第13話 決裂

 早朝。

 町はずれの小川のほとり。


 太郎太と善吉は、川沿いを連れ立って歩いている。

 太郎太は神妙な面持ちだ。


「それで大切な話っていうのは?」

 善吉の問いに答えるように、太郎太は立ち止まる。

 そしてキョロキョロと周囲を警戒しはじめ、さらには屈みこんで川面を凝視し、小川の中に誰か潜んでいないかまで探る。

 ようやく安心すると、

「よろこべ! ついに弾正を討つ好機が訪れたんじゃ!」

 と鼻息荒く宣言する。

「……まださようなことをやってたのか?」

「あたりまえじゃ! 他になにがある?」

 残念そうな顔の善吉を無視して、太郎太は説明をつづける。

「弾正は二日後に〈麓の森〉で狩りをする。これは信用できるたしかな沙汰じゃ」

 なんのことはない。太郎太もまた、橋の前に立っていた高札こうさつを見たのだ。 

「わしら甲賀忍びにとって、森は庭のようなもの。ひそかに獲物に近づくなぞ造作もないことよ」

 例によって根拠薄き自信である。

「狩りとはいえ、弾正は屈強な警固衆けごしゅうを従えるだろ」

 太郎太はニヤリとして、

「忘れたのか? わしらにはこれがあるじゃろう」

 とふところからハッサクを取り出す。

「朝飯か?」

「なんでいま食うのじゃ」

 ハッサクの皮を剥ぎとる。包んでカモフラージュしていたのは──

焙烙玉ほうろくだまか……!」

 鬼熊退治に使ったのと同じものである。

「これで警固衆ごと木端微塵こっぱみじんじゃ」

「そううまくいくかな? もし狙いを外したらそこまでだぞ」

「狩りのとき、弾正が必ず石に腰掛けて休憩する場所があるらしいんじゃ。そこで待ち構えておればいい」

「それにしても……湿気しっけてて不発かもしれないし」

「そこまで気にしておったらキリがないわい」

「成功する見込みは、せいぜい百のうちの一つか二つだぞ」


「善吉、いいかげんにしろ!」

 めずらしく太郎太が本気で怒鳴る。

「おぬしがさように弱気じゃからいつもうまくいかんのじゃ! そんなことではとても〈名誉の忍び〉には成れんぞ!」

 善吉は険しい複雑な顔つきで、

「正直……成るのは無理だと思う。わしらの才量では」

 太郎太はその言葉に仰天して、

「本気で言ってるのか!?」

「ああ、わしは以前からうすうす気づいてた」

「わしはちがうぞ! 天から授かった忍びの才がある!」


 善吉は一瞬押し黙った後、

「前々から、一度たずねようと思ってた」

 と改まった口ぶりで切り出す。

「?」

「おぬしのその自信のり所は、いったいどこにあるんだ?」


 予期せぬ質問だったらしく、太郎太は一瞬戸惑いの顔を見せる。

 だがすぐに口を開き、かれたように語り出す。


「目を閉じると、わしには容易に見える。己が〈名誉の忍び〉と呼ばれてさっそうと活躍する姿が。さような光景を思い浮かべておると、酔いれたときのような良い心持になるんじゃ」

 そして太郎太はこう言い放つ。

「これこそが天賦てんぶの才の証しであろう!」

 と。


 善吉はまた一瞬押し黙った後、

「……どうかしてる」

 と卑しむようにつぶやく。

「なんじゃと!」

「それに肥え太った忍びなんてありえない」

 そして言ってはならないタブーをとうとう口にする。


 太郎太は、正面から善吉に体当たりする。

 二人はもつれあって、そのまま取っ組みいがはじまる。

 忍びに必要な武術はなんといっても各種の武器術だが、甲賀は相撲が盛んな地域ゆえに体術が得意な者も少なくない。だが二人のものは子供のケンカと同じで、感情ばかりが先立って技術的には見るべきところがまったくない。体格に勝る太郎太が始めのうちは優勢だが、すぐにスタミナ切れとなり、結局はどっこいどっこいになる。


 二人ともヘトヘトに疲れたところで、どちらともなくケンカを止めてその場にぐったりとしゃがみこむ。


「……わしは忍びには成らん」

 と善吉。

「な、なんじゃと!?」

「手鞠殿の勧めでな。この町で薬屋を開くんだ」

 太郎太にあてつけるように、衝動的に今ここで決断する。

「ヘタな戯言ざれごとはよせ! なにが薬屋じゃ!」

「忍び者とちがって稼ぎもいいし、危うい目にもあわんですむ。わしはこれからは、善良な民としてこの町でまっとうに暮らすんだ。末長くな」

「おぬしにさような退屈な暮らしができるものか。薬屋なんて、毎日スリコギでゴリゴリやるだけじゃろう。何が面白いんだ!」

「面白いとかつまらんの話じゃない、生業だ」

「昔から、あれだけ嫌がってたじゃろう!」

「わしらははもう八つのガキじゃないんだ!」


 善吉と太郎太は、しばし無言でにらみ合う。


「勝手にしろ! わしは一人でも手柄を立ててやる! 下柘植の佐助のような〈名誉の忍び〉に成ってやるからな!」

 太郎太は背をむけ、駆け足で立ち去る。


「………」

 その後ろ姿を、善吉は複雑な思いで見送る。




 *    *    *




 通りに面した町屋の居間。部屋の隅には、善吉が山で採ってきた薬種の植物を整理してならべてある。


 善吉は、壁にもたれてボーっとしている。

 彼は回想する。

 七年前の甲賀の里でのことを──



 八歳の太郎太と善吉が、目の前にある屋敷の塀を見上げている。

「高すぎる。とてもわしらでは越えられないな、太郎太」

「善吉、最強の忍術はなんだか知っとるか?」

「……やっぱり火術の類いか?」

「いや、〝双忍そうにんの術〟じゃ」

「そう忍?」

「二人一組で務めを果たすことじゃ。忍歌しのびうたにもある。〝忍びには二人行くこそ大事なれ。独り忍びに良きことはなし〟と」

 善吉は深く感心して、

「なるほど……!」


 善吉が土台となり、太郎太を肩車する。

 その重みで、善吉の両脚はブルブルと震えている。

 太郎太は自分の重い身体のせいで苦戦しながらも、なんとか塀の屋根の上によじのぼる。

 そこから両手を伸ばして善吉の腕をつかみ、屋根の上に引っ張りあげる。

 屋根の上にのぼった二人は、満足そうに微笑みあう。



 ──いつのまにか眠ってしまっていた善吉が目を覚ます。

 格子窓の合間から朝日が差し込み、雀のさえずりが聞こえてくる。


「〝独り忍びに良きことはなし〟か……」

 とつぶやく。

(そうだ、一人ではとても無理だ。いや、二人でも同じわけだけど)

 決意した顔になり、

「よし!」

 ガバッと立ち上がる。



 善吉が廃寺に入ってくる。

 コソコソとした怪しい挙動。人一人を縛り上げられるほどの長さの縄を、両手でしっかりと握っている。

 これで太郎太を縛り上げ、暗殺にむかわせないよう今日一日拘束するのだ。


 境内を見渡しても誰の姿もないので、善吉は本堂の扉を開けて中を覗く。

 雑魚寝している四、五人の男たちの姿があるだけ。


「なんじゃ? 縄なんぞ持って」

 お堂の裏手から、佐吉があくびをしながらあらわれる。

「あの、太郎太は?」

「ん? そういえば昨日の夜から姿を見んな」


(遅かったか……)

 善吉は歯噛みして悔しがる。

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