第3話

 手に下げた紙袋をぶらぶらと揺らしながら、彼女が楽しそうに歩く。あたりは少しずつ暗くなって、彼女の行く道を彩る様にイルミネイションがショーウィンドウを照らしている。


 あの後。彼女が気になっていたという店……かわいらしい、小さな服屋で、二人で買い物をして。あたしと彼女とで、映画までの待ち時間いっぱい、何着も服を試着した。

 彼女は何を着ても似合うけれど、くるくると表情を変えながら彼女が服を選ぶたびに、あたしは無い語彙を絞り出して感想を伝えた。素敵だ、とか、本当にモデルさんみたいだ、とか。その度に彼女は、楽しそうに試着室の中でふわりとターンして、笑ってくれて。


 それに、映画だ。二人で隣の席に座って、同じスクリーンを見つめて。

 内容はいわゆる恋愛映画だった。普段はあんまりよく見るジャンルじゃなかったけど、スクリーンの中で恋人たちが交わす言葉とか、一緒に出掛けたり、手をつないだり、そういう情景が今の自分たちと重なって、なんだか普段よりも少し、気恥ずかしくて。

 つい、彼女の方をちらり、と見つめると、彼女は食い入るように画面に見入っていた。瞳をきらきらと輝かせて、真剣な表情を浮かべる彼女は、なんだか3割増しできれいに見えて。

 正直そこから後は、彼女の表情しか記憶に残っていない。彼女には途中で気づかれて、ちょっと頬を膨らませながら、デコピンされてしまった。


 そうして。受験勉強の息抜きみたいに、一日中二人でめいっぱい遊んで。


 駅までの帰り道、彼女はずっと、あの映画の感想を楽しそうに話している。あたしはうんうんと頷きながら、楽しそうに歩く彼女を見つめていた。


 ――そうして、一歩、一歩と、別れの時間が近づいてくる。

 彼女がふと、あたしの顔を見て、足を止めた。


「……ごめんね。楽しく、なかった?」


 あたしが彼女の方に振り替えると、彼女は両手をぎゅっと握って、さっきまでの元気が嘘みたいに俯いていた。

 胸の奥に、感じたことのない痛みがズキリと走る。


「だって今日、ずっと難しい顔、してるもん……」


 きらり、と彼女の瞳から、光が雫になって零れる。あたしは突き動かされるみたいに、彼女の手を握って、そんなことない、って叫ぼうとしたけれど。

 彼女が顔を上げて。子供みたいに鼻を真っ赤にして、いまにも声をあげてしまいそうなくしゃくしゃの泣き顔を見て、飛び出しかけた叫びが、つい喉の奥に引っかかる。


 あたしは、馬鹿だ。関係の名前とか、これはまだそうじゃないから、とか、彼女の願のこととか、そんなことに拘って、彼女の気持ちに気付けてなかったんだ。

 あたしと一緒に楽しみたい、って思ってくれてる、彼女の気持ちに。


 今にも泣きだしそうな彼女の顔に、胸の奥の痛みが強くなる。せっかくのを、あたしが台無しにしてしまったかもしれない。そう思うと、頭の中が真っ白になってしまう。


「あたし、楽しかった! 」


 ――けれど。あたしは、今日の誓いを思い出す。彼女と居て、感じたことは、全部。ちゃんと、言葉にして伝える。


「不安にさせて、ごめん。……でも、あたし、楽しかった。」


 彼女が、つないだ手をそっと握り返してくれる。


「たくさん話をして、一緒に遊んで、見たことない顔を見せてくれて。キミが……」


 一瞬だけ、喉の奥に言葉が詰まる。今日、彼女を見ていて……ううん、初めて会った時から、彼女に感じていた気持ち。それがなぜだか、言葉にならなくて。言葉をどう飾っても、伝えきれるような気がしなくて。


「……とっても、。一緒にいるだけであたし、幸せだった! 」


 だけど、気持ちは止まらない。結局のところ、真っ白になった頭は、一番真っ直ぐに、わかりやすい言葉でしか思いを伝えられなくて。


「だから……」


 だから、もう一度。そう言いかけて、言葉がさえぎられる。

 ――唇に、優しくて、甘い感触がする。あれほどうるさかった心臓の鼓動が、あまりの驚きに、止まってしまったように感じた。


 「――やっと、言ってくれた。」


 あぇ、と。彼女と初めて話した時みたいに、声が漏れる。目の前には、相変わらず目尻に涙をためて、でも、さっきとは打って変わって頬を緩ませた、彼女の顔。

 鼻が触れ合いそうな距離の、彼女の顔が、宝石みたいな瞳があたしをまっすぐに見据えていて。少し間をおいて、あの唇の感触が何なのか、やっと思い至って。少しだけ顔を赤らめた彼女の手が、痛いくらいにあたしの手をぎゅっと握っていることに、ようやく気付いて。


 そこまで来て、やっと心臓が動き出す。こんなに出遅れたくせに、どんどん加速する心臓が、あたしの胸を痛いくらいに叩いてくる。


 なんで思い至らなかったんだろう、っていう心の声が聞こえた。でもそれはきっと、彼女にとっては当たり前の言葉なんだろうって、最初からあたしが思ってしまっていたから。たったそれだけのことを、彼女が願ってくれるはずなんて、って。


 頭の中ばかりがぐるぐると回って、あたしが呆けていると、彼女がくす、と声を出して笑った。頬に小さな光が一筋伝って、それがあたしにはどんなイルミネイションよりもまぶしく見えて。


 彼女が、どんかん、って呟く。


 ――握っていた手が、放れる。あたしはとっさにそれを追おうとするけれど、それよりもずっと早く、彼女はあたしに抱き着いてきて。


「だって――」


 耳元で、震える声が聞こえた。

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