②高峯アキラの動揺

本編『エレガント・セレナード』の大幅なネタバレを含みます。



『第一位。4番、高峯アキラさん!』


 この瞬間、高峯アキラの心は決まった。


        1

 アキラはこの前年にも1位を受賞していた。ソロ部門初出場での快挙だ。


 しかし、どうにも踏ん切りがつかない。それで、「もう一度入賞できたら」 と先延ばしにしていたのだった。



 コンクールで2度目の1位をとったのが冬。そして、今は春。すでに次のコンクールへ向けた準備が始まっている。結局、ここまで来るのに随分と時間がかかってしまった。



 電話が繋がらない、なんてことが万が一にでも無いよう、祈る。


 の電話番号も住所も、アキラは知らない。だから、これだけが頼みの綱だ。


 呼出音が鳴っている時間が、永遠のように感じられる。



 「はい、神成かみなりです」



 「高峯アキラです。こんにちは。ボクのことわかりますか? 」


 「……レイチャン? うそっ、レイチャン!?」


 「そうです。神成先生、お久しぶりです。ボクのこと、覚えていてくれたんですね」


 「もちろん。君の活躍はよく耳に入るんだもの。この前のコンクールも、1位おめでとう」


 「ありがとうございます」


 「レイチャンから電話がもらえるなんて、嬉しいなあ。7年ぶりだものね。すっかり声変わりしちゃってさ…あ、もうレイチャンって呼ばれるの嫌だよね」


 「ボクは構いませんよ。神成先生のその呼び方、とても懐かしいです」

 

 「うーん。やっぱり私に違和感があるから、なるべくアキラくんって呼ぶね」


 「神成先生、今も男の子をちゃんづけの渾名で呼んでるんですか?」


 早く本題を切り出せばいいものの、関係の無い話題をつい引き伸ばしてしまう。らしくない、非効率的な行動だった。


 「そうだよ。みんな可愛いから、つい。で、レイチャン、何か用があったのかな? もちろん無くても大歓迎だけどね」


 アキラはドキリとした。


 「…あ、しまった!アキラくんね」


 「あはは…本当に、気にしないでください」


 神成の相変わらずの快活さに、余分な力が抜けていく。


 「先生。サキちゃんは今も教室にいますか?」


 「……なんとなく。レイチャンが7年ぶりに電話してきてまで聞きたいことが、その話題じゃなかったらいいなって思ってたの。そっか。レイチャンは、今でもあの時の約束に…」


 「神成先生?」


 不穏な流れを感じとり、アキラの鼓動は大きく波打ち始めた。



 「サキチャンはね、ピアノ…やめちゃったの」



 やめた?


 神成の言葉を脳内で反芻はんすうする。分解して、意味を精確に読み取ろうとする。


 やめた…ピアノを、やめた?


 「去年、突然やめるって連絡が来て…いえ、兆候はあったの。詳しくはわからないけど、ピアノに関して何かコンプレックスを抱えているみたいだった」


 「引っ越したわけではないんですね?」


 少しでも気を緩めれば暴れ出しそうな胸中とは裏腹に、表面上のアキラは冷静だった。


 「うん。今も市内の中学生のはずだよ。県内の進学校を目指して、勉強も頑張り始めたみたい」


 「その高校の名前を教えてください」


 アキラは念の為、その高校名を脳に刻み込んでおいた。


 「神成先生、突然連絡してすみませんでした。ありがとうございました」


 「また連絡してくれたら嬉しいな。近くに来たら、是非寄っていってね」


 「はい。その時はお邪魔させていただきます」


 「レイチャン、どんな風に成長しているのかな…身長はどれくらい?」


 「170くらいだと思います」


 「じゃあ、だね」


 さも当然のように発せられた言葉に、引っ掛かりを覚える。高身長な女性に成長したということだろうか。


 「レイチャンかっこよくなってるんだろうな。2立派な男の子に成長しちゃった。女の子みたいだった2が懐かしいね」


 今度こそ動揺を悟らせないのは無理だな…と、アキラはやはり冷静に考えていた。


        2

 中学生として参加する、最後のコンクールの全国大会。


 控え室で、アキラは一人瞑想めいそうを試みていた。


 (だめだ。このままだと、入賞すら危ういかもしれない)


 あの電話のあとから、宙ぶらりんの精神状態が続いていた。


 なんのためにコンクールに出ているのか?


 どうしてピアノを弾いているのか?


 (ボクは、なんのために…)



 「アキラくん…?」


 

 アキラの思考を打ち破ったのは、少し震えた声だった。


 目を開くと、紺色のドレスに身を包んだ同い年くらいの女の子が立っていた。


 「アキラくんだよね…? 私のこと、わかる?」


 「…道歌ちゃん?」


 目の前に立っていたのは、3年前まで連弾のパートナーとして音楽を共にした藤友ふじとも道歌みちか、その人だった。


 あの後、中学受験の勉強に専念するためにピアノを休むこととなり、道歌は宮園ピアノ教室から姿を消した。合格後は一家で学校の近くに引っ越したのだと、風の噂に聞いていた。


 ショートカットだった髪は背中まで伸び、お転婆な雰囲気はすっかり影を潜めている。


 「ピアノ、続けていたんだね」


 「当たり前だよ。だって、まだ……全然アキラくんには……追いつけてない…」


 「え、何?」


 「なんでもない」


 道歌は黙り込んでしまった。


 本番前に動揺させたり気を遣わせるのは悪い、とアキラが立ち上がろうとした時、道歌の手がアキラの腕を掴んだ。


 「アキラくん。“心に決めた人”とは、会えたの?」


 アキラは驚いた。つい今まで考えていたことを、ここで問われるのか。


 「会えてない」


 「いつ会えるの?」


 「わからない…。わからないんだ」


 「どうしてそんなに辛そうなの?」


 「苦しくて寂しいから」


 「どうして寂しいの?」


 「ピアノをやめたって、聞いたんだ」


 道歌の眉がピクリと動いた。


 「どうして」


 「それも、わからないんだ」


 「アキラくん、その子に振られちゃったんだね」


 「道歌ちゃん、言い方…それに、勘違いされてそうだから一応言っておくけど、その子は男の子だからね」


 「ええ!?」


 苦笑したアキラから発せられた言葉に、道歌は放心したように固まってしまった。


 「嘘でしょ。私、バカみたいじゃない…」


 「どうしたの?」


 道歌は邪念を払うように首をぶんぶんと振って、アキラへ真剣な眼差しを向けた。


 「アキラくんまでピアノ、やめちゃうんじゃないかと思って。怖いよ」


 「ボクがピアノをやめる? ああ、考えたこともなかった。そういう道も、あるのか…」



 「だめ」



 いつかのように、道歌は無邪気な否定を口にした。


 あの時の、白い歯が見える満面の笑みとは全く違う。口角を上げるだけの切ない笑顔。大人びた道歌の表情に、アキラは息を呑んだ。

 

 「アキラくんがピアノをやめるなんて、絶対に許さない。ピアノが無い生活なんて考えられないんでしょう?」


 「でも、ボクは、何を原動力に…」


 「原動力が必要なの? ふうん。アキラくん、3年も経ったのにまだ気がついてなかったんだね」


 「どういうこと?」


 「アキラくんはピアノが大好きなんだってこと」


 道歌は、アキラの手を慈しむように取った。


 「感性は高いのに、自分のことには鈍感…変なの。絶対に、後悔しないでね」


 視線が注がれている手に、まるで力が入らない。呆然と道歌の表情を見つめるしかなかった。


 「それなら、アキラくんが、その子を連れ戻してあげればいいじゃない。これからも、その子のために弾けばいいの」


 アキラと道歌の視線が重なる。


 道歌は照れたように目線を逸らして、手を離した。


 『f級 エントリーナンバー9から12番の方。控室ひかえしつBへお集まりください』


 道歌は立ち上がりざまにもう一度アキラの目を見て、不敵に微笑んだ。


 「じゃあね。私も負けないから」


 『負けない』という言葉の目的語が、アキラだけではない気がした。


 尋ねようとしたが、道歌は振り返ることなく去って行った。


『f級の金賞を発表致します。f級金賞は…15番、高峯アキラさん!あわせて都知事賞の受賞です。おめでとうございます』





(次回『高峯アキラの暴走』)

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