三島柚葉②

「へへ、おつでーす」

「おう……」

 わいわいと賑わう料金均一居酒屋の中。三島がこつんと、俺のグラスに自分の持つグラスをぶつけてきた。

 仕事終わりに、なぜか俺は三島と二人で吞みに来ていた。

 三島はカシスオレンジの入ったグラスを傾けて、こくりと一口飲んだ。俺も、生ビールを喉に通す。喉がぎゅっとしまり、爽快感が脳へと抜けてゆくような感覚を覚える。

「いやー、良かったですねぇ納品できて」

「そうだな」

 俺は苦笑して、ぐいともう一口、ビールを呷った。


 数時間前。

 驚くことに、三島はまったく修正箇所のないデータを俺に提出してきた。

 どうせ修正作業は夜までかかって、しかもまともなデータではないのだろうとまったく期待せずに待っていたので、俺は目を丸くしてそのデータを見たのだった。

 三島が素早く修正データを提出してきたおかげで俺も自分の仕事に専念でき、今日はあっさりと退勤することができてしまった。

 そして、三島が突然言い出したのだ。

「吉田センパイ、お酒とかどうですか」

 まさか、ふだん散々怒鳴りつけている後輩から飲みに誘われるとは思っていなかった。

 一瞬沙優の夕飯の心配をしたが、おそらくあいつは自分で何かしら作って食べるだろう。非常用の金も家に置いてきてはある。

 まあ、たまには良いか、と。俺は後輩の誘いに、首を縦に振った。


「それにしても、お前、集中すりゃあんだけできるなら普段からやってくれよ」

「ふぇ」

 三島に言うと、三島は焼き鳥を口いっぱいに頰張っているところだった。

「ふぁんはらはんはっへはら」

「あー、あー、飲み込んでから喋れよ」

 三島は慌てて口の中の鶏肉をもぐついた。

 アルコールが少しずつ体内に回っているようなぼんやりとした感覚に気持ちよさを覚えながら三島が必死に咀嚼している様子を眺める。

 肩につくか、つかないかくらいの栗色の髪の毛。毛先は内側にくるりとカールしている。目はぱっちりと丸く、鼻も口もちょこんと小さい。いわゆる、『可愛い系』というやつだ。

 上司との飲み会で何度も名前が出る程度には、彼女の容姿は〝オッサン達〟には評価されていた。きっとこの会社に入社できたのも、この可愛らしい容姿が手伝ってのことなのだろうと思う。

 案外、同じくらいのスキルを持った新卒が何人もいた場合、容姿で採用しちまうことも多いらしい。会社のオッサン達も、目の保養を求めているということなのだろう。

「な、なんですか」

 ぼーっと三島を眺めていると、いつの間にか三島は口の中身を処理し終えたようで、困ったように視線をきょろきょろと動かしながら髪の毛をいじった。

「ああ、すまんすまん」

 よくよく考えれば、食っているところをまじまじ見られたら落ち着かなかっただろう。

「いや、お前、もっと仕事できればモテるんだろうなと思って」

「えー、そうですかぁ?」

 三島は少し舌足らずな声で言った。

「仕事できない方が可愛がられますよね、あの会社」

「は?」

 俺が顔をしかめると、三島はけらけらと笑った。

「ほんとですよ、ほんとほんと。私のこと本気で叱るのなんて吉田センパイだけなんですから!」

「まじか。他のオッサンは? なんも言わねぇの?」

 俺が訊くと、三島はキリッとした表情と、妙に野太い声を出す。

「『しょうがねえな、俺に任せとけよ』って。キメ顔で」

「うっわ、誰だよそれ。オッサンが気持ち悪ぃな。誰だよ、言ってみ?」

「……小野坂部長です」

「うっは! 最高!」

 俺はバンバンと机を叩いて、肩を震わせた。

 小野坂部長と言えば、同期の間では『むっつり二次元バーコード』と呼ばれている〝人気者〟である。以前彼の仕事用PCがフリーズし、橋本がそれを直してやったところ、そのフリーズの原因が『絶対に抜ける! 厳選アニメまとめ』にアクセスした際にもらったウィルスだったと判明したことと、彼の毛髪事情が絡み合いその呼び名が定着してしまったのだ。

 何度か新入社員にちょっかいをかけているという話は聞いたことがあったが、三島も被害者の一人だったようだ。

「なるほど、バーコードがなぁ……」

「ちょ、バーコード言ったら可哀想ですよ」

 そう言いつつも、三島もくすくすと笑っている。

「それでつまり? それは、上司に気に入られるためにテキトーやってるってカミングアウトだと受け取っていいわけか」

 俺が急に真顔になってそう言ってやると、三島はきょとんとして首を横に振った。

「まさか。どうでもいいですよ、そんなの」

「じゃあ、なんだよ。やりゃできるなら、やってくれよ」

「そうそう、さっき言おうと思ったんですけどね」

 三島はまたグラスを傾けて、鼻から息をスッと吐いた。

「普段から頑張ってる人って、さらに頑張らなきゃいけない時、どうするんですかね」

「……うん?」

 三島の言っている意味がよく分からない。

「さらに、頑張るんじゃねえの」

「それよりも頑張らなきゃいけなくなったら?」

「それよりも頑張るんだろ」

「あはは、死んじゃいますってそんなのぉ」

 三島は手をひらひらと振って、焼き鳥のネギだけを口に放り込んだ。

「ふはんひはらほふいへふはらほほ」

「だぁから飲み込んでから話せっつの!」

 俺が半笑いで指摘すると、三島はまたあわててネギを嚙んだ。

 ごくりと飲み込んで、ふう、と息を吐く。

「普段力を抜いてるからこそ、必要な時に本気出せるんじゃないですか?」

「うちの会社のスケジュールは常にケツに火がついてんだよ。仕事してりゃ分かるだろ? 必要な時とか言うけどな、そんなん毎日だろ」

「えー、そんなことないですって」

 鼻を鳴らして、三島は人差し指を立てた。

「だって、私いなくたって仕事は回るでしょ?」

「そりゃ、新人だしな」

「んー、多分ですけど」

 俺の言葉に、三島は目を細めて、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

「もし吉田センパイがいなくても、仕事って回っちゃうと思いますよ?」

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