下す魔神は、心底楽しそうに見下していた。


「無理だとも。貴様には役割があると言っただろう?」


 そう言っていきなり己の手首を軽く斬った魔神は、取り出した一つのグラスに自身の血を注ぐ。すぐに満タンになったそれは、超々高純度の魔力の塊であり、そして魔神の力そのものである。


 その禍々しい魔力は、怒りに支配されていたイリーナすら正気に戻させられる。聡明な彼女には、これから行われる行為が理解出来てしまったからだ。


「貴様は我が依代の一つとして、生まれ変わるのだよ」


 もはや用済みだと言わんばかりに、牢屋の鉄格子が切り落とされる。そうして紅い血のグラスを持った魔神は、鎖で繋がれたイリーナの前に立った。


「クカカ、なんだその反抗的な目は?」


 魔神はイリーナの頬をはたく。


「っ――!」


 唇を切った彼女だが、口に含まれた血をそのまま魔神の顔に吹き付けた。そうして馬鹿にしたように、魔神を鼻で笑う。


「ふふ、血で濡れて少しはいい顔になったわね。元がお父様の顔とはいえ、美形ではあるけど性根が腐ってるから今は醜くていけないわ」

「くくく……貴様、希望を持っているな。自分ならこの血に染められることもないと、そう思っているんだろう? 全く愚かしいことだ。人風情が、神に逆らえるはずがなかろう」


 そんな最後の抵抗も、魔神の感情を揺らすことは出来なかった。


「さあ、飲め。そして――我が眷属として、我が依代として生まれ変わるがいい!」

「誰が!」


 無理やり口元に寄せられたグラスを飲まないよう、必死で抵抗するも魔神の力だろう。無理やり口を開かされ、そして――


「ふ、ぐぅ……んんん、んんんんんあぁぁぁぁ!」

「ひひひ、ひーひっひっひ!」


 暗い牢屋の中で、しばらくの間少女の慟哭と魔神の嗤い声だけが響き渡ることとなった。

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