第23話

「構わん! 魔女を撃て!」


 凄まじい銃撃音が、地下駐車場に木霊した。俺が背後から撃ち倒した隊員の頭上を越えて、凄まじい弾雨が冬美の下へ殺到する。しかしそれらは、見事に空を斬った。

 硝煙の向こうに残っていたのは、ひっくり返ったデスクと、そのデスク同様に銃痕だらけになったコンクリート壁だった。

 そこには肉片どころか、血痕さえ残されてはいない。冬美は脱出に成功したのだ。


「ふう……」

「鬼原涼真・警部補相当官」


 振り返ると、SATの隊長に詰め寄られていた。俺は拳銃にセーフティをかけ、把手を相手側に向けて差し出す。それから床に膝を着き、素直に両手を差し出した。


「小林巡査部長、彼の身柄の拘束を」

「え? あっ、はは、はい!」


 盛大にどもりながら、小林は手錠を取り出し、時計を読み上げた。


「午前十一時三十八分、傷害、恐喝、及び公務執行妨害の現行犯で、鬼原涼真警部補の身柄を拘束します」


 正直、あとは夏奈や冬美本人に上手くやってもらう外ないのだが。どうなることかと思いながら、俺は地下駐車場を出た。

 土砂降りだった。その中を、俺は他の隊員たちと別れ、小林が運転する覆面パトカーに乗せられた。


「すみません、鬼原警部補……」

「何言ってんすか、小林さん。あそこで俺を現行犯逮捕しなきゃ、あなたの刑事生命だって危なかったんすよ? それより、喉は大丈夫っすか?」

「ええ、問題ないようです」

「それはよかった」


 俺は、この後の自らの処遇について複雑な思いを抱きつつ、そのまま特殊事案対策本部へと連れられて行った。


         ※


 数時間後。俺は上半身裸で、両手首を鎖で吊り上げられ、鉄格子の中でサンドバッグになっていた。


「この男は、もはや警部補相当官などではない、犯罪者、裏切り者だ。容赦はするな。ただし、痣は見えづらいところにだけ作るように」


 どうやら俺には超法規的措置が取られたらしい。まさか体罰を喰らうことになるとは思わなかったが。いや、拷問か。


 俺の眼前には、ボクシングの体勢を取った捜査員がいる。その目には憎悪の光が宿り、その拳には情け容赦がなかった。きっと、冬美に友人を殺傷されたのだろう。


 それを監督しているのは、腹の肥えた中年男性だった。階級は警部。上官だと言いたいところだが、生憎俺はもう刑事としての権限を剥奪されている。

 要するに、ただのサディスティックなおっさんの嗜虐心を満たす獲物として、ここに放り込まれたわけだ。『魔女に関する情報を引き出す』という名目で。


「ぐふっ! うっ! がはっ!」


 少しは痛みが軽減されるかと思い、声を上げてみる。効果の程は、よく分からない。

 しばらくして、捜査員は警部の方を振り返り、こう言った。


「警部、一つ頼みがあります」

「何かね?」

「一発で構いません。こいつの顔を殴らせてください」

「それはマズいなあ」


 よっこらせと、警部はパイプ椅子から腰を上げた。


「流石に警察内部で、体罰があったと報じられてはね……」

「自分の親友は、魔女に顔の半分を消し飛ばされました。殴る程度、何の問題がありましょうか?」


 おいおい、話が噛み合ってねえぞ。

 そんな俺の胸中を無視して、事態は進展する。


「確かに、この件は、魔女の存在も含めて内々に処理する予定だから、まあいいか。ただし、一発だけだぞ」

「ありがとうございます」


 捜査員が振り返る。憎悪の炎が再燃する。そして彼が選んだのは、強烈なストレートだった。


 ああ、鼻の骨、やられたな。そんなことを思う間に、水のように鼻血が流出した。血は喉にまで逆流し、俺は盛大にむせ返った。


「げほっ! けほ、けほっ……」


 鼻と口、両方から血を垂れ流し、俺の意識が遠のいた。

 視界が真っ白になって――いや、待てよ? この程度で俺が意識を失うはずがない。

 ではこの白い光は何なんだ?


 俺の視界が真っ白になる直前、視界に入ったのは、驚愕の表情を浮かべた警部と捜査員の姿だった。


         ※


「うっく!」


 一度体験した魔法は、無意識のうちに身体が覚えていてくれたらしい。これはテレポートだ。それも、術者がその場にいないのに、物体をある場所から別な場所へと移動させる高度なもの。

 これを器用にこなせる人物など、心当たりは一人しかいない。


「か……うあ!」

「りょ、涼真!」


『夏奈』と相手の名を呼ぼうとして、俺は見事に倒れ込む。夏奈が支えてくれたお陰で、地面に顔面を打ちつける事態には至らなかった。


「酷い……。涼真、何があったの?」

「ん、ああ……」


 両手を地面に着き、ゆっくりと顔を上げる。すると夏奈は、はっと息を飲んで後ずさった。そうか。今の俺は、そんな酷い面をしているのか。


「へっ、悪いな。ちっとしくじった、っていうか、これしか方法がなかった、っていうか……」


 問題は、夏奈が捜査員と警部の二人の前で魔法を使ってしまったことだ。それも、俺を窮地から救う形で。俺との関係も、早々にバレてしまうのではないか。


 そんなことを考えながら、俺は血の混じった唾をプッと吐き捨てた。真っ赤な液体は、すぐに雨に打たれて見えなくなる。

 って、ここは雨が降っているのか?


「夏奈、ここは……いてっ!」

「ま、待って涼真、すぐに治癒魔法をかけるから。ああ、でもこんなに広く殴られて……」

「大丈夫だよ。致命傷はねえんだろ?」

「そ、そうみたい、だけど……」


 夏奈の言葉を聞き流しながら、俺は周囲を見渡した。何だ、学校の屋上じゃねえか。

 夏奈は屋上に至る階段のそばにいた。ギリギリ人間二人が雨宿りできるほどの距離だ。すると、俺の頭上に障壁が展開され、雨から守ってくれた。

 今の俺は、雨に打たれていた方が心地よかったのだが。一応礼は言っておかねば。


「夏奈、ありが――」

「ごめんね、涼真」


 唐突に、夏奈は表情を曇らせた。


「な、何が?」

「あなた、冬美を助けるために奮闘してくれたんでしょう? それが原因でこんな目に遭った。そうでしょ?」

「冬美から聞いたのか?」

「ええ。あなたを助けてほしいって」

「ふん、あんな凶暴なくせに、可愛いところもあるんじゃねえか」


 喧嘩中の姉に、世話を焼いてくれた人間の救助を求めるとは。いや、雨宮姉妹の関係を何と呼んでいいのか、判断しかねるが。


「じゃあ、治癒魔法をかけるから。うわ、お腹がもう真っ青になってる」

「まあ、すげえアッパーだったからな。反吐をぶちまけるところだった」


 それからしばしの間、俺は腹部、胸部、上腕など、こっぴどくやられた箇所を中心に治癒魔法をかけてもらった。

 痛みは我慢できるが、怪我で動けなくなるのは戦いにおいて致命的だ。


 ん? 戦い? 俺は一体、誰と戦ってるんだ?

 俺の両親を殺した夏奈か? 殺傷を厭わずテロを決行する冬美か? 


 いいや、違う。二人共違う。

 夏奈は俺の命を救ってくれている。こうして無防備に俺を治療してくれているのが証拠だ。

 冬美は――まあ、あいつの言動は戒めねばならないが、それは人の知恵と善意によってだ。弾丸と爆薬によってではない。


 俺が沈黙していると、夏奈がそっと俺の腕を引いた。痛みはもうない。


「ちょっと立ってくれる? 鼻骨を治さないと」

「ん? あ、ああ」


 俺は何の考えもなしに、さっと腰を上げた。そして――唇を塞がれた。夏奈自身の唇によって。


 俺はくらり、と自分の頭がこまのように回転するのが分かった。逆に、それしか分からなかった。

 前のめりに倒れかかったところを、夏奈に抱き留められる。女子にしては背の高い夏奈は、ちょうど俺を受け止めるのにぴったりだった。ふっと甘い香りが漂ってくる。この土砂降りの雨臭さの中でも、だ。


「ごめん、涼真。私、自分の善意を押し付けてるだけなの。私なんかに、その……こんなこと、されても、困るよね」

「……よく、分からない」


 俺は正直に答えた。

 すると夏奈は、俺の両肩を握って身体を離した。ふっと、温もりが遠ざかる。眼前には、夏奈の掌が掲げられていた。

 優しい乳白色の光に、俺は目を細めた。痛みが引くまでに要した時間は、まさに一瞬。


「これが、私が使える最後の魔法」

「えっ?」


 突然の言葉に、俺は理解が追いつかなかった。


「どういう意味だよ?」

「こういう意味」


 すると夏奈は振り向いて、勢いよく階段へ続く扉を蹴り飛ばした。


「敵襲、敵襲!」

「目標はすぐ近くにいます!」

「総員、ABC弾頭装備! 障壁を破って、目標を捕縛する!」


 階段下がざわついていた。今の声は、SATの隊長のものだ。しかし、目標を『捕縛』? 『射殺』ではないのか?

 混乱は一瞬のことで、SATはすぐに態勢を立て直した。夏奈は扉のあったところに、薄紫色の障壁を展開する。しかし、それはガラス細工を思わせる音と共に破砕された。障壁破りは、やはり効果があったのだ。


「下がって、涼真」

「お、お前……!」

「早く!」


 叫ぶと同時、夏奈はワンピースに剣士のプロテクター姿になっていた。

 しかし、弾丸は容赦なく彼女のプロテクターを破砕する。俺はさっと目を背けたが、夏奈の悲鳴は聞こえない。

 はっとして顔を上げると、夏奈は真っ黒い煙に包まれていた。そうか。魔女は死なないという、一種の奇跡。あるいは呪い。それが発動しているのだ。

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