三島柚葉③

「もし吉田センパイがいなくても、仕事って回っちゃうと思いますよ?」

「な……」

 すぐに反論しようとしたが、俺は言葉に詰まってしまう。

 自分がいなくても、仕事は回るのだろうか。考えたこともなかった。

 正直、俺は職場ではかなり頼られている方だと思う。5年間でかなり多くの業績を残したし、ここ数年で俺の携わったプロジェクトは大抵黒字を出していた。

 自分がいなくては仕事は回らない! と、勝手に思い込んでいたが、その逆を想像したことは一度もない。

「へへ、まあ、吉田センパイいなかったらヤバイとは思いますけどね」

「……ああ」

「でも、多分ヤバイだけで、なんとかすることはできると思うんですよ」

 三島が、一人でうんうん、と頷いて言葉を続ける。

「だから、そういった意味では、普段から頑張ってる人がへばっちゃったときのためにスタンバイしてる人が必要かなぁって思うんですよ」

「……それが、お前だと?」

「そうで~す」

 三島は右手でブイサインを作って、にこにこと笑った。

 そのまったく悪気のない笑顔に、俺は溜め息をつく。

「上司としては、できるならしっかりやってくれよって思うけどな……」

「今日はしっかりやったでしょ?」

「まあ、そうだけど」

 俺は苦笑して、グラスを空にした。

 酒の場で説教する気はない。やればできるやつだというのが分かっただけでも、上々だ。

「でも、吉田センパイって本当に優しいですよね」

「は?」

 三島の言葉に、顔をしかめる。

「俺が?」

「そうですよ。だって私のことちゃんと叱ってくれるでしょ」

 三島は言って、俺をじっと見た。

「言っても出来ない人を叱るのって疲れるでしょ」

「分かってんなら叱らせんな」

「普通ね、数回言ってダメだったら『ああこいつはダメだ』ってすぐ見限るものなんですよ。私に優しい上司だって、それは私に好かれるっていう『メリット』を求めるからそうしてくるだけであって」

 そう続ける三島は、いつものへらへらした雰囲気とは異なった雰囲気をまとっていた。

 達観しているような、冷めているような。こういう顔も、するんだな。

「でも、吉田センパイは、いつも全力で怒ってくれます」

「お前がほんっとうに学習しないやつだからな」

「へへ、照れる」

「褒めてねぇ」

 三島はくすくすと笑って、自分のグラスを空にした。

「あ、店員さぁん。同じのください」

 勝手に俺のグラスも回収して、三島は酒を追加注文した。

「まだ飲むのか」

「飲まないんですか?」

「飲むなら付き合う」

「へへ、付き合ってください」

 こいつ、案外飲めるクチだな。

 カクテルを注文するあたりあまり強くないのかと思ったが、このペースで二杯目を注文するということはそれなりに自信はあるということなのだろう。

「あー、話の続きなんですけど」

 三島が、髪の毛をいじりながら、言った。

「えっと……その、そういうわけなので」

 妙に、もじもじとしている。急にどうした。催したか?

 俺が訝し気に見つめていると、三島は斜め下に視線をやりながら頰を赤く染めた。

「私の教育係は、吉田センパイじゃないと、嫌なので」

「あ、そう……」

 なぜそこで照れる。そう照れた様子で言われるとなぜかこちらも恥ずかしくなってくるのでやめてほしい。

「なので! 本当にやばそうな時だけは頑張ります!」

「いや、だから普段から頑張ってくれよ!」

 俺が声を上げると、三島は可笑しそうにくすくすと笑った。

 今後もこいつがあまり仕事に本気を出さないであろうことは想像がつく。

 が、まあ、それにしても。

 店員が持ってきたおかわりの酒に口をつける三島をちらりと見やる。

 何も知らずにイラついているよりは、こいつのことを多少は知ることができたのは良かったかもしれない。

 俺は一人、口元を緩めて、まだ泡の残った真新しいビールをぐいと呷った。

「あ、そういえば」

 三島が口を開く。

「吉田センパイ、最近毎日髭剃ってますよね」

「あ? それがなんだよ」

「いや、彼女でもできたのかなって」

「はぁ……?」

 俺が眉根を寄せると、三島は手をぶんぶんと横に振って付け加えた。

「いやいや、だって今までは三日にいっぺんくらいだったでしょ? それが最近突然毎日剃り始めたから。彼女ができて、そういうの気にするようになったのかなとか思って」

「お前、そんなに俺の髭見てたのか」

 訊くと、三島はボッ、と急速に顔を赤くした。

「み、見てないですよ! ひとを髭フェチみたいに!!」

「いや別にフェチとまでは言ってねぇだろ」

「いつも怒られるからつい口元ばっかり見ちゃうだけなんです! 変な気持ちは一切ないですから!」

「なんだよ髭に対して変な気持ちって」

 やっぱり髭フェチなんじゃねえのかこいつ。

 鼻を鳴らして、俺は答える。

「彼女なんかいねぇよ。フられたばっかりだしな」

 すると、三島はきょとんとして、口を半開きにした。

 なんだその顔は。

「え、フられたって? 誰に?」

「後藤さんだよ、後藤さん」

「後藤さんですか!?」

 三島がやけに大声を出した。

 隣の席のサラリーマン二人がちらりと三島を見る。彼女もその視線に気付いて、こほんと咳払いをした。

「……ああいうのが、好きなんですか」

「悪いかよ」

「あの、ドカーン! キュッ! ズドーン! みたいなのがいいんですか」

「そうだよ」

「へぇ……」

 三島は目を細めて、渋い顔をした。お前に俺の好みは関係ないだろうに。

「でも、フられちゃったんですね。ドンマイです」

「うるせーよ。安い同情すんな」

「いやいや、同情なんてしてないですよ」

 三島は渋い顔から一転、にこりと笑った。

「むしろラッキー! って思ってます」

「は?」

 俺が訊き返すと、三島はごまかすようにカクテルをぐいと呷って、グラスを空にした。

「店員さぁん」

「いや、早いだろお前」

「まだまだ飲みますよ」

「あ、そう……」

 付き合うと言ってしまったからには、ここで俺だけ飲まないわけにもいかない。

 やれやれ、財布に金入ってたよな。溜め息をついて、俺もペースを早めてビールグラスを傾けた。


 三島に〝彼女〟と言われた時。少し、脳内に沙優の顔が思い浮かんだ。

 髭を剃るようになったのは、あいつに言われたからだったなぁ。

 ぼんやりとそんなことを思ったが、ビールを呷ったらすぐに忘れた。

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