第2話

 これで下らない皇子との夜のお勤めは回避された。

 はあ、気持ち悪い。何で他の女をなめ回して突っ込んだアレを、無条件に喜んで受け入れてもらえると思えるのか?

 やっぱり皇子の思考回路は違うね。


 ちなみに言っているのは舌だよ、舌。


 キス一つしないで初夜が明けた皇太子夫妻に掛ける言葉を持っている外交官や、他国の王族は中々存在しないな。

 彼等を悩ませるのは悪いだろうと理由をつけて私は一人、部屋に篭もって酒盛りをしている。

「ふぅ~。うめぇ」

 手酌で飲む度数の高い酒は最高だ。

 胡座をかき、持ち込んだ乾物を肴に至福の時間を噛み締める。実際噛み締めているのは干し魚だが。

「さて、この先も上手くいくかどうか」

 私は結婚する前に入念な計画を立てていた。何の計画か? それはいかに私が被害を被らないで、大臣のトレミーを失脚させるかという物。

 私を養女にして皇太子妃にまでしたトレミー、彼を失脚させる近道は私が目も当てられない失態をするか、暴挙に出ることだ。

 暴挙とは例えば今は生ける屍状態の国王を殺害するとか、殺害未遂するとかそういう事だ。

 だがそんな事をしてしまえば、私に良くしてくれたルイに迷惑がかかってしまう。迷惑ってか、巻き添えくって殺されるのは確実。

 本当に世話になった相手まで道連れにして、あんまり好きじゃない程度の人を失脚させる気にはならない。

 大体マデリン姫も、口では父親トレミーのことを嫌っていたが、処刑されてしまえば良いと思う程嫌ってはいない。むしろ、マデリン姫に対しての言動を聞いて、私の方が殺したいと本気で思うが、優しいマデリン姫は醜い顔だとか、生きている価値がないとか当たり前のようにぶつけてくる父親トレミーを、それでも赦している。

 何であんな男の娘に生まれたのかねえ、マデリン姫。

 心優しくて絶世の美女だなんて、中々居ないよ。

 安っぽく心優しい人はいるけれども、貧民街まで足を運んで自ら奉仕活動をしてくれる姫なんて見た事も聞いた事もなかったね。

 本当に天然痘に罹らないで皇太子妃になれたなら良かった……かなあ。

 私は酒を口に運びながら、マデリン姫の後ろ姿を思い出す。

 マデリン姫はネストール皇子のことを本当に好きだったらしい。私にしてみりゃあ、初夜に ”お前のことなんざ、嫌いだ” なんて言いながらズボン降ろして抱こうとしてた馬鹿にしか見えないけれど、お姫様や上流のお嬢様方には格好良く見えるらしい。

 あんな皇子が格好良く見えるようにならなけりゃ、上流社会でやっていけないのかと思うと、溜息が出るってか意識が遠退くってもんだ。

 鮭の燻製を噛みながら、美しいマデリン姫の 《思い》 を思い出す。

 マデリン姫は父トレミーと皇太子ネストールの間を取り持ち、二人が協力してこの国を統治していける為に身を粉にするつもりだったらしい。

 トレミーは保守派でネストールは革新派らしいが、その二つが上手くかみ合えばこの国はもっと良くなる筈だとマデリン姫は信じ、そして実行するつもりだった。例え愛しているネストール皇子には愛してもらえなくとも、妃となり父との確執を弱め、未来を紡ぐ皇子を産む覚悟で。


 良いお姫様だよ。泣けるよ。


 本当は私がマデリン姫の志を継いで、上手く立ち回れば良いのだろうが、残念ながら私はトレミーは嫌いだし、ネストール皇子はもしかしたらもっと嫌いかも知れない。なんか気持ち悪いんだよね、ネストール皇子。

 他人に向ける愛を語りながらズボン下げる男があれ程気持ち悪いとは、思いもしなかった。普通は滅多にお目にかからないよな。身体目当ての場合、心ではそう思っていなくともお世辞くらいは言うもんだろうから、こんな言動とる男になんて出会えるモンじゃない。

 もしかしたら皇子とかいう生き物は、全部 ”真に愛しているのは別の者だが、お前の前で下着は脱ぐ” なんだろうか? 

 間抜けな姿だとは思いもしないんだろうな。

 皇子のことを好きな姫なら、涙ながらに身体を預けるシーンなのかも知れないけど、私には馬鹿にしか見えない。

 まあこれ以上突っ込まないでおいてやろう。皇子と寝室を共にする事はもうないだろうから。

 私は上手く立ち回り、失脚の余波を受けない程度の立場でこの座を降りなくてはならない。皇子は離婚したら修道院とか言っていたが、私は黙って修道院に入るつもりなんて有りもしない。

 修道院に入った後に逃げ出して、街に戻る。

「でもな、トレミーがあんまり悪い事してマデリン姫までとばっちり食らったらヤダなあ。ロイズスはどうでも良いけど」



†**********†


 男爵令嬢アレナとネストール皇子の出会いとか、その付き合いとか私は全く知らない。

 男爵令嬢見た事はあるけれども、不細工とは言わないが華のない地味な娘さんだったよ。娘さんって言っても、私より年上の二十歳なんだけどさ。

 地味だしスタイルも良くないって事は、どこかに皇子を引きつける要素があるに違いない。一緒にいると安らげるとか心優しいとかそうい、私の目には映らない箇所が。

 それすらどうでも良いけど。

 ちなみにマデリン姫の方がアレナより遙かに綺麗、そして私の方がアレナより綺麗。皇子に醜女趣味とか噂たったらどうしようか? 一瞬思ったが、別に私が困る訳でもないし、何より関係ないしどうでも良いか。

 男爵令嬢は身体が弱いらしく、愛妾として囲っている分には家臣の誰も文句はないが、こんな身分の低い女を妃にするのは認めないと言っているらしい。

 最も反対しているのが、義理母であらせられる王妃。


 ネストール皇子は複雑な家庭環境に育った人で、マデリン姫から色々聞いたけど、下らないので感銘も何も覚えなかった。

 心優しいマデリン姫はネストール皇子の育った環境に、本心から心配していたが私には別に。

 衣食住と学問に困らないで生きていられる環境で、悲しいとか言われても、生活に精一杯な平民から見たら馬鹿が下らない悩みで無駄な税金使っているとしか思わない。

 マデリン姫が悪いんじゃなくて、育ちの違いって奴だなあ。パンツ脱ぎながら他者への愛を語る……それはもう良いか。

 

 さて、私は皇太子妃になった以上王妃様に会いにいかないといけないらしい。


 面倒この上ないが、暫くは ”お母様” と呼ばなけりゃならない相手だから、此方も少しは下手にでてみようじゃないか。


 この王国はかつては小さな国で、それから一時期領土を飛躍的に大きくし、そして失った国だ。

 その名残が 《皇太子》 と言う単語。今は領地を失い、領土的には元の王国に戻ってしまったので国王と王妃、でも嘗ての栄光を留めておきたいので皇子、皇女に皇太子に皇太子妃なんだそうだ。

 昔は皇子とか皇女が、広大な領地に直接派遣されて収めていたらしい、その際に皇子や皇女と呼ばれたいたものが、領地が無くなってからも慣例として残っている。

 そんな過去の栄光を何よりも大事にするのが、ネストール皇子の義理母にあたる王妃シャダ。

「ご挨拶に上がりました」

 今の言葉は私が言ったのではなくネストール皇子が発したもの。

 一応夫婦なので一緒に挨拶に向かうのだ。形ばかりどころか、何にもなっていない夫婦だが仕方のない事。

 豪奢な椅子に座って、後ろに控える侍女に多数の宝石が盛られた盆を持たせたり、大きな団扇で扇がせたりしているのが王妃。

 王妃は開口一番に、

「卑賤の身で皇太子を名乗る男には相応しい妃だな」

 そう言ってきた。

 ネストール皇子は王妃の実子ではない。現国王夫妻には子供がなく、国王の弟や妹の産んだ子を後継者に添えることにした。五人ほど集められた子供、その一人がネストール皇子だった。

 ネストール皇子は五人の中で最も血筋的に劣っていたという。

「誠に」

 失礼な男だな。何が誠にだよ。

 ネストール皇子の言葉に満足げに嗤うシャダ王妃も、腹立たしい。

 ふむ……これはもしかしたら、良い機会かもしれない!

「王妃。皇太子がそこまで卑賤というのなら、皇太子に相応しい妃は男爵令嬢ではございませんか」

 私が口を開くとは思っていなかった王妃は、笑い顔を凍り付かせた。隣に立っていたネストール皇子は私の顔の方を向き、

「王妃に謝罪をしろ!」

 怒鳴ってきた。これは中々好感触だ。

「謝罪はまず、貴方が私にするべきでしょう? 卑賤の身と言われて黙ってやり過ごせる程度の矜持しかない皇子には理解できないでしょうが、私は私の矜持があります。私は卑賤に相応しいと言われて下がる程度の女ではありません。何を王妃の暴言に追従しているのですか? 革新派が聞いて呆れる」

 王妃は表情を凍らせて、私を睨み付けた。

「貴族の端に連なる者と駆け落ちした女が産んだ子が、対等な口をきけると」

「対等? 貴方の幼稚な精神上に対等という立場があるのですか? 在るのは身分を保つために謙る国王と、見下すその他の者しかないのでは? 対等? どこに貴方の対等な相手が?」


 ”バネッサ” の事を悪く言わせはしない。そのご両親も同じ事だ。


 私は正式なバネッサではないからやり過ごす事は簡単だが、私がバネッサとして生きているせいで、不当に貶められる場合は徹底的に立ち向かう。

 例え相手が誰であったとしても。

 私がバネッサとして生きる事を決めた時、それだけはルイに、メイヨー伯爵ルイに申し出た事だった。

「バネッサ!」

「貴方のように矜持を捨てて皇太子になった男には、矜持で立つ私の気持ちなど理解できはしないのだから、黙っていてください。王妃、私の両親に対して謝罪してください」

 ネストール皇子のように、バネッサ個人に対してではなく私に対しての非礼は馬鹿にするだけで済むが、故人を貶められて笑って済ませるつもりはない。

 貴族とはプライドに生きる者。

 王妃は顔を真っ赤にして叫んだ。

「今の発言を大臣に言ったら、大臣が」

「どうぞ。今の発言で、王妃、貴方は自分では謝罪も、対処も何も出来ないと暴露しただけ。貴方と対等? 無理ですね。大臣の期待を背負って皇太子妃となった私と、勝負できると? 黙っていた方が愚かさを露呈せずに済みますが」


 挨拶は早々に切り上げられた。”バネッサ” の事を悪く言うからこんな目に遭うんだ。このせいで、トレミーが失脚したらそれはそれで良いかな? ああ、下手に出ようと思っていたことなどすっかりと忘れていた。

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