間章



「また来たの?」

 留守番中に訪れた姿を見て玻璃は呆れてしまう。

 彼女の考えはよくわからないけれど、この行動は愚かだとしか思えない。

「当然だ。お前が首を縦に振るまでは毎日だって来てやる」

 その言葉に思わず溜息が出る。

 正直なところ、近頃瑠璃の行為を少しばかり鬱陶しく感じている。

 彼女は血を分けた唯一の肉親で、双子の姉だ。故郷から拾われるときもずっと一緒。けれども見た目も考え方もなにもかもが違う。それに、同じ日に生まれたというのにずっと姉面して過保護なところにうんざりしている。

「何度来たって同じ。あなたの手は借りない。自分でやる」

 特に、仕事に口出しをされるのは嫌い。

 暗殺者にはそれぞれ手順というものがあるし、玻璃の場合は目立たずひっそりと、じっくり標的を待ち構えるのが好ましい。古典的ではあるが、それがマスターに叩き込まれた暗殺者【らしさ】だ。恐怖の一部に相応しい行動だと思っている。それなのに、瑠璃は目立つのが好きだ。ひっそり待ち構えると言うことが苦手で、まるで街中で喧嘩を売るごろつきのように標的に接近したり、公衆の面前でいきなり殴りかかったりする。それに、爆破が好きだ。全く暗殺者に向いていない。結果的に標的を殺せればいいだけの時は問題がないけれど、なるべくひっそりとやらなくてはいけない時、彼女のようなやり方では問題がありすぎる。

「ならとっとと済ませてこっちに戻ってこい」

 瑠璃は小さな子供の様に拗ねた表情を見せる。

「だめ……待つの……」

 雨の中じゃないと。

 雨の音は玻璃の気配を消してくれる。ひっそりと、じっくりと待ち構えるのにはとてもいい。

 けれどもそれだけではない。

 記憶の中の大切な存在を思い出していると、瑠璃が不快そうに「なにを?」と訊ねた。

「雨」

 静かに答える。想い出に浸るところを邪魔されるのは嫌い。

 瑠璃はいつだって、玻璃の世界を壊してしまう。

「なぜわざわざ雨の日を選ぶ? お前は昔からそうだ」

 濡れるし寒いし動きにくいだろうと呆れた様子を見せられる。

「だって……雨ならいつか私の罪を洗い流してくれる……きっと……シルバのことも、悲しいこともみんな全部……真っ白になれるまで洗い流してくれるから……」

 全部なかったことにしてくれたらいいのに。

 雨が降る度に思う。

 雨は心の支え。もしかすると信仰の対象そのものなのかもしれない。

「玻璃、私と来い。マスターはそう長くは待てない。お前とは違うんだ」

「知ってる。でも……あと五日ある」

 マスターは気が短い。そんなこと、ずっと一緒に暮らしてきた玻璃が知らないはずがない。拾って育ててくれたのも、暗殺者としての基本を叩き込んでくれたのもみんなマスターだ。そして、彼が仕事に厳しいことも、家族にとても拘っていることも知っている。

「そのうちに雨が来なかったら?」

「その時はまた考える」

 そう口にはしたけれど、もう、考える気すら起きない。

 たぶん、もう玻璃の中では結論が出ている。

 けれども、家族だ。

「シルバ……ねぇ、瑠璃、あなたにシルバは殺せる?」

 懐かしい顔を思い出しながら訊ねる。本当に、アラストルとよく似ている。

「ああ、一瞬の迷いもなく」

 瑠璃は考えもしないで、ほぼ反射で答えた。その様子が、ただぼんやりと置かれた色のように見えてしまい、小さく零す。

「シルバを……見つけたって言ったら……マスターはどんな顔をするかな?」

 マスターだって、シルバのことは家族だと思っていたはずだ。ずっと一緒に暮らしていたし、よく面倒を見てくれた。

「しくじったやつはみんな殺される。それが決まりだ。お前があの時殺されなかったのはお前の代わりに殺された餓鬼がいたからだ。次はない」

 瑠璃は普段は見せないほど厳しい様子で言う。

 言われなくたってわかってる。

 組織の掟は……全部頭に入っている。

「わかってる。だから……」

 目を閉じればすぐにアラストルの顔が浮かぶ。

「……次に会うときは敵かもしれない」

 もう、覚悟は決まった。

「は? どういうことだ?」

 瑠璃に睨まれる。彼女だってそれなりに迫力がある。けれども、睨まれたくらいじゃもう決意は揺らがない。

 それに、本気を出せば自分の方が強い。そんな自信に似た確信がある。

 けれども、今はまだ戦う時じゃない。

「信じ込ませて油断した隙を狙えば……毒の混入よりは簡単よ。だって、あの人、凄く警戒心が強いから私の手料理なんて絶対食べないわ。でも、追っ手の瑠璃を裏切ったとなればあの人の信頼を得ることが出来る……そうしたらずっと殺しやすい」

 手料理を食べないのは単に料理の見た目が悪いからだけど、それを瑠璃に教えてあげるつもりもない。

 瑠璃は納得した様子で、それでも呆れた表情を見せる。

「お前は相変わらず回りくどい方法が好きだな」

「褒め言葉、だと思っておくわ。でも、瑠璃は直球過ぎる」

 呆れるくらい暗殺者には向いていない人。

 瑠璃に関してはマスターに拾われてしまったことを可哀想だとさえ思ってしまう。彼女はもっと……別の道の方が向いている。

「シルバが言ってた。味方を騙せなかったら敵を騙せないって。私は自分も騙さなきゃいけないから……」

 今接触されるのはものすごく邪魔。そう告げると瑠璃は少しだけ傷ついたように「わかった」と答え、窓から壁を蹴って外へ飛び出す。

「また来るからな!」

 姿は見えないくせに随分と大きな声が響いた。

 目立つなと言っているのに。呆れてしまう。

「もう、来なくていい」

 既に聞こえないことを知ってそう零す。

 急いで窓を閉めてカーテンも閉める。数日前に気がついたけれど、この部屋の窓は鍵が壊れている。いつでも誰でも侵入できる不用心な部屋だ。それでも、あくまで言いつけは守ったふりをする。


 ―殺さない―

 微かな決心が芽生えたように思える。


 ―殺さなければ―

 臆病な自分が叫ぶ。


「ごめん、瑠璃」

 嘘を吐いた。

 きっと彼女はとても傷ついて怒るだろう。

 玻璃は彼女とは違う。嘘を吐ける。偽ることが出来る。

 けれども、頬を雫が伝い落ちる。

「……私は……人形になりきれないのね……」

 驚き零れた声が、部屋の中に反響して消えた。











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