第11話 恋の予感

 廃寺の本堂。

 その中。

 薄暗さと静けさが心地良い。もちろん本尊などは跡形もないが、そのぶん広々としている。

 穴だらけ埃まみれのその床で、善吉は呑気に昼寝中だ。


「みなさん、こんにちは」

「!」

 壁越しに外から聞こえてきた手鞠の声で、善吉はパッと目を覚ます。

「手鞠殿が……!」

 善吉は決意をかためる。

(よし、動物鳴きまねを披露しよう!)

 日々稽古を重ね、自分的にはいちおう芸として仕上げたつもりである。


 本堂の扉を開けて、決然と外へ出る。

 境内では、例によって手鞠を中心に廃寺の男たちが寄り集まっていた。


「こんにちは、手鞠殿!」

 ぎこちなくも爽やかな感じで挨拶する。

 手鞠も楚々と会釈して、

「こんにちは、善吉さま」

「良いお日柄で」

「そうでございますね」

「…………」


 会話が続かず、変な間が空いてしまう。

 さっさと本題に入ればいいのだが、いざとなると善吉はふがいなくも躊躇してしまう。切りだすタイミングがつかめないのだ。


 そのとき上空で、トンビが輪を描きながら、「ピーヒョロー」と鳴き声を響かせる。

(これは好機到来!)

 善吉はすかさず、

「わし、トンビの声まねできますよ」

 幸運なことに、トンビもレパートリーの中に入っていたのだ。

「ピー、ヒョロピー!」

 ついに手鞠の前で芸を披露する。

(悪くない出来だ……!)

 しかし彼女の反応は微妙というか、あまりよろしくない。キョトンとしているだけなのだ。

「ピーヒョロロー」

 もう一度やってみる。

「はあ……」

 手鞠は反応に困っているように見える。さっきよりもさらに空気が冷たくなっている。

「ほ、ほかにもできますよ!」

 変な汗がにじみ出してきたが、もはや後戻りはできない。


「ニャーニャニャー!」

「ワヲーン! バウワウ!」

「ホーホケキョ!」


 矢継ぎ早に自信のネタを繰り出していく。

 本業の辻芸人には劣るものの、素人の宴会芸としては人気者になってもいいレベルだ。


「どうですか?」

 善吉は緊張もあって息が上がっているが、やりきったことでちょっといい顔になっている。

 だが手鞠の賛辞は、

「お上手ですね……」

 という心の込もらない社交辞令のみ。

 そして、しつこい輩を拒絶するようにクルッと背をむけてしまう。


(なぜだ!? なんでウケないんだ!?)

 動揺する善吉。


「ちょっと静かにせんか」

 しまいには鼠顔の男に注意されてしまう。

「……?」

 よく見ると、痩せたつるっぱげの男が地面にうずくまって不快そうに胸を押さえている。たしか六兵ろくべという名だ。

 その彼に、手鞠や他の男たちが心配そうに付き添っている。

「どうしたんですか?」

 と善吉。

「こいつは胃痛持ちでな」

 佐吉さきちが答える。元雇われ足軽だったという廃寺のリーダー格の男である。

「じきに治まる。いつものことじゃ」

 そう言う六兵衛の顔は青ざめ、苦しそう。

「良い薬があればいいのですが。持ち合わせがなくて……」

 手鞠は心配してオロオロしている。


 そこではじめて、善吉は状況を理解する。

 さっきからずっとみなで病人の介抱をしていたのに、自分はそれを大騒ぎして邪魔をしていたのだ。

 善吉はあまりに気まずく恥ずかしくて、うつむいてしまう。


「そうだ……!」

 だが善吉はふと思い出し、懐から印籠を取り出すと、中段を開けて中から丸薬を一粒つまみ出す。

「胃痛の丸薬です。どうぞ」

 六兵衛に手わたす。

「効くのか? 粗悪な薬はむしろ毒じゃというぞ」

 佐吉は胡散臭いものを見るような目だ。

「御心配なく。これは良薬ですよ」

 六兵衛は少しだけ躊躇ちゅうちょするも丸薬を飲み込む。

「値は如何いかほどしたんじゃ?」

 と佐吉。

「いえ、わしが作ったのでタダです」

「がは! げほっ!」

 六兵衛は驚いてむせてしまう。

「おぬしがか?」

 佐吉は険しい顔で確認する。

「ええ」

「薬は学を積んだ偉い先生が作るものじゃ。おぬしのような宿無しの若輩じゃくはいがまねられるものではないぞ!」

 だがそのとき、

「……お!」

 と六兵衛が声を上げる。

「どうした? 苦しければすぐに吐き出せ」

「いや、丸薬を飲んだとたんに胃の痛みがスウッと消えよったんじゃ」

 六兵衛は狐につままれたような顔。

 そのまま軽やかに立ち上がる。ほんとに平気なようだ。


「まあ…!」

 手鞠は感嘆の声を上げる。

 みなも目を見張っている。

「善吉さま、薬の御心得があるのでございますか?」

「家が売薬作りをしておりますから多少は……」

 謙遜ではない。家業として幼少の頃から薬作りを仕込まれている善吉にとっては、なんの自慢でもないのだ。

「まあ、そうでございましたか……!」

 さきほどまでとは打って変わって、手鞠のキラキラとしたまばゆい尊敬の眼差し。

「いや~さほど難しい薬ではないんですけどね」

 予想外の大好評に、善吉は照れたり戸惑ったりしてしまう。

「善吉さま、他にも薬をお持ちではないですか?」

「他ですか? え~と……」

 印籠を開けて確認してみる。

 上段にはいつもの〈不安を消す妙薬〉が、中段にはさきほどの胃痛薬があと少し入っている。下段は空だ。下痢と虫下しに効く薬が入っていたが、これは旅中に使いきってしまっていた。

「……胃痛薬があと少し残ってるだけですね」

「そうでございますか……」

 手鞠はがっかりした様子。

「薬が入り用なんですか?」

「実は、町に長患ながわずらいで難儀している人が幾人もいるんですが、良い薬がなくて困っておるのでございます。この町には医者もおりませんし」

「偉い先生は、京でお公家さんしか診ないらしいですからね」

「行商人の売薬だけが頼りなんですが、あまり効かないものも多くて……」

 切実な様子である。

「そうですか……」

 善吉は思案顔になり、

「手鞠殿、もしかすると良い薬を調達できるかもしれません」

「まことでございますか?」

「はい、すこし時をいただければ」


 

 その翌日。

 さっそく善吉は、かごを背負って兵馬山の林の中にわけ入っていた。

 町に入るとき越えた山だが、そのとき薬草になりそうな草花が多いことに気づいていたのだ。

 善吉はあたりの植物を注意深く確認しながら歩き回っている。すでに顔は汗だくで、服と両手は土まみれだ。

 だが張り切っている。目を爛々らんらんとさせ、鼻息も荒い。


(かようなたやすい方法で、彼女を喜ばすことができるんだ……!)


 善吉の胸がこんなに高鳴るのは、じつに幼少期以来かもしれなかった。まだ自分が名誉の忍びになれると信じて疑わなかったあの頃以来……。


「!」

 目的の下草を見つけると駆け寄り、土から引き抜いて籠に放り込む。中には、すでに何種類もの植物が入っている。

 腰にさげている竹筒の水を飲んで渇いた喉をうるおすと、懐から紙を取りだして広げる。

 十数種類もの薬種の名が記してあるリストだ。


「あとは……」

 辺りを見回す。

 崖面の高さ10メートル付近に、一輪だけ咲いている綺麗な花に目を止める。

「あれだな」

 背中の籠を下ろし、

「よし!」と気合いを入れる。


 そして、ほぼ垂直の崖をよじ登りはじめる。

 善吉は本来高いところも崖登りもけっして得意ではなかったはずだが、そんな障害もなんのその、ぐいぐいと登っていく。

「ぬおうっ!」

 脆弱な彼にこんな体力があろうとは。これが恋は盲目ということだろうか。

 ついには花に手がとどき、引き抜いて口にくわえる。

「!」

 が、油断したのかとたんに足を滑らせ、崖からザザザッと滑落していく。

 しかし気合いで張りつめた精神は、とっさの判断力も向上させてくれるものらしい。

「とおっ!」

 と滑り落ちながらも崖面を蹴ってジャンプし、そこから5メートルほど落下して、両手両足で見事に着地する。これはネコが四肢を使ってふんわりと着地するのをまねた、〝四足のならいの術〟の極意のひとつである。


 とはいえ、まだまだ技は未熟だ。

「アイタタタタッ!」

 着地したときの衝撃で足の甲がジーンと痛くなり、のたうちまわる。

 だがその顔は、それほど苦痛そうでもない。むしろ気持ち悪くニヤついている。


 


 *    *    *




 善吉は、薬研でゴリゴリと薬種を引き潰している。

 ここは通りに面した町屋の居間だ。広くはないものの畳み敷きの立派なものである。ただ持ち物はあまりなく、ガランとしている。


「善吉さま、手鞠です」

 表の出入り口のほうから声をかけられる。

「は、はい!」

 外見を気にして、善吉はあわてて髪などを整える。

「どうぞ」

 戸を開け、手鞠を招き入れる。かごを小脇に抱えている。

「御苦労さまです」

「新しい分はこれだけです」

 善吉はサッと右手で示す。飲み薬を入れた薬の紙包みと塗り薬を入れた牡蠣かきの貝殻が、床にならべられている。

「ありがとうございます。善吉さまの薬のおかげで、みなさんずいぶんと具合が良くなられました」

 籠を床におき、蓋をあける。中には芋や野菜が入っている。

「畑のものは、病気が治った方からのお礼の品でございます。それから──」

 籠から、にぎり飯が入っている笹包みを取り出す。

「これは私からでございます」

「毎日、わざわざ申しわけありません」

「私がお頼みしたことですから、このくらい当然でございます」

「いえいえ、とんでもない。先に世話になったのはわしらのほうですから」

 善吉はしみじみと感慨深く、

「貧しき者たちに惜しみなく施しをあたえるなんて……。この人心荒廃した戦国の世で、手鞠殿のような徳高い人はめったにおりません」

「すべて父上の財に頼ってのことでございますから。わたしなど、雑用くらいしか取り柄のない娘にございます」

 手鞠は改まった口調になり、

「善吉さま、いつまでこの町においでです? 先をお急ぎでございますか?」

「急いでいるというほどではないですが……」

 里に帰る期日は太郎太次第だ。そしてその太郎太の意向は、善吉にはさっぱりわからなかった。

「ではこの町に腰をおろして、薬屋をお開きになるおつもりはございませんか?」

「え?」

「父に相談しましたら賛成してくれました。この空き家はうちの持ち物でございますから、店商いにはここを使ってくださいまし。他に入り用なことがあればなんでもお手伝いさせていただきます」

「し、しかしわしはそのうち里へ帰らねばならぬので……」

 急な提案に、善吉は面食らう。

「返事は今すぐでなくてもかまいません。どうか考えておいてくださいまし」

 戸を閉めて手鞠は去る。

「………」

 一人になった善吉は、この降って湧いたような話に当惑する。


 ドキドキドキ……!


 そして考えが整理できないまま、心臓が高鳴りはじめる。

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