第八章
「それで? アラストル、お前はどこまで情報を持っているんだ?」
「どこまでっつーと?」
地下への入り口を閉じ、店主が訊ねる。
「女の特長とかそのあたりか?」
「まぁな。黒い髪に赤い目、それに黒い服を好むこと。後は……マスターの名が『セシリオ・アゲロ』って名だったはずだ」
「ああ。他は?」
そう訊ねられ、アラストルは少し迷う。
問題のドーリーは俺の家に居るぜ? とは口が裂けてもいえない。
とりあえず他の人間でも苦労すれば手に入れられる範囲で言わなくてはいけないのだろう。
「十年前の噴水前広間の事件と何らかの関わりがあるらしいことくらいだ」
「そうか……ならこの情報はお前には役に立つだろう」
そう言って店主は一冊のノートを引き出す。
「これは?」
「ドーリーの情報のありったけだよ。ドーリーの名が知れ渡ったのが5年前。それから集めた情報だ。幼いながらによくやるよ。彼女は」
そう言って店主が指した一文にアラストルは目を疑う。
『ドーリー 23歳 識別番号零四壱
セシリオ・アゲロ率いるディアーナの幹部であると思われる。
アルジェントと呼ばれる銀の剣士と組んでいたと言う目撃情報もあるが真相は分からない。
現在は単独、またはヴェントとともに行動している。
ドーリーと呼ばれる起源は感情の表れないその表情からではないかと予測される。
現在、サーカス付近での目撃情報が多いことから賑やかな場所を好むのではないかと言われている』
「おい、ちょっと待て。随分いいかげんだなぁ……」
真相はわからないだとか予測されるだとか思われるだとか、確かなことはなにひとつ書かれていない。
「仕方ない。本人と口を利いた者はなにかと消されている。他に水族館で見かけたという情報もあるが……真相は分からん。もうひとつ分かっていることといえば、ヴェントが彼女の血縁者だと言うことだ」
「ヴェント?」
「正体不明の殺し屋だ。なにせ風のように現れ風のように去る。ただ、ヴェントは好戦的だがドーリーは気まぐれだと言われている。実際ドーリーが途中で飽きて殺されずに済んだ者も居るらしい。まぁ、それはただ依頼ではなかったというだけだろうが」
アラストルは記憶を手繰る。
まさかあの赤毛の女か?
「おい、そのヴェントってのは赤毛の女か?」
「いや、運良く生存した目撃者の話によるとヴェントは少し癖のある栗毛らしいが……変装の可能性もあるからな……」
「成程な……他にドーリーの情報は?」
目撃者を消すのは基本だ。つまり、二人ともそういう教育を受けているのだろう。
「アルジェントと組んだ仕事は失敗なしだったが、ヴェントと組むようになった当初は気まぐれで行動を起こしてばかりだったという話を聞いたがそれも本当かどうかは分からない」
店主の言葉に思わず溜息が出る。
「そのディアーナって組織は一体……」
そもそも組織として統率がとれているのかすら怪しくなってきた。
「暗殺者の集団だ。幹部数名、一人当たりに最低でも十人以上の部下が居るようだ。その部下にもまた下っ端のようなものが居て全体で千人以上居るのではないかと予想されているが、少しでも失敗すればすぐに消されるらしいからな……」
本当に新入り教育をする気がない組織らしい。
「ならあいつも?」
「あいつ?」
「ドーリー、俺を狙ってきた」
「そうか……なら、今頃消されていてもおかしくはない。だが……ドーリーはレオーネのお気に入りだからなんとか生かしてはもらえるかも知れんな」
店主は記憶を探りながら言う。文字には残せない情報が頭の中に詰まっているのかもしれない。
「レオーネ?」
動物に喩えられるということは、それだけ本能型の獰猛な性格なのかもしれない。
「セシリオ・アゲロの妻、裏じゃすっかり有名人だが姿を見たものは奴に消されているらしい。目撃者の証言によると、奴は去り際に『僕の奥さんに色目を使わないでください』と残していったらしい」
「……なぁ、そのセシリオ・アゲロって男は相当器が小せぇ男なんじゃねぇのか?」
相当妻を束縛する気の小さい男なのかもしれない。外では穏やかそうに振る舞って家では暴行、なんてことも……いや、外でも十分好き放題やっていそうだ。
「俺もそう思うよ。で、アラストル、ディアーナにどのくらい関わってる?」
店主はどこか案じるような様子で訊ねる。
「セシリオ・アゲロと一度接触した」
玻璃の怯え方からして本物だろう。ただ、あの怯えが演技の可能性もまだ捨てきれない。あの玻璃という女を知り尽くしているわけではないのだから、組織に狙われているふりをしてなにかを仕掛けてくるかもしれない。
「そのセシリオ・アゲロはどんな男だった?」
情報が欲しいと言わんばかりだ。
こちらからは金を取るくせに、自分はどんどん聞き出そうとする店主に少しばかり苛立つが、隠すほどのことでもないので正直に答える。
「赤毛の……どこにでも居そうな普通の男だ」
思い返しても、赤毛以外の特徴を挙げることが出来ない。本当に、印象に残らない顔。服装はやや異国風だったかもしれない。ああ、そうだ。砂漠地方で好まれる薄手の羽織物を着ていた。けれども、顔つきはクレッシェンテ人と言われても、他国の人間だと言われても納得してしまう。
「赤毛? お前が見た女は奴かもしれんぞ?」
「まさか!」
店主の言葉に思わず叫んだが、その可能性を完全に否定することは出来ない。
男が女装していたとしても遠くから見ればわからない。特にあのセシリオ・アゲロという男は平凡すぎるほど平凡だ。それに外見だけなら弱々しくも見える。男にしてはやや背が低い。遠目なら女に見間違えた可能性は十分にある。
「ひょっとしてあの女……そうだ。あいつは【女は見ていない】と言ったんだ。男だと気付いていたのかもしれねぇ……」
「心当たりがあるのか?」
「ああ、大聖堂で見かけた女が、言ってた。赤毛の女は見ていないと。あいつはひょっとして……」
嘘は吐かなかった。そうだ。あの女は嘘は吐かなかった。意図的に隠したかもしれないが、嘘は吐かない。
思い返していると、店主は考え込んで、口を開いた。
「レオーネ、かもしれないな。いやヴェントか? とにかく幹部の人間ならセシリオ・アゲロの姿をよく知っているはずだし当日の作戦なんかも聞かされているはずだ。だからお前の言葉に驚いたのだろう」
栗毛の女……ヴェントだろうか?
アラストルは大聖堂で会った女を必死に思い出す。
あの場所にはよく訪れると言っていた。また改めてあの場所に行けば接触する機会はあるかもしれない。
「おい、ヴェントって女のことはドーリー以上の情報量はあるか?」
「いや、ドーリーの情報よりは少ない。なにせ、
掴めない、と店主は言う。
仕方がない。
諦めながら現場に残されたナイフを出す。
「ああ、それともうひとつ。このナイフについてなにか知ってるか?」
「詳しくは知らない。が、時々ドーリーが目撃される場所にある」
「そうか」
普段見かける玻璃の性格を考えると、わざわざ投げた武器を回収して帰るようなマメさはなさそうだ。
アラストルは店主に金を渡して店を出る。一応新しい情報が入ったら教えてくれと念は押した。
その間も、大聖堂に居た女の姿が頭から離れない。
見えない不安にただただ苛立ってしまった。
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