第22話

「ここか……」


 乱立する高層ビル群、その一角にある高級マンションに俺は辿り着いた。

 俺の脳内には、スマホで見ている地図と、件の後遺症で視界に映り込んだ光景とがダブって捉えられている。冬美は間違いなく、ここの地下駐車場にいる。


 監視カメラの映像からすると、冬美はテレポートを使わなかった。いや、使えなかった。それほどの重傷だったのだろう。

 自分に対して治癒魔法が使えればまだ大丈夫だろうが、それは直接会ってみないと分からない。


 地下駐車場に足を踏み入れると、一気に湿気がなくなった。しかし、この構造物は意外と複雑だ。どこに冬美は身を潜めてるのだろう?

 ヒントはないかと首を巡らせる。その時、視界に入ってきたのは、床に付いた赤い染みだった。


「血痕か」


 大量出血、というわけではない。だが、目で追えるほどには明確だ。俺は速足で、その赤い点を辿って行った。


 行きついた先には、何の掲示もない鉄扉が一つ。気づけば、周囲はだいぶ暗くなっていた。俺はその鉄扉を三回ノックした。声を上げるのは憚られたので、名乗ることはできない。敵襲と勘違いされる恐れもあるが――。


 しかし、それは俺の杞憂だった。再びノックしようと腕を掲げると、向こうから細い腕が伸びてきたのだ。


「うわっ⁉」


 一瞬俺には、その腕が鉄扉をぶち破ったかのように見えた。が、実際はテレポートの応用で、鉄扉の向こう側から空間を捻じ曲げて伸びてきたらしい。

 そこまで推察し終える頃には、俺の身体は派手に床に転がされていた。


「何しに来たんだ、涼真? あんたもあたしを殺しに?」


 俺はぶるぶるとかぶりを振って、横たえていた身体を立ち上がらせた。

 視界の中央にいたのは、他ならぬ雨宮冬美である。右足のロングブーツを脱いで、ボディスーツを膝まで捲り上げ、手当てをしていた。

 突然目に入った肌色に、ドキリとしてしまったのは我ながら不覚である。


 周囲を見回し、そこが夏奈のセーフハウスと大差ないことを確認する。同時に、冬美に敵意がないことも。

 彼女も俺が、殺傷目的でやってきたわけではないことを承知しているらしい。淡い乳白色の光を両の掌に湛え、右のふくらはぎに当てている。


「で、またお説教か? 人を殺すなって?」


 突然に事態の本質を突かれた俺は、『そ、そうだ』と言い返すのが精一杯だった。


「あーあ、姉ちゃんも随分と頼りになるシンパを持ったもんだなあ」

「なっ! お、俺は事件捜査で来てるんだ! 誰かのためじゃなくて――」

「自分のために、かい? 嘘つき」

「え……?」


『嘘つき』だって? 俺が? 突然の言われように、俺は狼狽した。


「両親の仇に対する復讐、そのための戦闘訓練、それに一人であたしを追ってきたこと。確かに、あんたは自己中心的な言動を取ってるように見えるわな。だけど、本当にそうかな?」

「ち、違うって言うのか?」

「あたしは違うと睨んでる。アイテッ」


 治癒魔法の調整を誤ったのか、冬美は微かに顔を顰めた。


「あんたは姉ちゃんと一緒で、『完璧な世界』を創りたいんだ。親父さんがそうだったようにね」

「お、親父が? 俺の?」

「そう。あんたの親父さん、立派な軍事技術者だったんよ?」

「は……?」


 俺は頭が真っ白になった。あの親父が、軍事技術者? 優しくて、正義漢で、喧嘩の仲裁が上手かった親父が?


「そ、そんな、冗談だろ? だって、夏奈が親父を殺したのだって、あれは誤爆だったと――」

「だからそれはさあ、破壊する場所を間違えただけ。ターゲットは合ってた。あたしが保証するよ。あの頃は、姉ちゃんと一緒に標的を絞るところまではやってたからね」


 するすると冬美の言葉が入ってくる。頭が真っ白だったからか? 魔法で言葉を脳みそに捻じ込まれているのか?


「なあ、冬美」

「んあ?」

「教えてくれ。俺の親父は、何をしようとしてたんだ?」

「んー、そうだねえ。具体的に言えば軍事衛星の開発だけど、まああたしたち風に言えば、それこそ『完璧な社会の創造』かな」

「馬鹿な!」


 俺は勢いよく立ち上がった。


「軍事衛星って言ったら、武器だろ? それで『完璧な社会を創る』? ふざけんな!」

「あたしに怒らないでよ、涼真」


 冬美はひらひらと手を振った。


「あんたの親父さんは、世界を軍事的均衡下に置こうとしていたんだ。全ての国が同じだけの兵器を持てば、互いに手出しできなくなるだろう、って考え方」

「そんな……」


 おれはぺたりとへたり込み、片手で目を覆った。


「それと反対の考え方をしてるのが、あたしと姉ちゃん。やっぱり、恐怖で人を縛るのはよくないと思うからさ」

「でもお前は、殺傷行為を止めようとしねえじゃねえか」

「だから! それは仕方ないんだってば! 姉ちゃんのやってる、あー、ハッキング? クラッキング? あれじゃあ生温いんだよ。全く、姉ちゃんも丸くなっちまったなあ。それに――」

「それに?」


 俺が顔を上げると、珍しく冬美が複雑そうな顔をして俯いていた。


「浦西、って言ったっけ? あんたがいた養護施設で、大量殺人をやった大馬鹿野郎」

「あ、ああ」

「あいつは駄目だ。あたしらの性に合わない。けど、あいつはあいつで『完璧な世界』をどこかで夢見ていたのかもしれない。どんな子供も、きちんと親の愛情を受けてまともに育つことができる、そんな世界を」

「奴を肯定するな!」


 流石に、浦西の名前を出されて冷静ではいられなかった。


「あいつは何人も、俺みてえな子供を殺したんだ!」

「その子供らの無念があんたを突き動かしてるとしたら、やっぱりあんたも、自分じゃなくて他人のために動いてるんだよ。何も、それを悪いとは思わない」


 俺は、いつの間にか握りしめていた拳を解いて、深いため息をついた。

 沈黙が舞い下りる。それを破るのは、ほわん、ほわんという冬美の治癒魔法の音くらいのものだ。


 恐らくそのまま一分は経っただろうか。俺と冬美は、同時に鉄扉の方へと振り向いた。


「伏せろ!」

「伏せて!」


 同時に叫び、お互いに跳びかかる。ここは、体格差がものをいった。俺は空中で冬美を抱き留め、彼女の頭を庇うようにして覆い被さった。

 同時に、俺の背中を掠めるようにして鉄扉が吹っ飛んだ。ひどい火薬臭がする。特殊部隊、恐らくSATの突入だ。このセーフハウスの位置を突き止めたのだろう。


「警察だ! 全員そこを動くな!」


 出入口を押さえられた。これでは脱出できない。即射殺命令が下っている冬美は、このままではむざむざ殺されてしまう。


「冬美、テレポートしろ!」

「無理だ! まだ治癒が――」

「んなこと言ってる場合か! 殺されるんだぞ!」

「分かったよ! でも呪文の詠唱に時間がかかるんだ!」

「ならあのデスクの影に隠れてろ!」


 俺は部屋の片隅を指差し、軽く冬美を突き飛ばした。


「撃つな! 俺だ、鬼原涼真・警部補相当官だ!」

「お、鬼原警部補?」


 俺の大声に、反応した人物がいる。


「ちょっ、どいてください! 鬼原警部補! ご無事ですか?」

「あ、小林さん……」


 俺は咄嗟に思いついた。彼なら使える。

 俺の名前と立場に聞き覚えがあったのか、SATの面々の間には困惑が広がっている。しかし、流石に立ち直りは早かった。自動小銃に取り付けられたレーザーポインターが、室内に真っ赤な光線を走らせる。しかし、


「鬼原警部補、危険です! ここには魔女が潜伏している恐れが――ってうわっ⁉」


 無防備に近づいてきた小林の腕を捻り上げ、俺は彼の首に背後から腕を回した。


「な、何をする!」


 隊長の声が響き渡り、SAT全員の視線が俺と小林に集中する。


「鬼原警部補相当官、何をお考えか⁉」

「すいません、隊長。ちょっと所用がありまして」


 飽くまで俺は余裕で応じる。

 すると、俺の視界が真っ赤に染まった。レーザーポインターが、眉間にぴたりと当てられている。


「わけを説明して頂こう、警部補。場合によっては、あなたも処罰の対象となる!」

「あんたらこそいいんすか? ここで味方を見殺しにしても?」

「ひっ!」


 小林が短い悲鳴を上げた。俺が素手による殺人スキルを有していることは、皆が知っている。俺は小林の耳元で囁いた。


「すいません、小林さん。ちょっと辛抱してください」

「え……?」


 しかし、時間稼ぎは早々に切り上げられた。


「目標発見!」

「ッ! あの馬鹿!」


『馬鹿』とは冬美のことである。まだテレポートしていなかったのか。


「覚悟しろ、魔女め……!」


 マズい。このままでは、冬美はここで命を絶たれることになる。


「本当にすいません、小林さん!」


 俺は咄嗟に小林の背中を蹴りつけ、隊長にぶつけた。隊形を乱すSATの面々。

 それから、俺は拳銃をすっと向けた。小林のホルスターから抜いたものを、冬美のいる方へ。そのまま躊躇いなく三連射。


「ぐっ⁉」


 もちろん、狙っていたのは冬美ではない。彼女を発見した隊員の方だ。前のめりに倒れる隊員。出血がないことから、無事防弾ベストに被弾したのだと分かる。

 その向こうで、眩い白光が煌めくのを、俺は確かに目にした。

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