第11話

 夏奈はもう、俺の心の在り様にケチはつけてこなかった。俺は、部屋の隅に自分の鞄が置かれているのに気づいて立ち上がる。

 鞄から薬剤の袋とミネラルウォーターを取り出し、パチパチと錠剤をアルミの薄い板から外す。今はデパケンとアルプラゾラムだけでよさそうだな。


「んっ……はあ」


 噛まずに飲み込み、息をつく。


「ねえ」

「ん?」


 顔を上げると、夏奈がこちらを真っ直ぐに見つめていた。その目は真っ赤に充血し、やや息が荒い。


「まだ続き、あるんでしょう? あなたのお話」

「ああ、そうだな」


 俺は、空きっ腹の底で錠剤が転がるのを感じながら、記憶を手繰り寄せた。


         ※


 目を開ける。俺の身体は横たえられていて、薬品臭が軽く鼻を突いた。ここは病院のようだ。そして耳に飛び込んできたのは、救急救命の現場の騒音。


「輸血、もう一単位!」

「点滴はどこだ! 手が足りない!」

「ICUに人を寄越してくれ!」


 そんな中、こんな言葉が聞こえた。


「軽傷者は一般病棟に移せ! 早く!」


 そうか。俺はどいた方がよさそうだ。

 自分の身体がまともに動くこと、左肩に包帯が巻かれていること、点滴が為されていないことを確認し、ベッドから下りる。そしてカーテンを開け、周囲を見渡した。


「おっと! 君、大丈夫か!」


 看護師の一人が駆け寄ってくる。それからカーテンの外に貼られていた紙を読んで、


「鬼原涼真くん、だね?」


 と問うてきた。素直に頷く。


「君は軽傷だ。悪いんだけど――」

「移動しますか?」

「そうだね、それではこっちに」


 手招きされて、これまた素直について行く。廊下に一歩踏み出すと、横から大声が飛んできた。


「重傷者一名、搬入します!」


 きゅるきゅるという担架の音。そしてそこに乗せられている人物を見て、俺ははっと息を飲んだ。

 浦西だった。馬鹿な。絶対に仕留めたと思ったのに。それに、重傷だと? 詰めが甘かったのか。


「容体は安定しているんだな?」

「はい!」

「では、一般病棟に運べ!」


 てきぱきと、流動的に事態は変わっていく。俺は今にでも浦西に飛びかかり、息の根を止めたかった。が、それはこの場では流石に無理だ。

 待てよ? どうして俺は、他の子供たちと一緒に処置を受けているんだ? 俺は人殺しだぞ。そうか、まだ犯人としてマークされていないのか。


 俺は担架の後を追う形で、一般病棟に入った。

 そこには、見知った顔がずらりと並んでいる。俺と同じ、男子の高学年棟の面々だ。眠っていたり、頭を抱えていたり、看護師に付き添われて泣きじゃくっていたり。

 施設でも友人を作らなかった俺だが、それでもこいつらとは数年間の付き合いがある。何より、施設職員に殺されかけたという共通体験がある。俺は、思わず彼らから目を逸らした。


「さあ鬼原くん、君のベッドだ」


 看護師が告げる。俺はベッドのそばに立って、律儀に頭を下げた。


「もう安心だからね、ゆっくり休んで」


 俺は立ったまま、急いで踵を返した看護師の背中を見つめた。

 同じだ。浦西も俺同様に、まだマークされていない。もしあいつが暴れ出したら、大変なことになる。

 俺はぎゅっと右手を握りしめた。


 判断は一瞬。俺は、自分の意識が臨戦態勢に切り替わるのを感じた。

 今度こそ、奴を仕留めなければ。だが、その前に確かめなければならないことがある。


「どうして俺たちが、こんな目に遭わなければならなかったんだ……」


 俺は足音を立てないように、しかし不審に見えないように、病室を出た。さっと視線を走らせると、担架が別の病室に運び込まれていくのが見えた。

 柱の陰に入り、看護師二人が去っていくのをやり過ごす。そして、浦西のいる病室に跳び込んだ。


 幸い、他の患者は搬送される前だった。後ろ手に扉を閉める。この部屋には、俺と浦西だけだ。

 がたん、という音に、浦西はゆっくりと首をこちらに向けた。

 

「始末しに来たのか、私を」


 俺は意思表示を控えた。


「好きにするがいい。殺人犯だ。私も、お前も。死刑になる」


 死刑――。それはそうだろう。咎人とはいえ、七人も人を殺したのだから。


「私が何故こんな事件を起こしたのか、確認してから片づけるつもりか。まあいいさ。教えてやる。私はな、お前らのような虫けらに人生を滅茶苦茶にされたんだ」


 突然の告白に、俺は一瞬たじろいだ。すぐに顔面に無感情を再構築する。


「意外に思うだろうが、私は大学時代、陸上界のアスリートを目指していた。ある日の練習帰り、中学生だか高校生だかに絡まれ、リンチされた。金銭目的だったようだが、いつの間にか暴力だけが私の周囲を吹き荒れていた。結局、私は足を悪くして夢を絶たれた」


 浦西の瞳に、強い力が宿った。俺と戦った時のどんよりした目とはまるで違う。殺気を超えた何らかの意志を、俺は肌で感じた。


 浦西は語り続けた。

 夢を断たれ、人生を悲観し、やがて青少年への復讐を志したこと。

 今の施設のスタッフとなり、敢えて青少年と触れ合うことで、殺すべき相手を見定めたこと。

 そして、心を同じくする者たちを募り、旧施設長がいなくなるのを待って、作戦を断行したこと。


「鬼原、私はお前がどんな感情を抱いて戦ってきたのか知らないし、興味もない。だが、いずれにせよお前も俺と同じ殺人犯だ。覚悟を決めることだな」


 その直後、浦西は自分の腕から無理やり点滴の針を引き抜いた。まさか、あれを武器にして戦うつもりか!


「じゃあな、虫けら。精々罪を背負って生きていけ」


 針を握った腕を掲げる浦西。俺は咄嗟に後ろに飛び退き、距離を取ろうとした。

 が、それは杞憂だった。


 俺の眼前で、浦西は針を思いっきり突き立てた。自らの頸動脈に。


「ッ!」


 しゅううう、という気の抜けた音を立てて、浦西の身体から大量の血液と魂が抜けていく。

 止めに入る間も、止血してやる機会もなかった。

 ただ一つ分かったのは、この男もまた、人生を滅茶苦茶にされた被害者だったということだ。

 

 がくん、と脱力した浦西の身体。ベッドに仰向けに倒れ込み、あたりを真っ赤に染めていく。俺はただ、呆然とその光景を見つめるしかない。


 俺が身動きできないでいると、廊下から声が聞こえてきた。


「はい……はい、そうです、刑事さん。彼が例の少年です。あれ?」

「ベッドにいないようですが?」

「勝手に出歩いて、全く――」


 そう言い切られる前に、俺の背後でドアがスライドした。途端に背後が騒がしくなったが、当時の俺には些末なことだった。

『精々罪を背負って生きていけ』――その浦西の言葉が、ずっと脳内で回転していた。


         ※


「それで、あなたは生き残ったのね、涼真くん?」

「半分死んだようなもんだけどな」


 やれやれと首をふる。すると、目の前にいた夏奈の立ち上がる気配がした。顔を上げると、彼女は背を向けたまま問うてくる。


「麦茶と烏龍茶、どっちがいい?」

「熱いコーヒーはないのか?」

「……残念だね」


 俺は最初、コーヒーがないのを夏奈が憂いているのかと思った。そしてすぐに、それが誤りだと悟る。

 ずっと涙を流しながら、俺の話を聞いてくれた夏奈。彼女がこの状況で、飲み物の心配などするはずがないだろうに。


 軽い衝突音。夏奈が、冷蔵庫から出したペットボトルを取り落としたのだ。

 俺がそれを見つめていると、夏奈はこう言った。


「本当に残念だよ。誰も救われない。こんな……こんなことになるなんて……」


 発言がやや関係者らしきものに聞こえたが、恐らく俺の勘違いだろう。

 冬美と違い、夏奈は殺傷事件は起こさない。無関係のはず。それとも、姉として冬美の暴走を許し、俺の両親を死に追いやったことを悔やんでいるのか。


 俺は、黙り込んだままの夏奈に、過去話の顛末を聞かせた。

 俺は連続殺人犯として、その場で警察に連行されたこと。証拠は監視カメラに映った映像だ。俺が職員たちをダガーナイフで仕留めていく様子が収められていたという。

 そして、浦西たちの『暴走』とでも言うべき虐殺の実情。二十三名の青少年が、奴らの凶刃の前に倒れた。


「それから、そうだな、一週間ほど留置所に収監されてからのことだ。警視庁にスカウトされた」

「……スカウト?」

「どうやら、俺の判断力や戦闘力が評価されたらしい。コイツを処してしまうよりは、利用した方がいい、と判断されたんだ」


 買い被りもいいところだ。だが実際、適任だったのかもしれない。昨日の研究所での戦闘、そして今日の体育館裏での姉妹喧嘩。前者はまだしも、後者は一般人が生きられる条件ではあるまい。


 場合が限定的だったとはいえ、黒い魔女――雨宮冬美に白兵戦で対抗できたのは俺しかいない。『適任』とは、こういう時に効果を発揮する言葉なのかもしれない。


「俺は作戦司令部に戻る。世話かけて悪かったな」


 唇を噛んで、俺を見つめる夏奈。その瞳は、またしても崩壊寸前だ。

 俺は何と言うこともなく、夏奈の部屋の扉を押し開けた。その直後。


「……」


 黙り込んだまま、夏奈は俺の背中に抱き着いてきた。


「うおっ! か、夏奈?」

「傘」

「え?」

「私の傘、使って。どうせ少しは歩くんでしょう?」

「ああ……」


 見上げると、見事なざんざんぶりだった。


「いいよ、別に。馬鹿は風邪を引かない」


 特に、俺のように相手の血飛沫を浴びたことがある者は。そんな人生を送るよう、宿命づけられた者は。


 結局、俺と夏奈は、それらしい会話もせずに別れた。タクシー乗り場までダッシュしただけでずぶ濡れである。


「ご厚意に甘えるべきだったかな、魔女さん」


 静かに、そう呟いた。

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