四話 張催阿羅々木を薦む

 その日の朝議を終え、華瑞宮かずいきゅう南大門なんだいもんの外には高官たちの馬車が連なり、従者達はみな主人の帰りを待っていた。

「三公大臣のご退朝である、文武百官は道を開けてお通しせよ」

「大臣方の退朝をお見送り致します」

城郭内では、番人がこう大声で呼ぶと、歩いていた百官達は速やかに道を開け、一斉に礼をする。その真ん中を、宰相張催を筆頭とした李鮮・韓景ら三公大臣は、肩で風を切るが如く悠々と歩いて行く。

「張催どの、何か良きことでもござりましたかな」

かくして門の前まできた時に、後ろを歩いていた左大臣が、張催にこう問いかけた。

「李鮮よ。実はそうなのじゃ」

この左大臣と言うのは、二十年前、張催の靴の緒を直したあの李鮮であったが、かれはあれから六年で民部長官に任じられ、五年間省を統括したのち、都政官に入り、今の官位は二品である。

「まあこれを見るがよい」

張催はそう言うと懐から今朝の煙管を取り出し、李鮮と隣の韓景に見せた。韓景もまた二十年が経ち、今は右大臣として政の中枢を担うばかりか、その徳が認められ、閣州牧として一郡三県を治めているのである。

李鮮はさっそく差し出されたそれを見ると、

「いやはや朱羅宇の煙管とは、まさか張催どの、遊郭に行かれたのですか」

遊郭に行ったと聞いてふたりが驚いているのを見て、張催は笑って言うには、

「昨日初めて行ったのじゃが、ある一人がなかなかの識者でな、あのまま彼処に置いておくのは勿体のうて、宮廷で召し抱えられぬかと考えているところよ」

韓景がそれはどういう者でしょうと問えば、

「姓を結城、名を阿羅々木という」

なかば呆れたように李鮮が問う、

「それをどうするのです、後宮の女官にでもなさるおつもりか」

「何を申すか、文官として官爵を授け外朝で働かせる」

張催がぞんがい大真面目にこう答えたので、それを聞いた韓景は腹を抱えて大笑いすると、

「張催どの、お戯れが過ぎまする。たかが街のいち遊女、政などできますまい」

李鮮もそれに合わせて笑い声を立てると、張催は少しばかり癪に障ったようで、そなたら何も分かっておらんと吐き捨てた後言うには、

「あれはただの町娘ではのうて、気性に一癖あるがその見識と才覚はまさに群を逸す。お二方、百聞は一見にしかずと申すが、この後予定がないなら会いに行かれるが良かろう」


 さても韓景李鮮の二人は、張催の薦める通り馬車を走らせ、戯楽亭に向かっていたが、その道中では

「あの張催どのが人を推すというのは滅多にない事ゆえ、きっとその女は相当な人物なのでござろう」

「韓景どの、さりとてそやつは遊女と聞きますぞ。よもや張催どのは、女の色香の毒に当てられ盲信しておられるのでは」

「それは貴殿が左様なだけじゃ」

などと話し、張催の言うことには半信半疑であった。

 かくして部屋で待たされていた二人のもとに、阿羅々木が現れたが、もとより女好きで知られている李鮮は、出てきた女を一目見て落胆した。先ほどから内心期待してしていた色香とは程遠く、その外見は凡庸で、何一つ魅力を見出せぬ。

「そなたが遊女の……すまんが、名前を失念した」

阿羅々木は自分を見てがっかりとした様子の客を、内心軽蔑した。こいつらはどうせ、大した人物ではなかろうと踏んだので、拱手をするが頭は下げない。

「結城阿羅々木と申しまする。以後お見知り置きを」

すると李鮮は阿羅々木の刺々しい声と無礼な様に顔を曇らせたが、それから思い出したように、

「ああそうじゃ、名は阿羅々木であった。わしは李鮮という者で、不才の身ながら朝廷で左大臣をしておる。こちらは右大臣の韓景どのじゃ」

それを聞いた阿羅々木はすこぶる驚いた。そしてすぐさま床にひざまづき、再び手を組んだのち二人にひれ伏す。

「両大臣に拝謁致します。先程はお二方がかくも貴人とは知らずに粗相仕りました。ひらにご勘弁を」

韓景はそれを起こして阿羅々木に問うには、

「まあ立たれよ。先ほど張宰相が、そなたを逸群の才だと褒めておられたが、いったい何を話したのかね」

すると阿羅々木は慇懃に礼をして答える。

「昨夜は色々な事を語りましたので、一概にはこれとは言えませぬが、おおよそ歴史や政についてでござりまする」

「そなた、歴史がわかっておるのかね」

「神話時代から現在に至るまで、おおかたは抑えてございます」

それから阿羅々木の話すことに、韓景はいちいち頷いて素直に感心するが、李鮮は内心面白くなく、この女、さっきおれを軽蔑した上に、韓景どのに褒められてだいぶ調子に乗っているから、ひとつ赤恥をかかせてやろうと思い、大股に前へ進み出た。

「果たしてそなたが宰相の仰る通り、まことに逸群の才なのか、博識なのは大いに結構、しかるに、それだけでは官僚になどなれまい。富んだ知識を持っていようと、そこから考える事ができなくば、それはただの腐れ学者と言えようぞ。過去の歴史に鑑みてみるに、そういう無能の輩は、いずれ乱世の根源となり時に国を滅ぼすこともある」

「御説ごもっとも」

「知識を振りかざすだけなら官爵などなくともできるが、そなたは官僚となったら何をするつもりか」

李鮮の問いに対して、阿羅々木は次のようにすらすらと淀みなく答えた。

「思いますに、政事にしろ軍事にしろいちばんの要となるは、攻と守を状況に応じて臨機応変に使いこなす事にござります。すなわち、時代遅れの悪習は断ち切る一方、古来から伝わる礼儀作法をわきまえ、古きをたずね新しきを知るべし。これらは一見矛盾しているように見えますが然に非ず。どちらかに偏ることなく大局を見て柔軟に対応することこそ、今の太平の世を維持するために必要な力と考えておりまする」

「しからば、具体的にはどうすると申すか」

「は。ゆえに私は、我が王朝のとこしえなる御代の為に、官吏として何をすべきかと考えた時に、まずは文武に長けた臣と将とを広く選用し、能力ある者には高位の官爵を授け、逆に中身を伴わぬ者は廃する。すなわち廃愚用賢、これが一つ。

八卦や天文を鑑み、作物の吉凶を占い、いざという時に適切な対処をするべく、占術師や天文学師を広く登用する、すなわち占星栄国、これが二つ。

また、昨今の朝廷の様子を、政局や街に飛び交う情報から鑑みてみまするに、各省寮、おのおのの仕事をこなしは致しますが、全体としての統制はあまりとれていまいとお見受け致します。さればもしも今、国家を揺るがす一大事が起きてしまえば、我らに為すすべはござりませぬ。外患は内憂によりまするゆえ、各省の結びつきを強め、平時から共同で政務にあたり、また常より文武官の連携を図るよう、既存の諸制度を改革する。すなわち臣官一体、これが三つ。

これらのうちの一つでも、とくに最後の臣官一体を成し遂げ、国の為にこの身を捧げたいと願う所存にござりまする」

李鮮ははじめ、女めいったい何を言いやるか楽しみだとばかりに、片手で短い顎髭を弄りながら話を聞いていたが、次第に目を見張って聴き入るようになっていた。話が終わる頃には、張催や韓景よろしく、やはりこれは逸群の才、ただの町娘で終わらせるのは惜しいと感じ入り、その日は李・韓二人とも、間も無くして宅に引っ返していった。

その夜、李鮮は家に帰ってから張催に宛てた書状をしたためたが、はたしてそのあらましとは、


“此度御相談の件、それがし恐れ入り奉り候。結城阿羅々木、その才群を逸し、志たかく、世にたぐいまれなるものと相見受け致候故、願わくば官爵を与え吏に封じたく候。そもそも賢臣とは、知慮をそなえ、民を顧みて善政を敷く者のことにこれあり候にて、此度足下が結城阿羅々木を推挙せられば、此れまさしく国に幸いにして、また皇室のとこしえのなる御代にも幸い甚だしかるべく候わん。史書に鑑みれば、蔡祖聚光帝は貴なるも賎しきも嫌わず、天下に広く士を探訪し、覇業を成し給うものにて候。何卒臣らと評定の上、よろしく天子に奏上し奉り、これを以て我が国の更なる繁栄を図りたく存じ候。”


また韓景も時同じくして、願わくば天子に奏上し、阿羅々木を官吏に選用すべしとの書面を書きつづれば、使いをやって彼の家に届けに行かせた。

張催は二人から手紙が届いたのにうち笑って、

「やはりあれが気に入ったか」

と言った。次の日になって、都政官と式議省の官吏ら、みな召集されて太殿に居流れ、一斉に叩頭し天子に拝すると朝議が始まった。まずはじめに帝が仰せになるは、

「朕は今日、ここに宰相の進言で朝議の場を設けた。張催よ、朕と百官に事を詳細に申し述べ、此度の議題を示せ」

すると張催が進み出て言うには、

「陛下、臣催、景、鮮が謹んで上奏し奉ります。それがしは近ごろ、華都の街にて才覚逸群の人を見つけました。願わくばこれを推賢の制度によって官吏とし、我が国の抱える諸問題の解決にあたらせたいと存じまする。それにあたって各々方の意見を聴き、陛下の御判断を仰ぎとうござりまする」

かくて事のあらましや、阿羅々木の事を一通り述べ、見解を募ると、さっそくちらほらと申し上げる者がある。

「恐れながら申し上げまするが、いくら推賢といえどもその者は女子。それに、遊女のような身分卑しき者には徳がござりませぬ。故に、用いるべきではないかと」

「その通り。噂の聞くところによれば、阿羅々木と言う女は才智こそ優れているが、気性が荒く傲慢で不遜。人格が成らぬものに政を任せてはなりますまい」

公卿ら口を開けば、みなみな揃って異を唱えるので、張催はむうと唸ってあご髭をしごく。また一人前に出ていうには、

「思いますに、国を治むる者においては、仁徳こそが重要にござれば、やはり選用すべきではないかと。華の高祖皇帝は、聖徳すぐれさかんにして、民を思いやり人心を集め、帝位に就き給いしのちは、自らその覇(はたがしら)となるべく行幸に赴いたと聞きまする」

それを聞いてもう一人、声高に進みでる者がある。

「今の進言、まさに腐れ学者のそれであろう。知識こそ溜め込むがその実理解は浅く、いざという時には到底役に立つまい。かような者が朝廷に蔓延るよりは、身分は卑しいにせよ阿羅々木を登用する方が何倍もましだと申しておるのだ」

これを聞いた張催、今度は打って変わって満悦な色を見せたが、そもそもこの男、一体何を考え、はたして何人であろうか。

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