第三話 理科室の小さな革命

 西日が差し込む理科室で天海と桜葉は向かい合って座っていた。生徒総会の余韻が残る校内はどことなく浮かれていて、いつもよりも騒がしい。普段は墓場のように淀んでいる理科室の空気も例外なくざわついていていた。


 天海は真正面に座る桜葉と視線を合わせて、息を吸い込む。言いたいことは長いこと胸の中にあったのだ。言葉にする勇気さえあれば、伝えるのはそう難しいことではない。昨日、話がしたいと持ち掛けた時に覚悟を決めていた天海は、迷うことなく口を開く。


「私は、桜葉くんのやさしくない言葉が聞きたい」


「えぇと……罵倒されたい、という事ですか?」


 桜葉が戸惑った表情を浮かべる。天海は首を横に振って、言葉を続けた。


「そういう事じゃなくて……。桜葉くんが飲み込んでしまう言葉が聞きたい。桜葉くんの感情が知りたい」


 桜葉は天海に言葉を返すことなく、微笑みを浮かべる。その表情が、桜葉の感情を押し殺す。天海は、胸の中にある大きな感情を少しずつ言葉にしていく。


「桜葉くんが感情を押し殺すことでうまくいくことがたくさんあるんだと思う。桜葉くんが我慢して、自分のためじゃなくみんなのバランスのために動いてくれるから、今日の生徒総会もうまくいったんだと思う」


 天海は、一度桜葉から視線を外す。最後の迷いを断ち切るように、勢いよく視線を上げ、天海は睨むような鋭さで桜葉の両目を見つめた。


「でも、そんなの嫌だよ。桜葉くんがずっと一人で我慢して、独りだけ辛い思いをして、それで成功はみんなのもの、なんておかしいよ。間違ってる」


「僕は我慢なんてしていませんよ。全部、天海さんの妄想だ」


 桜葉は眉を下げ、困ったような笑みを浮かべた。その瞳の奥に、悲しみと踏み込まれることに対する怒りが見え隠れする。天海は、桜葉の感情を見失わないように目を合わせたまま思いを声に出す。


「違うよ。私の妄想じゃない。桜葉くんの話だよ。君が飲み込んでしまう言葉の、隠してしまう感情の話を、してるんだよ」


「だから、僕が感情を押し殺している、という証拠はどこにあるんです?」


 桜葉の声が揺れる。感情が滲みだす。


「証拠なんてどこにもないよ。感情の話に証拠があるわけがない。見えないものの話をしてるんだよ」


「天海さんはずいぶん正磨しょうまに似てきましたね。話がめちゃくちゃだ」


「めちゃくちゃでいいよ」


 桜葉が短く息を吐く。


「桜葉くんが一人で我慢してるのは、悲しいよ、寂しいよ」


 桜葉の微笑みが崩れる。天海は熱くなる思考回路のままに、言葉を続けた。


「みんなのために一人が我慢するのはおかしいんだよ。間違ってるんだよ、桜葉くん」


「天海さんは、どうしてそんなに僕の感情にこだわるんです? 関係ないじゃないですか。僕が何を思っていても、我慢した結果潰れたって、天海さんには何も、関係ない」


 天海の頬を涙が伝う。自分が泣いていることにも気が付かないまま、天海は声を荒げた。


「関係ないなんて言わないでよ……!」


 桜葉の目が揺れる。


「関係あるよ。だって、私は桜葉くんが大切だから。たくさん助けてもらったんだよ、たくさん話をしたんだよ、この教室で! これからだって、たくさん話をするんだよ、まだたくさん、一緒に過ごしたいんだよ」


 桜葉の目が見開かれる。


「桜葉くんの感情が知りたいんだよ。意見が噛み合わないこともきっとたくさんある。でも、喧嘩したら、仲直りすればいい。それはきっとすごく大変で、疲れることだけど。私はそうやって、桜葉くんのことを知りたい」


 天海の言葉が桜葉の心臓に届く。突き刺さるように響いた言葉は、確かに、彼の心を揺らす。天海は自分の視界が滲んでいることに気が付いて、ごしごしと目をこすった。鮮明になった視界の真ん中で、桜葉が迷子になった子供みたいに泣きそうな顔をしている。


「僕は、誰かを傷つけるのが怖いんです。僕は正磨とは違う。いつも言葉選びを間違えて、いつも誰かを傷つけてしまう。それが、怖い」


「うん。いいよ、傷つけあおう。たくさん傷つけて、泣いて、仲直りの時はココアを飲もう」


 桜葉が口角を持ち上げた。いつもの微笑みではなく、すこしだけ歪な笑顔だった。その歪が、桜葉の不器用な本心を表しているようで、天海は嬉しくなって、笑う。


(いつか、桜葉くんが戸惑わずに、心の底から笑えればいい)



 理科室に差し込む西日が、小さくて些細な革命と歪な笑顔を包み込んでいた。

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君の言葉で聞かせてよ 甲池 幸 @k__n_ike

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