エピローグ2 みふゆとあきの
音に反応して、ノートに走らせていたペンを止めた。
玄関でがたがたと音がする。何事かと思って部屋から顔を出して階下を覗くと、夏休みだというのに出かけて行ったみはるが帰宅していたみたいだった。
傍らには知らない女子高生らしき子がいる。黒髪がさらりと長くて、いかにも聡明そうな感じの子だ。珍しい、友達でも連れてきたのかな。
「おかえり」
私がそう声をかけると、みはるは私に向けて手を振った。
「ただいま。あ、こっちは友達のあきの。今日は勉強会しにきたの」
傍らの女の子は笑顔で軽く会釈した。もてそうだなというのと、友達多そうだなというのが、大雑把な印象だった。ちなみにみはるの友達は幼稚園から通しで見てもかなり少ないのでこんなことは非常に珍しい。いかんせん癖が強すぎるのだ、妹よ。
「まあ、ごゆっくりー。あとでお茶くらい出すよ」
「ありがとー」
そんなやり取りをして、みはるとその友達は部屋に引っ込んだ。私は階下に降りて、飲み物と適当な茶菓子をさらに引っ張り出して、お盆に並べた。我ながら適当なチョイスだが、まあとっさの応対なんてこんなもんでしょ、と適当に流してお盆に載せて持っていった。ただ、部屋をノックする前にほぼほぼ寝間着みたいな恰好ですっぴんの自分に気付いたが、まあいいかとそのままドアを開けた。
「はーい、カルピスとクッキーですよー」
「わーい、チョイスがしょうがくせーい」
みはるが適当なヤジをいれてくるのを無視して、勉強道具を広げている机にお盆を置いた。氷のカランといういい音が鳴る。あきのと呼ばれていた子はさっきと同じように軽く会釈してきた。ちらっとだけ観察すると、遠目で見た時よりもなおのこと最初に抱いた印象が強くなった。大人びた感じを醸し出しつつ、振る舞いは清楚でおしとやか、ノートに書かれた文字もぴっちりと礼儀正しい。なにより笑顔がまぶしい。予備校と家の往復を繰り返す、半引きこもり生活者にはちと目がいたい。みはるもこんなよさげな子どこで見つけてきたんだかと、軽く息を吐いた。
「まあ、ごゆっくりー」
そう言って、私は席を外した。
それから一時間くらい隣室でやいのやいのと言いながら、勉強している声を聴きながら勉強していた。軽く聞こえてくる程度だが、どうにもあの清楚ガールは見た目に反してみはるにはあたりがきつい。まあ、みはる自体そなんもんでへこたれるような子じゃないから、意外とバランスがいいのかもしれない。それになんだかんだといいつつ、ちゃんと勉強を見てもらっているみたいだ。いい友達を持ったねえ、と姉としてしみじみしつつ自分の勉強を進めていく。
二時間ほどしたところで、一息入れようと背伸びしていると、こんこんとノックが鳴った。はて、とドアを開けると、件の友達の子が覗いていた。
「お勉強中すいません、何か飲み物いただいて大丈夫でしょうか?」
「ああ、全然いいよ。え・・・と、みはるは?」
「途中で寝ちゃいまして・・・。なんでも、昨日夜遅くまで電話してたとかで」
「あー・・・」
また、件の『なつめさん』と電話していたのだろう。そういえば、昨日も遅くまで話し声がしていた気がする。それにしても友達来てるのに寝るか、あいつ。そういうとこやぞ、妹よ。
「ごめんね、常識ない奴で」
「ははは、慣れました」
良い返しだねえと舌を巻いてから、部屋に戻っててと告げて私はついでに自分の分の飲み物も入れて、再びみはるの部屋に入った。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます。喉乾いたけど、勝手にとるわけにもいかないし、とっても助かりました」
「ねー、このお気楽星人が」
ちなみにみはるは机に突っ伏してノートに顔をうずめたまま寝ていた。ほっぺをぷにぷにとしてやるが大した反応もない、割と爆睡しているなこいつ。
「じゃあ、ま、ごゆっくり」
「あ、すいませんあと一ついいですか?」
「ん?」
呼び止められて、振り返るとその子は手を軽く合わせて優しい笑顔をこちらに向けた。ともすればすさまじくあざとい所作だけれど、美人がやると非常に画になる。なんというか、そういう厭らしさをちゃんと排除した立ち振る舞いだった。シンプルに人に好印象を与える動きというのだろうか。
「良ければ、ご一緒に勉強しませんか?受験科目とか教えていただきたくて」
「あー、・・・うん。いいよ」
悪い印象はなかったから、そのまま肯定してしまった。ただ、浪人生にそこまで見れるもんかねえと若干、卑屈になりながら勉強道具を持ってみはるの部屋まで戻る。みはるの勉強道具を端に追いやって、私の勉強道具を広げる。そうすると、その子、あきのちゃんは私の勉強を覗きんでくる。
「難関の国公立のやつですよね、それ。目標が高くていいですね」
「そだよー、まあ、浪人生だから一回落ちてんだけどね。あー、あとね、言いたいことがあって」
肩がこるので、気になっていたことを一つ言うことにする。
「はい・・・・?」
「あんま猫被んなくていいよ、私もこいつの姉だし。なんというか、そこまで畏まられても、逆にしんどいから」
「------ふうん、わかった。私もそっちの方が楽だから助かりますけど」
そう言って、あきのちゃんは笑った。さっきまでの綺麗に作られた笑いが、少し底意地の悪いそれに変わる。ちょっと性格悪そう、やっぱ妹の友達だねえと軽く口笛を吹く。ちなみに意地の悪い笑みでも美人は美人だ、違った意味で画になる。
「ちなみに、どこで私の性格悪そうだと思ったんです?」
「いや、うちの妹が連れてくる子が、そんな清廉潔白なわけないじゃん」
「あはは、みはるのせいかあ。それじゃあ仕方ない」
軽く笑い合って、お互いペンを走らせる。気兼ねない会話というものを最近してこなかったから、どうにも心が躍ってしまう自分がいた。予備校は悲しいかな、みんなひっ迫感があるからここまで気楽な会話はできなかった。
「そこ、構文の解釈、間違ってますよ」
「え、まじで。というか、この範囲わかるの」
「どんなものかと思って、テキストの方先読みしたら書いてあっただけです」
「うわあ、賢い子は違うねえ」
消しゴムで和訳を消して、考え直す。うーん、どうなってんだ、これ。
「どこの大学受けたんですか?」
「ん?近場のやつ。ここから通えるしね。そこまで極端に偏差値高くないし」
「ですよねー。やっぱここからだとそれが安パイですか。私もそこにしようかな」
「君くらい賢かったら、もうちょっと上目指せるんじゃないの」
「嫌ですよ、上に行くってことは相対的に私の頭が武器にならなくなるじゃないですか。無理して自分の限界に挑んでもしんどいだけです」
「おう・・・そっか。私としては実はこれが限界ラインなんだけど」
「やめといたほうがいいですよー、入った後に落ちこぼれ扱いされるのがオチですって」
「・・・もうちょい、頑張んなきゃダメかあ」
「頑張んなきゃ・・・って、そこまで頑張る必要があるもんですか?国公立だから?」
「それもあるけど、浪人しちゃったからねえ。折角だから、いいとこ入らないとさ」
「それで、無理しちゃ意味ないと思いますけどね」
「・・・そうかなあ」
コロンとペンを置いた。天井を仰いでふぅと息を吐く。そういえば、もうあんまり無理はしないことにしたんだっけな。うーん、と伸びて肩を回す、ごきりごきりと嫌な音が鳴る。「運動した方がいいですよ、頭悪くなります」「そっか・・・」運動って、成績にも関係あったんだ、体育2の私には無縁なものと思っていたいのに。
「ところで、えーと、君はさ」
「あきのでいいです」
「・・・あきのはさ、なんでうちの妹と一緒にいんの?」
「・・・・友達だから、らしいですよ」
少しぶすっとしたように、呟いた。何か、引っかかることがあるらしいし。
「ま、その前は私がこいついじめてたんですけど」
「あー・・・・、例の子が君だったのか」
「みはるから聞いてたんですね。・・・何か、思うところとかないんですか?」
「いいや?君たちの間で解決したことなんでしょ?じゃあ、私が首突っ込むことじゃないよ」
はあとため息をつかれた。何故。
「私の緊張返してほしいですよ、まったく」
「緊張してたんだ・・・」
全然そんなふうには見えなかった。猫かぶりはうまそうだなとは思っていたけど。
「そりゃ、そうでしょ。家族をいじめてたやつなんて、解決しても普通は嫌悪してしかるべきですよ」
「うーん、そうなのか、な」
「まあ、みはるを生み出した一族ですもんねえ、そんなもんか。こっちは最初に良い印象与えて、壁越しの会話にも気を使ってちょっとずつ本性出していって、ゆっくりなじませる予定だったってのに」
いや、あそこの会話まで聞かれる前提で話してたんかい。若干、冷や汗をかきつつ苦笑いをする。あきのはペンの持ち手の方で寝ているみはるのでこをぐりぐりといじめている。謎の感覚に寝ているみはるがうごごと呻いている、相変わらずお気楽な妹である。まあ、こう見えていろいろ考えてるんだろうけど。
「こいつもこいつですよねえ、私といたほうが楽しいよとか人に言っといて。卒業したら、自分は遠くに行っちゃうらしいですよ。そのために私に勉強に付き合わすし、挙句、寝るし」
「まあ・・・みはるは言い出したら変えないねえ。なんか、ごめんね」
あきののペンがみはるのほっぺたに移行する間接的に口の中を攻撃されてみはるの呻き声がどことなく苦しそうになる。ふご・・ふごご、と呻き声も鈍くなっていく。可哀そうだとは思うが相応に自業自得だよ、妹よ。
「ま、いいです。振り回された分だけは聞いてもらったので。こいつのことだし、遠くに行っても連絡くらいよこすでしょう」
あきのはふぅと軽く息を吐いて、ペンをみはるの頬から離した。みはるは最後にふごと呻いて寝息がおとなしくなる。あ、ノートによだれ垂れてる。
どことなく、寂しそうな顔に見えた。寂しそうな顔でも美人になるのが卑怯だよねえ。
「まあ、うん、あれだよ。私も君と同じ大学行くしさ、それで勘弁してあげてくんない?」
「あはは、なんでお姉さんが一緒に行ったら、帳消しになるんですか。大学でいっぱいおごってくれるんですか?」
「いや、それは厳しいかなあ・・・。話し相手くらいかな」
暇な時間は趣味に当てたいので、あまりバイトとかしたくないし。
「ふうん、じゃあ、それで許してあげます。ただ、このことみはるには内緒ですよ?」
「なんで?いや、まあいいけど」
「ふふふ、仲良くなったあとにばらした方がこいつの反応が楽しみじゃないですか」
あきのはにやっと意地の悪い笑みを浮かべて、指の腹でみはるの鼻をぐりぐりといじめる。みはるはふがふがと豚みたいな鳴き声をあげる、変幻自在だな、うちの妹は。
「あ、でも。言ったからにはちゃんと受かってくださいね?最悪、二浪して同級生になってもいいですから」
「いや、それは私が勘弁したいから。今年で決めるよ・・・」
ふふふ、と笑いながらあきのはみはるの鼻を押し続ける。緩急をつけて押したり引いたりするものだからふが、ふごご、ふがごとなんだか、変な楽器みたいになっている。
「というわけで、起きろー!ばかみはる」
ぱかん、と頭をはたかれてみはるはびくんと震えると、ゆっくりと顔を上げた。
「・・・・おはよ・・。あれ、お姉ちゃん。なんでいるの?」
「あんたが寝てる間、一緒に勉強してたの」
「そっか・・・うう、変な夢見た」
「へえ、どんなの?」
「・・・なんでそんなにやにや笑ってんの?・・・なんかなつめさんとデートしてたら顔に向かって変なものが飛んできてーーーーーー」
私はそのまま、はははと笑った。寝ぼけたみはると一緒にあきのが帰る時間まで勉強して過ごした。
帰り際にあきのに無言で引っ張られて、こそっと私の携帯を取り出すと、何やらすばやく入力するとぱっと渡してきた。
「じゃあ、お邪魔しました」
「私、送ってくるねー」
「うん、またおいでー」
「ふふふ、そうします」
自分の部屋に戻ってから、ドアを閉じて携帯を開くと、知らぬアイコンが友達登録されていた。ほどなくして、ひゅぽっという音ともに通知が来る。
あきのです、今日はありがとうございました。これからよろしくお願いしますね。あと、みはるの弱みの写真とかあったらばんばん送ってくださいね!
その通知をみてくすっと来た私は、返信のメッセージと、いつだったか撮った寝間着でおなかを出して寝ているみはるの写真を張り付けておいた。
また、ほどなくして返信が返ってくる。
うーん、懐かしいなこの感覚。高校の頃の友達は忙しくなってきているのか、あまり連絡取れなくなってきていたから、自分の発信に誰かがこういったふうに返信を返してくれるのは新鮮に感じられた。小説を再開したら、こういった感覚を書くのも悪くない。
そんなことを思いながら、軽く背伸びをした。今日はここまでにしようかと、一瞬おもったが不思議とまだ集中が続きそうなのでペンをとった。今日、あったばっかの子、大した理由にもなりはしない。でも、大学に受かってあの子が後輩として入ってきたら、まあなんか楽しうだなと思った。
だから、もうちょっとだけ勉強しようか。
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「今日連れてきたあきのって子、いい子だったね」
「ん?そうだね。でもああ見えて、実はちょっと性格悪いよ?私ほどじゃないけど」
「んー、それはなんとなく察した。それも踏まえていい子だねって、美人だし」
「ふーん、・・・・お姉ちゃん、楽しそう。なんかいいことあった?あきのとなんか話したの?」
「はは、ないしょ」
「うえ、何それ、気になる」
「ははは」
ちなみに、数か月後、大学は合格点ぎりぎりで受かった。そのことを報告すると、あきのからはおめでとうございます。来年からよろしくお願いしますねせんぱいと返信が来た。
うん、悪くない。
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