第3話

「立場というものを考えろ」

 ネストール皇子の執務室に連れて行かれ、そこで話が始まった。

「貴方は何時でも失礼な男ですね、ネストール皇子」

「何だと」

「あれは考えた結果の発言です。ご自分の意に沿わない発言は頭から ”考えていない” と見下す所は、王妃によく似ていらっしゃいます」

 ネストール皇子は怒りで赤く染まった。

「考えた上であの発言か!」

「皇子、私が貴方と一度だけ共にした夜、何と言ったか忘れましたか?」

 私はトレミーを失脚させる事を願っているのだから、失脚に使えるものは何でも使う。

「お前の願いを成就させる為なら、私の身に危険が及ぼうともお前は何とも思わないと?」

 何言ってるんだろうネストール皇子は。

「当然でしょう」

 私が間髪入れずに返したら、ネストール皇子は本気で愕然とした。

「当然だと……」

「貴方は愛していないと言われた妃が、貴方の事を心から大切に思い、身を挺して守るとお考えなのですか? 憎まれる発言をしておいて、その言い草。まさに特権階級の特権意識のなせる業ですね」

 ネストール皇子は拳を執務机に叩きつけた。

 物に当たるとは何と幼稚な男だ。

「大臣は私が失脚させる。それまではお前は口を慎め」

「お断りします。大臣の失脚と、私の名誉は別です。それと物にあたる癖はお止めなさい、下品ですよ」

 室内にいる皇子の腹心が複雑な顔で私達を見ている。

「……下がれ」

「そして私が下がった後に、この部屋にいる腹心が苦笑を浮かべながら言うのですね。 ”皇子、口では女には敵いませんよ” としたり顔で。そして貴方の機嫌を取る為に、こうも続けるのでしょう ”男爵令嬢はそんな事はありませんけど” と、賢しげに語るのでしょう。愚かな事です」

 皇子は精一杯の理性を動員していることが見て取れるが、それでも隠しきれない憎悪を向けて私に言った。

「下がれと言ったであろうが!」

「腹が立ったでしょう。大事な人を愚かと言われたら腹を立てるのは当然。だが貴方は私が下賤と言われても腹を立てなかった。貴方は感情的に欠陥のある人なのかと試させていただきましたが、そうではなさそうですね。今日貴方が私に取った非礼な態度は大臣に報告させていただきます。精々足を引っ張り合ってくださいね、アウガの村を焼いたように。そこの、扉を開けなさい」

 私は扉を開かせて部屋を出た。扉が閉まった後に大きな音でもするかと思ったが、そんな事はなかった。

 物に当たらないのは良い事だ。常識的なことなんだけどね。


 私が王妃に強く出られるのはトレミーを庇うつもりが一切ないのと、いま殆ど寝たきり状態の王は当然ながら保守派ということもあるので、王妃は私のことを嫌いでも、表立ち失脚させられないのだ。同じ保守派なのに、何故私に対して態度が厳しかったか? そりゃあ、王妃は選民意識の塊で、保守派の大勢力トレミーを嫌っているから。王妃は何れ保守派のトップに立ちたいと思っているから、トレミーはいつかは失脚させたい相手だが、トレミーを失脚させるのはネストール皇子が権力を失ってから、という考えを持っている……のだそうだ。

「今日の態度は良かったとしてやろう」

 目の前でトレミーが語ってる。

「最初から教えておいてくれたら、王妃の失言をもっと誘う強烈な舌鋒を浴びせかけてやったのに、何故教えなかったのですか?」

「お前が厳し過ぎるからだ」

 何処が厳しいというのやら。

 トレミーはマデリン姫からの手紙と、

「メイヨー伯からの差し入れだ」

 ルイからの差し入れを持ってきてくれたのだ。だが、こんな事 ”あの役立たずの息子” と日々罵っているロイズスにでもやらせたら良いのでは?

「ロイズスを使えば良かったのは?」

 率直に疑問をぶつけたら、曖昧な表情をされてそのまま無言で立ち去られた。なんて礼儀知らずな大臣だ。

「まあいいや」

 私は一人になり、マデリン姫からの優しいお便りを三度読み、私からも ”ネストール皇子とは仲良くやってますよ。大丈夫! 心配ないですよ” と嘘以外何物でもない手紙をしたためる。このくらいの嘘は平気。だってマデリン姫は外界とは遮断されているから、マデリン姫が私の現状を知るためには、王宮に出入りして、マデリン姫と接触出来る人という、狭い条件の範囲に限られる。

 それらを満たすのは、父のトレミーと兄のロイズスだけ。

 あの二人が私の手紙の内容を否定することはない。

 ロイズスは顔に出るだろうけど、彼は妹であるマデリン姫の現在の境遇を直視するのが辛すぎて、中々会いに行く事の出来ない軟弱者だ。当人であるマデリン姫の方が何倍も辛い境遇でありながら、現状を受け入れているってのに。トレミーがロイズスのことを役立たずというのだけは、ある程度は同意できる。

 そんな事を考えながら、私はルイからの差し入れの入った箱を開いた。

「やった! 酒とそして……」

 スルメイカ最高だな!



†**********†


 マデリン姫にはすぐに手紙を渡したいので、スルメイカを一口思う存分噛んで飲み込んでから、口を漱いで香料の入った水を飲んで、手紙を持っていってくれる人を探そうと部屋を出た。召使いに頼めば良いんだけど、部屋の中で酒を飲んでるだけじゃあ、やっぱり健康と美容に悪いし。

 生まれつきかなりの美人な私だが、やっぱりある程度の努力は必要だ。

 城の中を歩き回っていると、

「何をしている」

 ネストール皇子と涙の再会を果たすことになった。

「何をしていても、貴方には関係ないのでは?」

 城の中を歩いていると問題でもあるのかよ? 大体私は手に蝋封した手紙を持っている。蝋封は当然私の印だ。手紙を出しにいくのに決まってるじゃない。

「何をしているのか聞いているのだ」

 気付いているのにも関わらず、この質問って意地悪いよね。手紙を持ったまま、これから塔でもよじ登るっていうなら教えておいた方がいいだろうけどさ。

「教えて欲しいのですか? 私が貴方に毎日毎日、何故夜訪問がなかったのか? 何をしていたのか? を繰り返して尋ねて、尚かつ答える確約をしてくれるのでしたら教えて差し上げますよ。私にとって、貴方の今の質問はそのくらい鬱陶しいのですよ」

「黙って言わせておけば!」

 全く関係のない、背後の警備みたいなのが喚いたが、お前なんてお呼びじゃねえよ。

 誰だよ、お前。

「下がれ、ヒューゴ。確かに鬱陶しい、意地の悪い質問だったな」

「そうですね。貴方は意図せずに意地悪い陰湿な質問を、無意識に自分を正当化して投げつけるという見事な特技と、それを庇護するためにすぐに暴力に訴える ”良い” 部下をお持ちだ」

 ネストール皇子は瞼を閉じて、眉間に皺を寄せて腕を組んで、渋い顔をした。

 ……爺、そのものじゃない。うわ、爺さんみたいで、老け込んでるなあ。それと性格の陰湿さがにじみ出てる。なに? これが暗い生い立ちの影ってやつ? ただの、性格悪い男の苦し紛れに誤魔化そうとしている時の表情じゃない。

「手紙は誰に届けるのだ」

「マデリン姫ですが。届けてくださるように、手筈してくださいますか」

「私に預けたら、中を見るかもしれない……」

「好きにしたら? どうぞ私の前で音読してくださいな」

 一応政敵に手紙預けたら見られるに決まってるだろうし、そのくらいのこと理解してるけど、何なんだろうこの人。私のことを馬鹿だと思っているらしいけど、この人も大概馬鹿だろう?

 ネストール皇子は言った手前、引けなくなったらしく、私を伴って何名か部下の居る部屋へと入った。

 そこで私の手紙を封を破り、音読してくださった。


 ”親愛なるマデリン姫へ

 体調にお変わりはありませんか? 私は元気ですよ。丈夫さだけが取り柄の、野育ちの娘ですから。

 それより私は、マデリン姫のお体の調子のほうが心配です。まだ完全には治っていないと聞いておりますので、お体はお大事にしてくださいね。

 マデリン姫が心配してくださっている、王宮での生活ですが、もう慣れました。

 ネストール皇子はマデリン姫の仰るとおり、お優しいお方で何時も優しくしてくださいます。結婚前の噂は杞憂でしたよ。”


「……」

「まだ続いてる筈なんですけど、何勝手に読むの止めてるんですか?」

 室内の空気が澱んで大変なことになっているけど、気にしない。

「マデリンに心配をかけたくないという事だな」

「そうですね。あの方は自分が病に倒れたせいで、私が養女にされてネストール皇子の妻にされることが決まったことを、心の底から悲しんでくれた数少ない人ですから。せめて私が幸せであるという嘘で、安心させてあげないといけません」

「嘘がばれたらどうするつもりだ?」

「だから、そんな事は貴方に関係ないでしょう? 一つだけ言えることは、私が貴方の妻になって良かったということでしょうね。マデリン姫は本当に貴方の事を愛していましたが、愛している当人との初夜で ”お前のことなど好きではない。愛しているのはアレナだけ” と言いながらパンツを下げる貴方を目の当たりにしたら、マデリン姫は悲しくて泣いてしまったことでしょう。それと嘘がばれたらどうする? そんな事、貴方は知る必要は無い。いいえ、貴方は権利がない! 解りましたか? 貴方はアレナ嬢と楽しんで暮らしていれば良いのです。余計なことには首を突っ込まないで下さい。噂話好きは身を滅ぼしますよ」

 澱んでいた空気が、一瞬にして凍った。

 目の前の皇子の顔色が怒気に染まる。

 ああ、そう言えば皇子の母親は噂話で身を滅ぼしたんだ。私の知った事ではないけれども。

 皇子は怒鳴るに怒鳴れず、会議後に部屋に私を呼び出して、皇子の封筒をくれた。

 皇子の封筒なんか使いたくはなかったのだけれども、マデリン姫が喜ぶかもしれないと思い直して、再度手紙に封をして届けさせることにした。

「それでは失礼しますね」

「夕食を一緒に取らぬか」

「厭です」

 間髪入れずに言い返したら、皇子とその周囲の奴等が硬直した。

 なに? ご一緒しますとか、悩んで見せて欲しかったの? 全く、自分の都合の良いお姫様像に私を当てはめないで欲しい。

「お前は歩み寄ろうという気はないのか」

 何で私が歩み寄らなけりゃならないのか、非常に不思議ですね。

「皇子、それは上っ面というのですよ。根本が改善されない限り、歩み寄りはありません」

「私が愛妾を囲っていることか? 皇子が愛妾を囲うことは珍しくもなく、妃が口を挟む問題ではない」

「そうですね。ですが、妃が不満に思う自由はあるはずですよ。そして何度も言いましたが、私は皇子がアレナ嬢を囲っていようが、愛妾が五百人いようが千人いようが関係ありません。私は貴方が嫌いなのです、ネストール皇子」

「嫌いと言い切るか」

「そうですね、こう言いましょうか。貴方にとってアレナ嬢は ”皇子という地位ではなく、自分自身を愛してくれる” 存在なのでしょう」

 皇子は軽く頷いた。

 ふーん、そういう会話してるんだ。

「ですが私は逆です。私は ”貴方自身が嫌いなのです” 解りますか? 貴方が嫌いだから、皇子という魅力的な権威が付属していようとも従わない。アレナ嬢は ”貴方が皇子ではなくとも愛してくれる” 存在でしょうが、私は貴方が皇子であろうが嫌いです。身分が無ければ傍にも近寄りたくないほどに嫌いです。理解できましたか?」


 初夜にパンツ下げながら、アレナ嬢への愛を語ったのが利いたね。


 結局私は一人で夕食を取ることが出来た。

 何で嫌いな相手と向かい合って飯食わなけりゃならんのだ。一人で食べるのは寂しとか言うが、嫌いな奴と向かい合って食べる方が余程厭だ。


 皇子も下手な歩み寄りの姿勢など見せなけりゃ、こんな惨めな思いしなくて済んだのに。何考えてるのやら。

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