五話 官吏との舌戦

 「今の進言、まさに腐れ学者のそれであろう。知識こそ溜め込むがその実理解は浅く、いざという時には到底役に立つまい。かような者が朝廷に蔓延るよりは、身分は卑しいにせよ阿羅々木を登用する方が何倍もましだと申しておるのだ」

進み出たのを見れば、これぞ李鮮であった。李鮮はさらに続けるに、

「そなたは華の高祖を引き合いに出されたが、よもや蔡祖胤をご存じないことはあるまい。蔡祖の側近であった程譲と盧渓は、のちの人には『品行ならずして徳薄い』と称されたが、それでも才を認められ重く用いられた。まことの名君とは、臣下を徳によって感化し制御するものにて、華王朝の御代であらば、左様なものは問題にならぬ」

一通り述べ終えた李鮮が着物の裾をひるがえして列に戻ると、交代に韓景が笏を手に出てきた。

「陛下。それがし思いますに、古くから百聞は一見にしかずと申しまする。我らも張催どのからその話を聞かされた時は半信半疑でござりましたが、実際に会ってみて初めてあの者の知性や気概を感じることができました次第。故に陛下におかれましては、詔をお書きになりここに阿羅々木を呼んで、おん自ら推挙するか否かをお決めになるのが宜しいかと存じまする」

すると群臣ら、皆口ぐちにそれがよいと言うので、帝も納得せられ言われた。

「しからば子儒よ、そなたの良きに計らえ」

すぐさま韓景に命じて詔を書かせると、即日阿羅々木のもとへ使いを差し向けた。

 「天子の詔である。結城阿羅々木どの、謹んで受けよ」

その日、戯楽亭にひと群れの人馬が現れた。まさしく天子の勅使である。群列は門前で停まると、使いの者の四、五人は馬から降りて門の中に入っていった。

阿羅々木はことづてにそれを聴いて大いに驚き、急ぎ身なりを整え表に出ると、地面にひれ伏し詔を受けた。

「天に従い、命を受けよ。

宰相ら三公大臣の上奏によれば、結城阿羅々木は才知群を逸し、博識で、かれらと忌憚なく政を論じ、心に大望を抱く稀に見る名士ときく。朕はこれに興味を持ち、朕自らその手腕を見極め、願わくば推賢の制度にてこれを推挙し、官爵を与え吏に封じたいと思う。よって、五月の九日、阿羅々木を華瑞宮に召喚し、官吏として登用するか否かを決定することとする。謹んで受けよ」

「この阿羅々木、謹んで拝命致します」

阿羅々木は膝をついたまま深々と礼をし、文の記された絹の布を受け取ると、勅使らを丁重に送り出した。馬たちがゆっくりと去っていくのを門の所で見送っていたが、ついにそれが見えなくなると、小走りで部屋に戻り、得意げに禿の胡蝶に言うには、

「胡蝶、天子はまこと聡明な方だ。まあ見ておれ、近々私は官吏になるから」

それを聞いた胡蝶は呆れたように小さく笑うと、

「まだそうとは決まったわけではありませんのに」

と言った。それから阿羅々木は平民の礼装一式を取り揃え、その日を楽しみに待っていたのであった。


 「勅命により、結城阿羅々木、太殿に参内す」

その五月九日になった。高位の文官らは中央を開けて左右に分かれ座っていたが、みな高い冠に上等の帯を締め、威儀をととのえてすでに太殿に居揃い、門番がこう声高く叫ぶと、階段を駆けてくる者がある。短い髪に彼岸花の髪飾り、あの阿羅々木であった。殿中に入るとまずひざまづき、深く礼をする。

「ここに結城阿羅々木、陛下に拝謁致します」

そして官吏らの真ん中を通って天子の前まで来たとき、再び手を組み、三唱して地に伏した。

「陛下万歳、万歳、万々歳」

「立て」

「有り難う存じまする」

そう言って阿羅々木が立ち上がると、帝は口を開かれた。

「阿羅々木よ。詔にも書いた通り、朕は此度、張宰相らの上奏により、今日そなたを宮廷に召喚した」

阿羅々木は笏を取り出し、頭を下げると感謝の意を述べる。

「ただ今ここでご尊顔を拝すことができますのも、ひとえに宰相閣下及び大臣方の上奏を聞き入れたもうた陛下のご威光とご英断のお陰にて、この阿羅々木、感涙に咽びます」

「楽にせよ。上奏によれば、そなたは女ながらにして文事の才を発揮し、大臣らに自らの考える政策を立て板に水を流すが如く述べたそうじゃな」

「李左大臣がお求めになりましたので、日頃考えている事をお答えした次第にござりまする」

「朕はそれに深く興味を示し、是非そなたの口から直に聞いてみたいと思うておる。さあ、忌憚なく申してみよ」

阿羅々木は笏を持ったまま、淀みなく答えた。

「しからば、謹んで申し上げます。恐れながら、私の思う政の要は、君主ではなく下の民たち。民無くして国にあらず、当然これは大切にせねばなりますまい。民心を掌握するために、陛下の成されるべきこととは、主に三つござりまする。

一つ。優秀な人材を惜しみなく登用すべく、官挙、推賢以外にも選用方法を設け、業績の芳しい者が早く出世できるよう、逆に功なく愚鈍で害をなす者はすぐに罷免できるように既存の諸制度を改革する。即ち廃愚用賢。

二つ、八卦や天文によく鑑み、天災や農作物の豊凶を占い、いざという時に適切な対処をするべく、占術師や天文学師を広く登用する、すなわち占星栄国。

三つ、外患内憂に備えて、文武官及び各省の結びつきを強め、平時から共同で政務にあたり、各々が連携を図るよう、新たな制度を設ける、即ち臣官一体。

以上が、私の考えます政策にござりまする」

それを聞いた帝は大いに感心せられ、百官たちにも意見を募れば、早速言葉を発する者がある。

「阿羅々木どの、貴殿の説はごもっともだが、そもそもおなごが政に介入しても良いものか、常識的に考えてお応え願いたい」

阿羅々木は呆れてうち笑い、

「されば逆にお訊き致しましょうや、貴殿は虎や獅子の雌を恐れぬのかと。例えば武芸であれば、女は男に劣ることもござる。たしかに、馬上で刀を振り回す女の武将は滅多におりませぬ。しかれど、庵で言葉をつづる女の文人など数多腐る程。それに歴史上、国を治めた女帝は幾人もいるのに、官吏になれぬという理屈はありますまい」

かれがそれに応えられずにいると、もう一人が声高に

「ただ今そなたが申したのは、女が帝位につけるのなら、女が爵位を与えられてもおかしくはあるまいという話であるかな」

「如何にも」

「ご存じないやもしれぬが、それらの女帝は全て、皇室に世継ぎの男児がおらぬ故、致し方なく帝位に就いたもの。されどそなたは、ほかに男がいるのを差し置いて、我と官爵を賜ろうと考えておる。それとこれとは些か話が違うのではござらぬかな」

阿羅々木は一笑してその声に応じる。

「名分と功績、果たしてどちらが大切でござろうか。即位の理由が理にかなっていても、無能であれば暗君。逆にそれが明瞭でなくとも、大事を成せば名君と称えられまする。牛の皮を被った狗と狗の皮を被った牛、目の前にこの二頭がいたら、貴殿はどちらを食されるか。何か新しい事をする時に、陳腐な理由をつけて拒むと言うのは、さながら右手の親指を切り落とすが如く、その時の痛みはさほどないにしろ、後々大いに困る事になりますぞ」

この一通りの論にせめられ、その者も何も答えられずにいる。その後は誰も言葉を発すことなく時間だけが過ぎていった。阿羅々木は、あたりを見回して小さくため息をつき、声に出さぬも甚だ呆れかえり、なるほど官挙官僚とは言うが見掛け倒しの腐れ学者ばかり、何も考えず知識だけ詰め込むから頭は固く視野も狭い。官挙に取って代わる新たな選用方法を考えねば、などとすでにあれこれ思案していた。

「阿羅々木どの、宜しいかな。それがしにも問いたきことが一つござる」

振り返れば、青い着物に白い冠をいただいた長髪の男、これぞ冬隷あざなは伯寧であった。阿羅々木はその色を伺い、心中思うに、ははあ、これは私を馬鹿にしたものではあるまい、やっとまともな官人が出てきたと、礼をして冬隷に応じるには

「なんとでも仰られよ、お答え致しまするぞ」

「かたじけのうござる。まず初めに、それがしは先の二人と違って、足下の性別や身分とか、それゆえ政はできぬとか、左様な空論を展開するつもりは毛頭ござらぬゆえ、ご理解頂きたく存ずる」

そう前置きしてから語り出すには、おおよそ次のようなあらましであった。

「先程の足下の政論の中に、それがしが一際惹きつけられたもので、臣官一体というのがござったが、これは実際どのような制度を設けて、何を致すべきかとお考えか」

すると阿羅々木は大喜びで答えて、

「冬参議、よくぞ訊いて下さった。先に申し上げた通り、目下、文武官は完全に乖離しており、接点といえば二月に一度の朝儀のみ。されど地方では慣例として、州牧と州都督を兼任するというのがござる。それを中央の朝廷でも取り入れるべく、私考えますに、

第一に、月に一度、文事八省と鎮・征将軍府の高官を太殿に招集し、そこで評議をする。

加えて二月に一度、文武三公は議事を開き、天子の御前で政の方針を定め、それを詔として発布する。

更に申しますと、官爵を兼任するときはいちいち議事は開かず、それに賛同する者が推薦の形で天子に上奏し、その場で応か否かの御判断を仰ぎ、玉璽の押印を以て勅命とし、即日これを与え政務に当たらせる。

これらをまとめて、臣官一体と致しまする」

冬隷はそれを聞いて深く感じ入り、その後も阿羅々木と大いに政を論じること一刻半ほど、ようやっと席に引き下がると張催は天子に申し上げた。

「申し上げまする。陛下におかれましては、この阿羅々木を選用なさるか否か、ただ今この場でお決めになられますよう」

すると群臣声を揃えて

「陛下、どうか御決断下さい」

と言うと、帝は暫時思案なされたのち、遂に玉座から立ちたもうて一声、

「勅命を下す」

堂上の臣下一同、謹んでそこにひれ伏し、尚詔令は急ぎ筆を取る。阿羅々木も同じように地に頭をつけた。

「朕思うに、文官三公の上奏の通り、結城阿羅々木は見識深く、志を抱き、国に報いんとする忠誠心を備える、逸群の才の人物にて、朕はここに、阿羅々木を従書令に任ずることとする。謹んで受けよ」

阿羅々木は威儀を整えてかしこまり、詔が下されると即座に叩頭の礼をして、臣らと共に万歳を叫んだ。

「陛下万歳、万歳、万々歳。臣、謹んで詔を拝命致し、御恩に報いるべく犬馬の労も厭いませぬ」

 かくて阿羅々木はついに都政官の従書令となり、詔書を携えて戯楽亭に引き返していった。

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