第12話 掛罠

 町人地の辻に、ある町屋がある。

 表向きは、なんの変哲もない枕売りだ。通りに面した棚に売りものの枕が並べてある。

 だがそこでは、今まさに黒太刀組の頭目である蔵人くらんどが、配下たちに厳命をを与えていた。


「禍々しく大きな影が、すぐそこまで迫っておる」


 ここは黒太刀組の城下防衛の拠点である。十畳ほどの家内にあるのは、箪笥たんす葛籠つづらなどの収納道具ばかり。中に入っているのは、変装用の衣装に武器や忍器などだ。


「こたびの刺客は今までとは勝手がちがう。強敵じゃ」


 受命しているのは、若い男、年かさの男、若い女の三人である。

 いずれも、どこにでもいる目立たぬ町人にけている。

 たとえば若い女は、島田髷しまだまげに手ぬぐいをかぶり、そばには炭の束をおいてある。炭の行商である大原おはらの変装である。


「虚無僧、放下師、流れ者。見なれぬ顔はすべて疑え。まだ討つ必要はない。見つけたら後をつけて正体を探るのじゃ。わかったな」

「承知!」

「承知!」

「承知!」


 三人の配下は手早くしたくをすませて表の辻へ出ると、示し合わせたようにサッと三方に散る。




 町人地の通り。

 手鞠が、老婦人と道脇で立ち話をしている。


「おかげさまですっかり具合が良くなりました」

 老婦人は何度も頭を下げて礼を述べる。

 彼女は、善吉の薬で長らく病んでいた病気が回復したのだ。

「それはほんとうになによりでございます」

 手鞠も心から喜んでいるようだ。

 老婦人は頭を下げながら立ち去っていく。


 それと入れちがいで、角から虚無僧こむそうがあらわれる。

 虚無僧とは、禅宗の有髪の僧のことだ。深網笠をかぶり、肩に袈裟をかけ、刀を帯びて尺八を吹き、銭を乞うて諸国を行脚した。


「あの、もし」

 手鞠は声をかけて駆け寄り、虚無僧が手にしているお椀に銭を入れる。

 寄進を受けて、虚無僧は無言で頭を下げる。

 手鞠も会釈するが、

「……!」

 顔を上げた瞬間、ハッと息を止める。

 目を伏せたのはほんの一瞬だったのに、次に見たのは、すでに五間(約九メートル)も先にいる虚無僧の後ろ姿だったのだ。


 その様子を建物の陰から、一人の大原女がジッと見つめていた。射抜くような鋭い目つきだ。蔵人に命を受けた黒太刀の若い女である。


 


 虚無僧はすでに町を抜け、〈麓の森〉へむかう田んぼ道を歩いていた。

 たしかに歩いているのに、常人の駆け足よりもずっとはやい。まるで地を滑っているかのようだ。

 鬱蒼とした森の中に入っても、まるで木々が存在しないかのようにスルスルと歩き進んでいく。


 ガサリ──

「!」

 目の前のやぶから、とつぜん話題の八尺熊が現れ、

「グボワーッ!」

 と凄まじい咆哮をあげて威嚇してくる。

 が、虚無僧は平然とした様子。

 立ち止まり、深編笠を取って顔を見せる。

 甲賀の里で子弟たちに忍術指南をしていた、伴与ばんよ五郎ごろうである。

 自由に各地を移動できるうえに深網笠で顔を隠せる虚無僧は、潜入忍びが偽るにはかっこうの身分なのだ。

「わしじゃ。お務めごくろう」

 ねぎらいの言葉を残し、与五郎はまた歩き出す。


 八尺熊の背中が開き、中から肩車をしている汗だくの甲賀者二人が姿を現す。

「あ~暑い!」

「獣の皮じゃからなあ」

 あの鬼熊を仕とめて作った着ぐるみだったのだ。


 与五郎はしばらく歩き続けていたが、綺麗な泉を目印に足を止める。

 周囲は鬱蒼としているが、ここにだけ心地良い木漏れ日がさしこんでいる。さらには、座るのにちょうどいい塩梅の石まである。

 麓の森の〈休憩場〉といえば、この付近のことをさすのだ。弾正一行も、狩りにきた際は必ずここで休憩していたし、そのとき弾正がこの石(通称休憩石)に腰かけるというのも有名な話だった。


 今その休憩石に腰を下ろしているのは、大河原おおがわら徳馬とくまである。

 鎖鎌くさりがまの刃に指を這わせて、入念に切れ味を点検している。

 徳馬は気配に気づくと顔をあげて、

「与五郎、いかがであった?」

「狩り狂いの弾正は、もはやダダをこねる童のごとしであるとか」

「ほう」

「ただ家老の右近めがいさめるせいでまだ……」


 まるで見てきたように報告するが、これらの情報ソースはすべて与五郎が城下でかきあつめてきた噂話である。だが馬鹿にしたものではない。もちろん重要機密などがタダで道に落ちているわけはないが、この手の有名人のゴシップ的な情報はこの時代の最大の庶民の娯楽であったから、信憑性はそこそこ高かった。情報の出所は、兵馬城の女衆と定期的に雑談をする機会がある、出入りの呉服問屋や米問屋などである。


「あとひと押しか……」

 徳馬が思案顔でつぶやく。


『狩り狂いの弾正がいてもたってもいられなくなるような獲物を捏造してこの森におびき寄せ、少数のお供で狩りにやってきたところを罠に掛けて殺す』


 これが今回の〈甲賀大作戦〉の全貌だった。


「かような奇策を弄するより、われら誇り高き甲賀忍びの術をもって夜陰に城入りし、弾正めの寝首を掻くべきではありませぬか?」

 与五郎は強気の意見を進言する。

「あの堅城要害をか? 誰を送る? わしは御免じゃ。おぬしか?」

「いや、わしは……」

 とたんに口ごもってしてしまう。


 徳馬は口元に挑発的な笑みを浮かべて、

「新たな餌を用意してやろう。あの男が飛びつきそうなものを」


 そのとき──

 ふわっ、

 と生温かい風が吹き抜ける。


 風を匂った徳馬の顔が一瞬で殺気を帯びる。

「……女の白粉おしろいの匂いじゃ」

 鎖鎌を手にしたまま、臨戦態勢で風下のほうにゆっくりとむかう。

「周囲はお味方がぬかりなく見張ってるはずじゃが……」

 与五郎は得物も抜かず、懐疑的な顔。

 徳馬は、人一人が隠れられるほどの太い幹をあやしみ、鎌を構えてサッと裏側に回る。

 だが誰の姿もない。

 周囲を見回しても、不審な影は見当たらない。

「気のせいか……」




 兵馬城。

 庭の弓場。


「………」

 弓を手にしている弾正は、白けた顔で〝獲物〟を眺めている。

 二人組の馬丁ばていが、芝居で使う馬ならぬ鹿のかぶり物を被って前脚と後脚を演じ、ドタバタと走りまわっている。かぶり物の出来具合も鹿脚たちの演技も滑稽としかいいようがない。


 弾正は、やる気なさそうに矢を放つ。

 偽鹿の胴体に命中すると(堅い素材らしく貫通しない)、二人組の馬丁は、

「キャヒーン!」

 と断末魔の声を上げ、ドタッと倒れて息絶えるさまを大げさに熱演する。


「つまらん」

 弾正は不機嫌そうに弓を下ろす。

 そばに控えている右近にむかって、

「またもくだんの八尺熊が森に現れたそうじゃな。手練てだれの鉄砲猟師がほうほうの体で逃げ帰ったとか」

「噂には尾ひれがつきものでございますから」

「これが〝噂〟と申すか!」


 小姓に持たせていた鉄砲をとりあげて右近に見せつける。

 鉄製の銃身ごと、くの字にグニャリと捻じ曲がっている。


「前足の一撃でこれじゃぞ! 前代未聞の化け物じゃ!」

 むろん、このひしゃげた鉄砲と猟師の下りは、〝えさ〟として徳馬たちが捏造したものである。

「領民もこわがって森には近づけなくなったという。領主として捨ておけぬ。今すぐ狩りじたくせい」

「なりません! 見通しの悪い森なぞに入ったら、刺客どもの思うつぼにございましょう。蔵人が申していた影の正体もまだ皆目わかっておらんのですぞ」

 右近が正論でいさめる。

「ええい、その御託ごたくはもう聞き飽きたわ!」

 弾正は苛々と怒りを噴出させて、

「心身が腐ったら勝てる戦も勝てなくなるわ! いまいちど命じるぞ、今すぐ狩りじたくをせい!」

「なりませぬ!」

 頑として譲らない。

「どうしても狩りがしたくば、このじじいめを討ってからになさるがよろしかろう!」

「よういうた! いますぐおぬしの心の臓を射抜いてやるわ!」




 麓の森の〈休憩場〉


「まことか!」

 徳馬は興奮した声をあげる。ついさっきまで稽古をしていたので、鎖鎌を手に巻きつけたままだ。

「はい。今日より三日後、弾正めはこの森で狩りを行います」

 与五郎が、橋の前に立っていた高札こうさつの内容を伝える。たったいま見てきたばかりだ。

「そうか!」

 徳馬の両目がギラつく。

「弾正め、まんまと餌に食いついたわ!」


 与五郎は、休憩石のそばにおいてある四個もの埋火うずめびに目をやり、

「あとはこいつに盛大に働いてもらうだけでございますな。これだけの埋火が爆発すれば、弾正の身体はナマスよりも細切れになりましょう」

 徳馬は石周辺の地面をトントンと確認するように踏みつけ、

「そう願いたいものじゃ」


 埋火うずめびとは現在でいう地雷である。木箱の中に火薬・金属片・鉄釘などを入れ、火のついた線香を入れた竹筒を蓋の裏に取りつけておく。これを踏み抜くと竹筒が割れ、線香の火で火薬が爆発するという仕掛けになっている。


 与五郎はからかうような調子で、

「それにしても徳馬殿。この作戦が成就した暁には、甲賀の大河原徳馬の名は晴れて〈名誉の忍び〉の仲間入りを果たすでございましょうな」

「わしの名が、〈下柘植しもつげ佐助さすけ〉や〈加藤かとう〉のごとく英雄語りに登場するわけか」

 フンと鼻で笑って、

わっぱ相手とはいえ、惣領はようもあんな大仰な作り話を大真面目にできるもんじゃ」

 与五郎もやはりせせら笑って、

「まあ、あれはあれで、幼い子弟を稽古に励ませるかてくらいにはなっとりますからな」

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