第25話 打ち明け話

 本を五冊ずつ借りて、図書館内の談話スペースに集合した。


 テーブルをはさんで正面に座った舞果は指を組んで不敵に笑う。


「見せてもらうよ。君の『面白い』をね」

「どこから目線だよ」

「まずわたしのチョイスね」

「聞けよ」


 舞果は俺の言葉など無視して、俺の前に本を扇のように広げてみせた。


『ずぼらのためのサラダ』『手軽にできる一〇分パスタ 三〇選』、『日本米党おかず倶楽部』、『フライパンでできるプロ級フランス料理』、『えるおうちスイーツ』。


「お腹減ってるのか?」

「違うよ。なんかさ、お料理の写真を眺めてたら幸せな気分にならない?」

「まあ、なるけど」

「でしょ? これ読んで、食べたいやつをリクエストしてもらってもいいなあって」

「なるほど」

「あと、歩き回って本を探すのしんどいなって思って一箇所から」

「おい企画者」

「じゃあ直司のチョイス」

「聞けよ」


 舞果はにこにこと微笑んだまま微動だにしない。俺のチョイスを提示しないかぎり無視する気満々だ。


 このままでは話が進まない。俺は大きなため息をついたあと、本を並べてみせた。


「気に入るかどうか分からないけど……」

「どれどれ?」


 舞果はニワトリのように首を伸ばす。


「『人魚の島』、『白骨奇譚』。やっぱりホラーが入ってくるか~。それから『ロゴスの旅人』、『虹の端を持つ人』。これはSFかな。で……、お? これは意外。『やさいのはなし』。絵本だ。なるほど」


 こくこくと頷く。


「やっぱりね」

「なにがだよ」

「この五冊、選んだ理由は?」

「なんとなく。フィーリングで選べって言ってたろ」

「家の本棚の本は? あれもなんとなく?」

「まあ、そうだな」

「やっぱり」

「だから、なにが」

「気がつかない? 直司が選ぶ本の共通点」

「……?」


 気がつくもなにも、本人がなんとなくと言っているんだから、共通点などあるわけがない。


 しかし舞果は自信たっぷりの表情で、並べられた本の前に人差し指をトンと置く。


「全部――表紙のイラストがきれい」

「……いや、そりゃ売らなきゃいけないんだから、きれいなイラストにするだろ」

「きれいなだけじゃない。幻想的で、耽美。それからシュール」

「そんなの――」

「偶然?」

「……」


 並べられた五冊を見る。


 美しくも底知れぬ恐怖を感じさせるどろりとした目をした人魚。陶器のように白々とした骸骨。時空が歪んだようなだまし絵。タイトルのとおり虹をつかんだ男。グロテスクなほどイボが仔細に描かれたかぼちゃ。


 どれも舞果の指摘したとおり、幻想的で、耽美で、シュール。


 この五冊だけではない。家にある本も、思いかえしてみれば似た傾向のものばかりだ。


「直司はイラストで本を選んでるんだよ。ホラーが多いのはホラー好きだからじゃなくて、ホラー小説の表紙に幻想的でシュールなイラストが多いから」


 QED証明終了といった表情で、俺の言葉を待つ舞果。


「でも、だからなんだよ」

「好きなんでしょ、絵。また描きたいと思ってるんじゃない?」

「言ったろ。あんなのなんの役にも立たないし――」

「役に立つかどうかなんて関係ない。理由があってもなくても、好きでいいんだよ」

「……」


 黙る俺に、舞果はちょっと迷うような素振りを見せたあと、言った。


「わたしのお母さん、もういないんだよね」

「……え?」

「病気で」


 もういない。病気で。


 短すぎるふたつの言葉。でもなにを言わんとしているのか、充分すぎるほど分かった。


「だからわたし、もう後悔しないようにしようって決めたんだ。自分のやりたいことをやって、やりたくないことはやらない。世間や他人からなにを言われても気にしない、って」


 俺は思いだしていた。


 悪い噂をされようとまったく気にしなかったこと。

 食事のバランスにやたら気を遣うこと。

 月見で涙を流したこと。

 たくさん写真を撮りたがること。


 いままでの舞果の言動が、すべて一本の線でつながったような気がした。


 母親はもういない。ならば父親は?


 疑問が胸に湧き起こったが、いま俺がすべきことは父親について尋ねることではない。いままで決して口にしてこなかった過去を彼女は話してくれた。その勇気に応えなければいけない。


 一歩、大きく踏みだした彼女に、後ずさっている場合じゃない。


 俺は大きく息を吸い、下っ腹に力を入れた。


「俺さ!」


 気合いを入れすぎて予想外に大きな声が出てしまった。舞果はびくりとなる。


「な、なに?」

「あ、すまん。――俺、実の両親が離婚してて」

「……うん」

「絵を、描いてたんだ、俺。子供のころから。母親はすごく褒めてくれたんだけど、父親はあまり……。友だちと遊んだり、勉強をすべきだって考え方で。それで、徐々に、ふたりの喧嘩が多くなって……。まあ、よく聞く、教育方針の違い、ってやつかな」


 ははっ、と笑ってみたが、舞果は笑わず、真剣な表情をしている。俺は話をつづけた。


「で、俺が中学生のときに離婚して。そのころから、絵が……描けなくなって。俺のせいでふたりが離婚したんじゃないかって……」

「じゃあ、絵の女のひとは……、お母さん?」


 俺が頷くと舞果は「そっか」と、なぜか安堵したように微笑んだ。


「それにしてもお母さんの絵ばっかりだったよね」

「喜んでくれたし、俺も楽しかったし。……好きだったから」


 舞果はもう一度「そっか」とささやくように言った。


「ありがとう、話してくれて」

「……」

「ん?」

「あ、いや」


 優しい表情に見とれてしまい、返事が遅れてしまった。


「そっちこそ、話すのつらかっただろ……?」

「ん~、まあ」

「すまん……」

「いいの。なにかを我慢してる直司を見てるほうがつらかったから」

「舞果……」


 そこまで俺のことを? まさか、サブスク彼女としてではなく、本気で……?


 と思ったつぎの瞬間、舞果はへらっと笑って言った。


「こっちの気持ちまで湿気ってきそうで」

「期待した俺が馬鹿だった」


 そんな言葉が口をついて出た。


「え? なにを期待したの?」


 なにを期待したのだろう。


 ……いや、本当は分かっている。いままで目をそらしつづけてきた、その気持ちを。


 でも口にすることはできなくて。


「やさしく慰めてくれるのかと」


 思ってもない言葉を被せてごまかした。


「じゃあ、慰めてあげようか。はい、ハグ」


 両手を広げて胸を張った。ただでさえ大きなそれが余計に強調される。


「え、ま、まじで? いいの?」

「え~? なんか目が怖い。じゃあオプション料金二百円」

「破格……! ハグだぞ? 数千円はとっていいだろ」

「じゃあ、千円」

「一番小さい歩幅で上げてくんな。五千円は下らないだろ」

「でもただのハグだよ? 上げても千五百円」

「もうちょっと」

「じゃあ、千七百円?」

「うん……、まあ、それくらいか」

「はい、どうぞ」


 と、舞果はまた腕を広げる。


「いや、買わないけど」

「買わんのかいっ」


 気持ちが怖じけた。俺たちは一歩、距離を縮めた。そのすぐあとに身体的な距離まで縮めるのはキャパオーバーだ。


「まあいいや。じゃあ帰ろうか」


 計十冊の本を借りて、俺たちは図書館を出る。


 しかし舞果は、道すがらにあった龍谷書店を見て立ち止まると、俺に本の入ったマイバッグを渡し、


「ちょっと待ってて」


 と言い残して、店に入っていってしまった。


 十分くらいして出てきた舞果は、龍谷のロゴが入った紙袋を俺に差しだした。


「はい、これ」

「……なに?」

「う~ん……。誕生日のお礼?」


 俺は怪訝に思いながら袋の中を見る。


「これ……」


 黄と黒を配した、よく見るデザインの――。


「スケッチブック……」

「描きたくなったかなって」

「……」


 言葉につまった俺に、舞果はちょっと気まずそうな声で言う。


「あ、べつにプレッシャーをかけようって思ったわけじゃないから。嫌なら捨ててくれてもいいし」


 なにか勘違いをしている。俺が黙ったのはプレッシャーを感じたからではない。


「まず、ありがとう。嬉しい」

「う、うん、よかった」

「で、さ……。その……」


 俺は明後日の方向を見ながら言う。


「舞果を、描いていいか?」


 そう頼むのが照れくさくて、俺は言葉につまったのだ。


「…………へ?」


 舞果はきょとんとしている。


「二度は言わないからな」

「わたしを?」


 俺は頷く。


『モデルになってくれなんて言って、本当は脱がすのが目的なんでしょ?』


 なんて茶化されるのを覚悟する。


 しかし舞果は茶化すどころか、目をきょろきょろと泳がせたあと、頬を染め、顔をうつむけた。


「よ、喜んで……」


 意外すぎる、しおらしい反応。むしろ俺のほうが戸惑ってしまう。


 マンションに着くまで、いや、着いてからも舞果は妙に口数が少なかった。


「さっそく使わせてもらおうかな」


 スケッチブックを袋からとりだすと、舞果がおずおずといった様子で申し出た。


「モデル、しようか? どんなポーズがいい?」

「ありがとう。でも、大丈夫」

「え? 大丈夫って、わたしを描くんだよね?」

「描くけど、モデルは必要ないんだ」


 舞果の顔いっぱいにハテナマークが浮かぶ。俺は思わず吹きだしてしまった。


「覚えてるから」


 隣の部屋へ行く。机にしまいこんでいた3Bの鉛筆を引っぱりだし、床にスケッチブックを広げ、うつぶせになる。


 線を引いてみる。思いどおりの長さ、太さ。手が震えることもなかった。


 ――大丈夫、描ける。


 舞果がやってきて、俺の姿を見て言った。


「ちょっと待って、そんなトカゲみたいな体勢で?」

「え、変か?」

「変じゃないと思ってることに驚く」

「昔からこうだけど……」

「なんていうんだっけ、ほら……。そう、イーゼル。あれにスケッチブックを置いてさ、小っこいイスに座って、背筋伸ばしてしかめっ面で描くんじゃないの?」

「しかめっ面は知らんけど。鉛筆と消しゴム以外の道具なんてなかったし」


 舞果は呆気にとられている。


「二、三時間で描けるから」

「うん……」


 なんだか釈然としない顔で部屋を出ていく。


 ――さて。


 俺は記憶の中の舞果をスケッチブックの上に投影していった。

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