第九章
アラストルは帰宅するなり思いっきり玻璃を怒鳴りつけた。
「家には誰も入れるなと言わなかったか?」
しかし、当の玻璃は大袈裟に驚いたというように目を見開くだけでなんのことかわかりませんという様子だ。しらばっくれる気かと、見つけた証拠品、栗毛の毛髪を突きつける。
「栗毛の髪が落ちている。お前でも俺でもないとしたら誰かが入ったとしか思えねぇ」
そもそも家政婦を雇えるような身分ではない。女を自宅に連れ込んだことも……玻璃が来るまではない。
髪の毛は床の上と窓枠に残っていた。
「この長さだとすれば女か? だが、男でも髪を伸ばしているやつも居る……俺もだが……」
毛髪を突きつけながら言っても玻璃の反応は変わらない。完全に思考を閉ざそうとしているようにも見える。これは相当訓練を受けたに違いない。
「玻璃、誰が来た?」
なるべく声を落ち着かせて訊ねる。
「……知らなくていい……」
「は?」
玻璃の言葉に耳を疑う。それはつまり誰かが来たと認めたと言うことだ。
「……アラストルは……知らなくていい……知らない方がいいの……」
玻璃は消え入りそうな声で言う。
自分の家に来た不審者を知らなくていいなどと口にするなんて正気じゃない。
「どういうことだ?」
そんな言葉で納得ができるはずがないと思わず睨む。玻璃はただ俯くだけで答えるつもりはないらしい。
「……知ったらきっと殺されるから……」
ようやく絞り出された言葉はそんなものだった。
「……ここに来たのは男か? それとも女? それだけ答えろ」
詳しくは追求しない。そういう態度を見せれば、しばらく悩み、それから小さく「女」と答え目を伏せた。
「栗毛の女……」
情報屋の話にあった候補のどちらか。ただ、大聖堂で会ったあの女とは別の女だろう。
「ヴェントかレオーネと言ったところか」
そう、口にして玻璃の反応を観察しようと思った。しかし、反応は想像とは違う。
「アラストル! どうしてそれを知ってるの!」
顔を上げたと思った玻璃の表情は驚愕の色が強い。普段の静かな透き通る声ではなく、叩きつけるような問いには怯えが混ざっているように聞こえた。
「悪いがいろいろと調べさせてもらった」
「……そう……」
視線を逸らした玻璃は長椅子の上で丸くなる。まるで拗ねた子供の様な仕種だった。
「アラストル……どこまで知ってるの? 場合に寄ってはその情報元も消さなきゃいけなくなる……私のことだけなら私が消えれば住む話。だけど……シルバのことが関わるなら……私は魔族にだって魂を売る」
魔族に魂を売るというのは魔の道に落ちることだ。人間を捨て、永遠をえる代わりに人間の心を失うと言われている伝承だ。魔道に落ちれば神の国には行けなくなるとされている。魔族に魂を売るというのは、つまり、犯罪以上に人の道を外れたことをやってのけるという覚悟を示す言葉だ。
正直なところアラストルには玻璃の口からそんな言葉が飛び出したこと自体信じられない。それだけ、そのシルバという男は彼女にとって大切な存在と言うことだろう。
魔道に落ちても隠したい秘密。
それを暴きたいなどと……口にできるはずもない。
「俺が得た情報の中にシルバの名は出てこなかった。代わりに出てきたのはアルジェントという名だった」
そう告げれば、玻璃は一瞬驚きを見せ、それから懐かしむような表情を見せる。
「アルジェント……久しぶりに聞く名……彼が生きているなんて情報は……ないんでしょう?」
一瞬、まるで期待するような目をしていた。そう、見えただけかもしれない。ただ、その人に生きていて欲しいと願っているような、そんな瞳に見えた。
「……ああ」
ただ、頷く。すると玻璃は諦めるように、いや、悲しむように両手で顔を覆った。
「ヴェントとレオーネ、それとお前が名乗ったドーリー。この三人がディアーナの幹部だということ、それと、これが……お前の目撃情報のある場所に落ちていることが多いということだ」
襲撃現場で拾ったナイフを差し出せば、玻璃は気怠そうに頭だけ起き上がらせ、一瞬視線を向けたかと思うとまた長椅子に転がる。
「これ、私のじゃない」
面倒くさそうな答えだった。
「は?」
「私のは全部印が入ってるから」
「印?」
訊ねれば、まるで手品のようになにもない空間からナイフが現れ柄を差し出される。
「アルジェントって」
「アルジェント? お前の名はドーリーだろう?」
「おまじない」
小さく答えた玻璃の声を聞きながら、渡されたナイフを見る。確かに小さな文字でアルジェントと彫られている。現場で拾った方には文字は入っていない。ただ、どちらも同じ形、同じ装飾の品に見える。出所は同じかもしれない。
「シルバが背中を押してくれる気がして……」
ぽつりと玻璃が呟く。
「シルバが?」
「うん。シルバがアルジェント。マスターの洒落」
「銀髪の剣士だから?」
「そう。それに……シルバの名前とおんなじ意味だから」
玻璃はまたどこかから新しいナイフを取り出して弄ぶように動かし、それからアラストルに向けた。
「……あなたは……知りすぎた……」
表情が消える。
「俺を殺す気か?」
アラストルも表情を変えずに問う。
不思議と、玻璃から殺気は感じない。いや、一流の殺し屋ってのは殺すときに殺意なんて見せないものなのかもしれない。
「……本当は、雨を待つつもりだったんだけど……」
硝子玉の瞳がじっと見つめる。
―ああ、玻璃は本気だ―
玻璃の目を見て思った。
このまま斬られれば即死できるだろう。腕は確かなのだから。
そうしたら、リリアンの元へ行けるかもしれない。
僅かながらそんな期待もあった。
「ごめんなさいね。痛みは一瞬で済むわ……」
玻璃の両手には、いつの間にかナイフが六本。器用に構えられている。投擲の構えだ。見るからに非力そうな彼女はやはり投擲が専門なのかもしれない。
「恩はあるけど……マスターの命令は絶対……」
玻璃にとって組織は家族なのだろう。だとしたら、家族の元へ帰りたいのは普通だ。
不思議と、抵抗する気が起きなかった。
「ああ」
もう、受け入れてしまおうと思った。
リリアンと同じ顔の女が刃を向けている……。
結局、アラストルはこの顔に弱い。あの子と同じ顔をした女を殺せるはずがない。
「やっと俺も……お前の場所に行ける……」
目の前の玻璃が記憶の中のリリアンと重なったせいだ。
アラストル・マングスタは刃を受け入れる決意をした。
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