第12話


         ※


 翌日、早朝。

 特殊事案対策本部の官舎で目を覚ますと、非常招集がかけられるところだった。非常起こしの通達が、室内のスピーカーから響いてくる。


 ちょうど意識が覚醒したところだったのは幸い――というと大げさだが、実際その通りだ。俺は無理やり起こされると、いつも機嫌が悪くなる。自分から起きていなければ、誰かに八つ当たりしていてもおかしくない状況だった。


 スピーカーからの指示によると、服装はそのままでいいという。よほど緊急性の高い事案いついて説明が為されるらしい。

 俺はベッドわきの棚から、起床時用の精神安定剤と水筒を取り出し、一口。それからため息を一つ。


 服装が勝手だと言っても、まさか室内用のサンダルで行くわけにはいくまい。かといって、パジャマに革靴というのもお笑い種である。


「だったら制服に着替えさせろよ……」


 急に頭が痛くなった。俺はその頭痛を抑えるべく、ベッドの足を軽く蹴りつけた。


         ※


《早朝からすまない、諸君。そのままで聞いてほしい》


 俺が席に着いたのとほぼ同時。件のお偉いさん、すなわち司令官が、壇上で語り出した。

 あまりに突然登場したものだから、皆は慌てて立ち上がり、中途半端に敬礼し、腰を折ることになった。


《本日、この場で知らせるべき事案は一つ。魔女が複数存在する可能性が出てきた、ということだ》


 驚きの声が、会議室の前方から後方へと響き渡っていく。石を投げ込まれ、波立つ湖面のように。いや、波というほど可愛げのあるものではあるまい。大波、津波と言った方が、喩えとしては正しいかもしれない。


 皆が驚いたのは当然だ。あの神出鬼没の殺戮者である魔女が、一人のみならず複数人存在するなんて。だが、俺は知っている。少なくとも二人のことは。


 雨宮夏奈と、妹の冬美。皆の遭遇してきた魔女のことから察するに、俺以外の面々は、夏奈が魔女であることは知らないようだ。

 そこまで考えが至った時のことだった。俺は自分の身体の軸が、ぐにゃりと折れ曲がるような錯覚に囚われた。


 もし今ここで夏奈の情報が大っぴらにされてしまったら、皆はこぞって彼女を殺しにかかるのではないか。俺は、自分の顔から血の気が引くのを感じた。


 しかし何故だ? 積極的に他者との交流を持たなかった俺が、どうして彼女を心配する? 彼女に自分の過去をひけらかしはしたが、だからといって妙な情が湧くものなのか?


 だが、その方面には話は進まなかった。


《諸君らの士気向上のため、敢えて言及は避けてきたが、これまでの魔女の犯行には、死傷者が存在しない事案もあったのだ》


 死傷者が存在しない? ああ、そうか。夏奈は治癒魔法が使えるし、そもそも人命を度外視した行動は取るまい。その上で、夏奈が冬美同様の破壊活動を行ったとしたら。


 ここに集う刑事や特殊部隊員の素性は知らない。しかし、皆が少なからず『魔女』という存在を憎んでいる。

 そこに『人に害を為さない魔女もいる』と言ってしまっては、確かに士気が下がりそうだ。だから今まで、夏奈の存在は俺たちには知らされてこなかったのだろう。


《その、人命に害を為すことのなかった魔女については、我々の追ってきた魔女と別人であるか否か、慎重な研究が為された。その結果、別人である可能性が高いという結論に至った。これらの事実に基づき、本日より、魔女の個人特定のための特別捜査班を設置する》


 俺は座ったまま、身を乗り出した。


《諸君らにも秘密裡に捜査を行ってきたが、本日からは総力で『もう一人の魔女』の情報収集にあたる。特別捜査班には、諸君らから選抜した非戦闘員に加わってもらう。一般の捜査員・戦闘員諸君に関しては、より一層の活躍を期待すると共に、無事帰還することを祈念する》


 すると、最初はいなかった司会役の警官が歩み出て、質疑応答に入った。皆、いろいろなことを尋ね、回答される度に室内の緊張感が増していく。


 だが、具体的な内容は、俺の頭には全く入ってこなかった。

 夏奈の身に危険が及んでいる。どうにかしなければ。いやだから、どうして夏奈に肩入れしているんだ? 夏奈は、俺がずっと追ってきた『魔女』じゃないか。殺傷するのに何の躊躇いがあるというのか。

 しかし、彼女が非殺傷主義者であることは分かっている。個人的に言わせてもらえば、俺の両親を殺した可能性が高いのは、妹の冬美の方だ。


 俺に、雨宮夏奈を殺すことができるのか? いや、そもそもそんな権利があるのか?


 俺は会議室後方の席で、一人頭を抱えていた。


         ※


「鬼原さん? あの、鬼原警部補?」

「……え?」


 ふと顔を上げると、正面に小林が立っていた。


「大丈夫ですか? どこかお加減でも?」

「いや、そんなことはないっすけど」


 俺は軽くかぶりを振る。しかし、小林は食い下がった。


「本当ですか? 顔色が悪いですよ? 何かお困りでしたら――」

「だから、何でもありませんって」


 自分の声を抑えられるよう、俺は努めなければならかった。ここで怒号を上げて、注目を浴びたくはない。

 未だに白い目で俺を見る奴らもいる。『こんな若造に任務が務まるのか』と。まあ、気にしないようにはしているが。


「ほら、これ見てくださいよ」


 小林は俺の冷たい視線に動じない。むしろ接近を試みている。スーツのポケットからスマホを取り出すと、何やら操作し、こちらに画面を向けてきた。一人の赤ん坊が、低いテーブルを使って掴まり立ちをしている。


「どうです? 癒されませんか?」


 一瞬、俺の思考は停止した。何が起こっているのか、よく分からなかったのだ。『馬鹿にされているのか』という考えに至った時、俺の胸中には、怒りが轟々と燃え盛っていた。


 誰かの叫び声に続き、がしゃん、と何かが破砕される音がする。会議室中に反響したその声に、皆の注目が集まる。俺の耳には、『ふざけるな』と言ったように聞こえた。

 しかし、誰が? いや、分かっている。落ち着いて考えてみれば、声の主は俺しかいまい。


 どうやら俺は小林の腕を弾き、スマホをふっ飛ばしてしまったらしい。そう悟るには、もう少し時間が必要だった。だが、俺の怒りは留まるところを知らない。


「小林巡査部長、あんたはいいよな、幸せな家庭があって! 警察官、それも刑事だなんて、嫁さんもさぞ鼻が高いだろうよ。それにあんたくらいの年なら、ご両親も健在なんじゃないか? そんな幸せだらけのあんたが、俺を癒す? 笑わせんな!」


 実際、俺の声音に笑いの要素は全く入ってはいなかった。

 すると、小林はふっと表情を消した。まるで表情というものが、顔面をするり、と滑り落ちて行ったかのように。


「失礼しました、鬼原警部補相当官」


 俺に叩かれた手を引っ込め、小林は一歩下がって深々とこうべを垂れた。

 この期に及んで、俺はようやく周囲の情報を察知した。


 皆が、俺と小林に注目している。顔を背けている者も、注意を払っているに違いない。

 せっかく注目されまいと努力をしていたはずなのに。

 たかが子供だと馬鹿にされないように頑張っていたのに。

 あの優しい両親の死に報い、復讐を果たすつもりだったのに。


 その結果が、これか。自分から先んじて相手に暴力を振るってどうするんだ。これでは魔女――雨宮冬美と一緒じゃないか。


 俺は破砕されたスマホから、そして小林から顔を逸らし、会議室を後にしようと扉に近づいた。俺を引き留めようとする者は、誰一人としていなかった。


         ※


 俺は官舎の自室に戻り、精神安定剤を一気に飲み込んだ。今日飲めるぶん、全て。

 もう一度眠るのだ。今のままでは、いずれにせよ頭は回らない。冷静になりたいところだが、ここまでベクトルの狂った状態では無理な相談だ。眠って一瞬でも、意識を現実から切り離さなければ。


 しかし、俺はすぐさま大きく舌打ちをした。こんな心理的に荒れた状態で、服薬済みとはいえしっかりと眠ることは不可能だ。


『まだ薬が効くまで時間がかかるだろうな』――そう思いながら、ベッドにうつ伏せに倒れ込む。足先だけで器用に靴を脱いだが、制服から着替えるには至らなかった。俺に訪れた眠気など、その程度のものだ。


「……」


 しばしの沈黙の後、俺はがばりと起き上がった。どうせ眠れないのなら、何か価値ある行動をすべきだ。いや、実際は冷静にそんな行動が取れないから眠ろうとしたわけだが。

 しかし、一旦決めてしまってからの俺の行動力は、我ながら大したものだった。


 俺はベッドわきのデスクの引き出しを開け、どんどん今までの資料を取り出していった。

 今まで何度繰り返したか分からない、一種のルーティンワーク。

 

 俺は俺を止められない。自分で自分に鞭を打ち、両親の仇を討て、仇を抹殺しろと告げてくる。

 俺には最早、自分が何をしたくて、何をしなければならなくて、そして何をしてはいけないのか、判断する余力はなかった。


 俺は深いため息をつきながら、床にぺたりとへたり込んだ。

 全く、これだから俺は、自分の扱いに困っているのだ。


 俺は頭を捜査資料で一杯にしながら、何を得ることもなく、その日を過ごした。

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