第二話 生徒総会

 生徒総会で話し合うべき議題はもう、一つしか残っていなかった。天海、桜葉、春井の三人は生徒会役員と向かい合う位置に椅子ごと移動する。心臓が口から飛び出しそうなほど緊張している天海とは違い、春井も桜葉もいつも通りに見えた。


 後輩の方がたくましく見えるのは、頼もしい反面すこしだけ複雑でもある。天海は深く息を吸い込み、肩の力が抜けるように意識しながらそれを吐き出す。隣に座る桜葉が微かに笑う。


「大丈夫ですよ、正磨しょうまはこういう演説をやらせたら学院一ですから」


「それはよく知ってるんだけど……今日で全部が決まるって思うと、やっぱり緊張するよ」


「そうですね」


 桜葉は吐息だけで笑って、天海の言葉を肯定した。その肯定が嘘だと、天海は知っている。心臓の痛みを抱えながら、天海は向かい側に座る副会長を見据えた。


 議長の言葉で春井が席を立つ。ざわついていた体育館に静寂が満ちる。いつも通りの規則正しい足音が、静寂を切って進む。マイクスタンドの前に春井が立つ。マイクを手にした生徒会長の安曇野あずみのが春井と向かい合う。


 革命が、始まる。


「俺は、この学校の優遇制度が嫌いだ」


 春井はまっすぐに生徒会長を見つめる。確かな熱を持った強い目。対する安曇野は澄み切った湖面のような静かさでその視線を受け止めた。春井が言葉を続ける。


「優秀なことは誰かを見下していい理由になるのか? 傷つけていい理由になるのか?」


「優秀な人間がそうでない者を見下すのは自然なことだろう。なぜなら立っている場所が違う。そこに至るまでの努力が違う」


 安曇野の静かな冷たい声は、体育館の温度を下げる。春井は苛立ちを隠そうともせずに、安曇野を睨んだ。


「努力することは確かにすごいことだ、尊いと言い換えることだってできる。でも、だから何だって言うんだ」


 春井の感情的で熱い声は体育館の温度を上げていく。思考回路が熱を持って、心についた傷跡が鮮烈な痛みを放つ。


「努力を人を傷つける理由にしてはいけないんだ。自分の努力を、その過程にある苦しみを、誰を傷つける理由にするのは間違ってるんだ、そんなの、頑張った自分自身への侮辱だ」


 春井はそこで一度言葉を切った。安曇野は何も言わずに、マイクを握る手に力を籠める。春井は一度視線を下げた。思っていることはすべて言葉にする春井にしては珍しく、何かを迷っているように、天海には見える。春井は二秒ほど目をつむっていたが、強く拳を握りしめ、息を深く吸い込むと、視線を上げる。


「誰かが傷つく世界は間違ってるんだ」


「悲しみのない世界など存在しない。そんなものはおとぎ話のなかの空想だ」


「ああ、そうだ。空想だ。現実にある無数の悲しみを全部消すことなんてできない。でも、減らすことはできる。優遇制度を変え、成績に対する意識を変えていけば、この学校にある多くの差別を減らせる。そうすれば、悲しみも減る。泣きながら学校に来るなんて、間違ってるんだ、学校はそんな風に苦しみながら来る場所じゃない」


「成績を軽視すれば、生徒のレベル低下に繋がる。緊張感のない環境で、率先して勉強するやつはいない」


「全体のために一部を犠牲にするのは間違ってると言っているんだ。誰かに我慢することを強いて、その人の悲しみや苦しみから目を逸らして、そんなのおかしい。間違ってる」


 演説の原稿にはないセリフだった。春井の声にはさらに熱がこもっていく。天海は、先ほど春井が悩んだ理由を見つけたような気がした。


(これはきっと、桜葉くんに向けた言葉だ。いつも自分が我慢すればいいと、多くの言葉と感情を飲み込んでしまう桜葉くんに向けた、春井くんの我儘だ)


 春井は自分の言葉が桜葉を傷つけると知っていた。彼の深くにあるとても大切な価値観を傷つけると理解したうえで、春井は言葉を続ける。


「苦しみは、痛みは、悲しみは、みんなで背負うべきだ。みんなで傷つくべきなんだ」


(春井くんの言葉が、どんなものよりも強く、何よりも優しく、桜葉くんに届いたらいい)


天海は祈るような気持ちで春井の背中を見つめた。


「だって、独りで背負ったら重いじゃないか」


 こんなにも優しく聞こえる言葉で桜葉が傷つくことが、天海にはどうしようもなく悲しかった。天海は涙をこらえるために息を深く吸い込む。春井の声の余韻が去って、張り詰めた静けさが体育館に広がる。


「私は」


 天海の後ろで、中山の声があがった。緊張と怯えで震えた声で中山は続ける。


「私は、成績が絆まで引き裂いてしまうことが悲しいです。だから、」


 中山は息を吸い込んで、続きを口にする。その声はもう震えていない。


「だから、私は優遇制度を変えたいです」


 生徒会役員をまっすぐに見つめる中山の目には涙の膜が張っている。それでも、彼女が席に座ることはない。今度は一年生の方から、椅子を引く音が聞こえた。


「俺は、誰かを見下すために努力するのは苦しい。だからこの制度を変えたい」


 早瀬の言葉を引き金に、体育館中から声が上がる。春井があげた体育館の温度が、さらに高まっていく。肌をピリピリと刺激するような、頭が熱くなるような、一体感が天海の体を包み込む。安曇野は、道に迷った子供のような顔で呆然とそれを見つめていた。


「はい、みなさん。一度、席に座りましょう」


 固まる安曇野の代わりにマイクを持ったのは、副会長の相原だった。彼はかばうように安曇野の前に立つ。全員が席に着き、体育館が静かになるのを待ってから、相原は議長に多数決を取るように促す。


 議長がパソコンを操作し、学校で導入されているアプリに投票画面が表示される。全員がボタンを押し切るまでの時間を、天海は永遠のように感じた。早鐘を打つ心臓が、痛い。「全員の投票が終わりました」という議長の言葉で、天海の緊張はさらに高まる。


「多数決の結果を発表します。賛成九六パーセント、反対四パーセント。よって、制度の改定が決定されました」


 最初にどこかから小さな歓声があがり、それはどよめきとなって体育館全体に広がる。天海はようやく緊張から解放され、安堵の息を吐き出す。安堵を分け合いたくて、天海は桜葉に視線を向ける。


 桜葉は、感情がすべて抜け落ちてしまったような、まっさらな顔で歓声を浴びる春井を眺めていた。天海はかけるべき言葉を見つけられずに、桜葉から視線を逸らす。


 吐息によく似た笑い声が、天海の耳に届く。


「ね、大丈夫だったでしょう?」


 天海は桜葉と目を合わせて、笑う。


「そうだね。……ありがとう、桜葉くん」


 桜葉は微笑みを浮かべて、天海に言葉を返した。


「こちらこそ」




 ───こうして、キタク部の一年に及ぶ活動は無事、終了した。

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