第4話 ミテルノ




「はい……申し訳ありません。事件に巻き込まれまして……」

「事件? 加害者側じゃないだろうね?」

「ええ……被害者側ですが……」

「困るんだよね、無断欠勤だよ」


投げ捨てた携帯電話は警察に届けられていた。俺が脱ぎ捨てた服も、投げ捨てた鞄も警察が保管していたようで、最寄りの警察支部に行って俺はそれを取り戻した。

何故服を脱ぎ捨てながら走ったのかについて小一時間問い詰められた。「目がこっちを見ていたから恐ろしくなって」と繰り返すと尿検査で薬物の検査までされた。

単なる異常者扱いに俺は苛立ちを募らせる。

俺が駅のホームで突飛ばされた件についての捜査はまだ進んでいないらしかった。

そして取り戻した携帯で上司に電話すると案の定ぶつぶつと文句を言われた。


「ちっ……」


家に帰る道中、もうすっかり夜中になってしまっていた。

アパートのゴミ捨て場を横切ったとき、何かがガサリと動いたような気がした。

ヒヤッとしてゴミの方を見ると、ただそこには俺が捨てた黒いゴミ袋が積みあがっているだけだ。


――猫か何かか……気にしすぎだ……


俺が無視して通り過ぎようとすると、再び、はっきりと『ガサリ』と音がした。そしてドサッと摘まれていた中の一つが一番上から崩れ落ちて下に落ちる。


「うわっ……!」


その落ちたゴミ袋を凝視する。


――なんだってんだよ……違う。バランスが崩れて落ちただけ……


その通りのようだった。

ゴミ袋を凝視して何十秒か経ったが、特に何もその次に続くような音はない。


「はぁ……」


再び俺が足を踏み出そうとすると、またガサガサと音がした。

不気味なその音に俺は耐えられずに右足を踏み出し、右足の次は左足を踏み出し、そして右足を踏み出す。足早に。


「 ミ テ ル ノ … … 」


そのゾッとする声に俺は足が止まる。立ち去りたいのにどうしても後ろが気になってしまう。季節の暑さもあいまって、俺は汗が噴き出した。


がさがさ……ガサガサガサガサ……


「 ミ テ ル ノ … … … … カ オ … … ヲ … … 」


ふり返ってはいけない気がした。

しかし、俺は歯を食いしばってその声のする方を見る。すると、ゴミ袋の結び目の隙間から確かに俺の方を『見て』いた。


「!!!」


俺は恐怖で硬直した直後、自分の部屋へと走った。

無我夢中とはこのことだった。


――嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。夢だ。嘘だ。夢だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ


手が滑って上手くドアを開けられない。

後ろを確認するが、ゴミ捨て場からなにかが追ってくるような気配はない。何度も何度も回すタイプの丸いドアノブをまわしていた。


ガチャガチャガチャガチャ……!!


やっとの思いでドアを開けると勢いよく開けて、バタン! と閉め、ガチャリと鍵を閉め、チェーンロックも閉めた。


「はぁ……はぁ……!」


部屋の中に向き直ると、俺は玄関にずるずると座り込んだ。

息が荒いのが収まらない。

もう限界だ。


――俺が何したってんだよ……


すると、玄関の外から


ぺたり……ぺたり……


と音がした。

その音に俺は息が止まった。誰もいないかのように俺は息を止める。その一瞬の音も聞き逃さない様に耳をそばだてた。


ぺたり……ぺたり……


徐々に音が大きくなって行って、ついには俺の部屋の前に止まったらしかった。息を止めて数十秒だろうか。息が苦しいなどと思う間もなく、俺はその緊張感で腕や背中、顔から汗が噴き出てくるのを感じていた。


カチャン……


俺の部屋の、ポストが開いた。


「 ミ テ る ノ 」


真後ろから声がした俺は、ドアから跳ねるように飛び上がり、ポストの方を見て腰を抜かした。

ポストからは長い髪の隙間から見える、目のない顔が俺の方を『見て』いた。


「うわぁああああっ!!!」


バンッ!!!


ポストを無理やり閉めて、開かないように近くにあった傘立てをそのポストの開く向きにつかえさせた。

ガチャガチャとポストの金属部分は開こうとしているのか音を立てている。

俺は逃げ場のない部屋の中へと、這うように懸命に逃げる。

開いていたカーテンをしがみつくように閉める。


「はぁ……はぁ……はぁ……!」


ドアの方のガチャガチャ音が収まったとき、俺は部屋中に視界を凝らした。

半開きの扉が怖くなり、俺は勢いよく閉めた。

和室との境の襖ふすまが怖くなった。

俺は棚の中にあったガムテープを手に取って、和室へと続く部屋をガムテープで閉ざしていく。


ビリッ……ビリビリッ……


あっという間にガムテープが一つなくなった。俺はガムテープがなくなると、掃除のついでに焚いた米を糊のりの代わりとして隙間という隙間を塞ごうとする。

その行為に必死になっている間に、部屋の隙間という隙間にはガムテープや米の糊や、ティッシュなどが詰め込まれ、隙間はなくなっていた。


「はぁ……はぁ……」


俺は静かになったその部屋で疲弊しきって布団の中へと潜り込む。

恐怖感にひたすら震え、早く何とかなってほしいと俺は丸くなって時間が早く過ぎることを祈っていた。


ぺたり……ぺたり……


その、音が部屋の中から聞こえて、俺は身体が石になったかのように硬直した。再び呼吸が止まり、心臓を誰かに掴まれているような感覚に陥った。


ぺたり……ぺたり……ぺたり……


俺の近くまで来て、その音は止まった。


「 ミ テ ル ノ … … … … カ オ … … 」


そして、声もした。


――もうだめだ……!!


そう思ってから、時間は経って行った。

数秒、数十秒、数分、数十分……数えている訳ではないが、確かにそれほどの時間が過ぎた。

俺は恐る恐る、確認してみることにした。洗面台のときのように確認したら、何もないはず。

そう思って俺は布団からゆっくりと顔を出した。

堅く瞑っていた目を開くと


そこには首があり得ない方向を向いている髪の長い女が俺の目の前にいた。


「 … … シ ニ ガ オ … … ミ テ ル ノ … … 」


ゴキッ


俺の首はあり得ない方向にねじれた。




◆◆◆




「4番線に列車が参ります。黄色い線の内側へお下がりください……――――」


その電車の車両には、あまり人が乗っていなかった。

眼鏡をしきりに男は直しながら、女子高生の短いスカートから伸びる脚をチラチラと見ていた。


――たまらない……女子高生の脚……そして少女特有の匂い……


男はごくりと生唾を飲み込む。

早く帰ってこの体感を忘れないうちに私欲にこの女子高生を使い果たしてしまいたい。

そう思うと、男は会社のある最寄り駅にたどり着く。


「はぁ……仕事か……」


ポケットにおもむろに手を入れると、何か硬い感触がした。


――何か入れていたか?


ポケットからそれを取り出すと、一枚の紙が入っていた。


「『見てるの』……?」


男は首をかしげながら、紙を近くにあったゴミ箱へと捨てた。


「見てたからなんだっての」


そう男は誰にも聞こえない声でぼやく。

しかし、彼女は聞いていた。

電車が通り過ぎる最中、その電車の窓ガラスに

首があり得ない方向を向いている、目のない女の姿が映っていた。




終わり




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『見てるの。』 毒の徒華 @dokunoadabana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ