第十三章
来た。
その気配を感じ取り跳ね起きたのは二人同時だった。
「お客さん……じゃないよね?」
出来ればピザの配達であって欲しいとでも言うように、玻璃が言う。
「こんな時間に来る客がいるかよ」
ピザは注文していないと視線で答えながら音を立てないようにゆっくりと剣を掴む。
「瑠璃、居るのはわかってる。出てきて」
アラストルが戦闘準備を整えるよりも先に玻璃の静かな声が響き、気配の主の足音が響いた。
「やっぱり、お前は誤魔化せないな。で? 寝返る気か?」
扉越しの声は不機嫌そうな女だ。それなのに、玻璃に対して妙に親しみを感じさせる。完全に敵と認識してはいない様子だ。
「まさか。最初からそっち側じゃないよ。だって、シルバを殺したのはマスターでしょ?」
扉を開け、静かに答えた玻璃の言葉に驚く。数日様子がおかしいとは思っていたがそんなことを考えていたとは予想外だった。しかし、その声色は確信を抱いているように感じられる。
「違う、マスターじゃない。あれは……」
瑠璃という女はなにかを言いかけ玻璃が喉元に突きつけたナイフによって言葉を遮られる。
「知ってる。本当はリヴォルタのせいだって。だって見てたもの。でも……止めなかったマスターも同罪。私も……」
おかしいとは思っていた。玻璃が妙にリヴォルタという組織について知っていたことも、今の彼女の様子も。けれどもその言葉に驚いてしまう。
「まさか、リリアンもか?」
アラストルは訊ねずにはいられなかった。その質問は玻璃を傷つけてしまう可能性があったとしても、言葉を止められない。
「……そう……全部思い出した……リヴォルタの指輪……あの時、私は見てる……」
自分の言葉に少しだけ怯えていたような玻璃は覚悟を決めたようだ。
「それで? お前はどっちにつく?」
「勿論」
玻璃は少し挑発的な笑みを浮かべる。
「今日からディアーナを抜けるわ」
構えたナイフを下ろす気配はない。
「てめぇ……玻璃になにをした?」
瑠璃は震えるほどの怒りを顕わにアラストルを睨む。
「私の玻璃になにをした!」
とても玻璃には聴かせられないような暴言を添えて瑠璃が吼える。おそらく【洗脳】を疑われたのだろう。
「なにもしてねぇよ。こいつは『一宿一飯の恩』ってのをわかってる。それだけの話だ」
餌付けと言われようが構わない。細かい経緯をわざわざ説明してやる義理もない。
それよりもさっさと終わらせようと、瑠璃を見据える。
「折角だ。お前らの拠点まで案内しろ」
「誰がするか! 玻璃、帰るぞ。こんな奴と居たらおかしくなる」
瑠璃は見えないほどの素早さで向けられたナイフから巧みに抜け出し、玻璃の後ろに回って彼女の腕を掴む。
「おかしいのはあなたよ。瑠璃」
動じずに言葉を返した玻璃はもう硝子玉の瞳ではない。確かに、人間らしい熱が感じられた。
糸を断ち切って歩き出したように。【意思】を持ったのだ。
「マスターと一緒に居たら洗脳される。あなたも知ってるはずよ」
「馬鹿な! 親に捨てられ、売られた私たちを育ててくれたのはマスターだ」
吼えた瑠璃の言葉に驚く。
家族への執着は話に聞いていたが相当特殊な家庭環境のようだ。
「そう、でも、恨みもある」
静かに言い放った玻璃の周囲をなにかが蠢いているような気がして恐怖に竦みそうになる。
「何度殺されかけたかわからない」
玻璃は今、明確に【家族】と決別する決意をしている?
纏う空気が変わりすぎて口を挟むべきかと戸惑ってしまう。
「けど、マスターは私たちを殺していない」
「刻まれた刻印は消えないわ。地獄の底まで……一緒に堕ちればいいの」
あまりに冷たく響いた声に思わず身震いしてしまう。
玻璃なら有言実行してしまいそうに思えた。彼女なら、それこそ相手を道連れに自爆だってやらかしそうだ。
「玻璃……」
「瑠璃、悪いけど先に手は打ってあるわ。今頃ハデスの幹部が朔夜を捕らえてるんじゃないかしら?」
玻璃の言葉に瑠璃が体を大きく揺らした。動揺したのだろう。
けれどもおかしい。そんな作戦はなかったはずだ。玻璃がアラストルになにも言わずにそんな作戦を指揮するだろうか。
けれども玻璃の目に動揺はない。むしろ、瑠璃が慌てて玻璃を突き飛ばした。
「そんな馬鹿な! 朔夜がそう簡単に捕まるわけがない!」
「嘘だと思うなら自分の目で確認したら? 今頃騎士団長さんがアジトの周りをうろうろしていると思うけど?」
「なっ……ジルが? 嘘だ!」
瑠璃は慌てた様子で飛び出していく。
「朔夜!」
全く周囲が見えていない様子で慌てるのは異常だ。
「おい、そんな作戦は聞いてねぇぞ」
「……はったり」
玻璃は溜息を吐いて座り込む。
「はぁ?」
「瑠璃には考えが読まれるかと思ったけど、意外とあっさり騙されてくれたみたい」
深く呼吸しながら言う玻璃に呆れてしまう。
「卑怯すぎるだろ」
「知略って言うの。こういうのは。ほら、大聖堂に行くよ。朔夜を人質に取ればマスターなんて怖くないんだから」
騎士団の名前を出した下りもはったりだったのだろう。しかし、どうやら瑠璃は騎士団長と面識があるようだった。つまり玻璃は身内の弱味もしっかり握っていると言うことだろう。
「朔夜って言ったらお前の姉だろう?」
家族まで利用するのかと驚いて訊ねれば、玻璃はまた人形のような顔で真っ直ぐアラストルを見る。
「でも、血は繋がってない」
「なっ」
「朔夜は……預けられた先の娘さんだったんだって。でも、三人揃って捨てられたの」
昨日の夕飯の内容を答えるのと同じくらいたいしたことではないと言う様子で玻璃は話したが、たぶん三人揃って売られてしまったのだろう。そのマスターが買い手なのか単純に保護しただけなのかはわからないが、玻璃にとって血縁地縁は意味を持たないことなのかもしれない。
「マスターの弱点は朔夜。と言うよりも、自分のかわいい奥さんを守れないという事実。マスターは家族への憧れがとても強いの。朔夜を守る、大切にするというのがマスターの美学。朔夜を人質に取れば諦めるかもしれない」
玻璃は淡々と状況を説明する。
しかし、気付きたくない事実に気付いてしまう。
「……ちょっと待て……同じことがルシファーにも言えるぞ?」
あの嫁を溺愛しすぎている過保護な男は特にあの一件から完全にリリムが弱点になってしまった。
「え?」
「リリムを人質に取られりゃ終わりだ。あいつはリリムを溺愛しているからな……」
嫌い合っているのは似たもの同士だったからかと頭を抱えたくなる。
「急ごう」
ぽんと、背中を叩かれる。
予想よりも冷静だった玻璃の言葉に大人しく従うしかなかった。
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