第24話 ご趣味は?

 ガチャン! とコップが砕けた。水切りかごに置こうとしたところ、誤って蛇口に強く打ちつけてしまったのだ。


「……っ!?」


 シンクに散らばるガラスの欠片。俺は首をすぼめて固まる。


 いつものようにソファで読書をしていた舞果が音を聞きつけてキッチンまでやってきた。


 そしてスマホのカメラで俺を撮影する。


「……なに撮ってんだよ」

「コップを割っちゃった記念」

「アニバーサリー要素はどこにあるんだ……?」

「前は『ほわああああ!?』って驚いてたのに、今日はフリーズするんだね」

「あのときは恐怖心があったから……。今日はほら、罪悪感が」


 舞果は文字を入力した。


「『前は恐怖心で大声、今日は罪悪感でフリーズ』」

「メモるな」

「ふふっ。わたしの『直司アルバム』、見る?」

「見るかっ。――というか、誰に見せるわけでもないのにそんなに写真を撮ってどうするんだよ」

「たまに見返して笑ってる」

「笑ってるのかよ……」

「記憶ってさ、思い出すだけじゃ薄れていくから。ちゃんと記録しないと」


 硬質の声に俺ははっと舞果の顔を見る。彼女は寂しげに目を伏せ、ダイニングテーブルに手を置いた。


「舞果……」


 また過去を思い起こさせてしまったようだ。


「あの……」

「だからさ」


 舞果はぐっと身を乗りだすようにして、片手を招き猫みたいにした。


「わたしも撮ってよ。はい、女豹のポーズ」


 と、悪戯っぽく笑う。


 ――ううっ……!


 猫舞果がツボな俺は、デレッと崩れそうになる顔を必死で引きしめる。


 パシャ、と舞果が俺をスマホで撮影した。そして文字を入力する。


「『パグみたいな顔でわたしを見ている直司』」

「誰がパグだ」

「これで、ぷふぅ! また、くくっ! 笑える」

「もう笑ってんじゃん……」

「これがいまのわたしの趣味」

「悪趣味だな」

「そういえば直司の趣味ってなに?」

「……いや、とくにないけど」


 真っ先に思いついたものはあるが、俺は逆のことを口にした。実際しばらく離れているし、趣味と呼べるものではないだろう。


「読書は違うの? けっこう本読んでるよね? ――あ、そうだ、さっき読んでた本ちょうど読み終わったからなんか貸してよ」


 自分から趣味の話を振ったことなんか忘れているみたいに、舞果は俺の部屋に入っていった。


 ――貸すとも入っていいとも言ってないんだが……。


 自由極まる。


 舞果は本棚の前に立ち、一冊引きだしてはもどし、一冊引きだしてはもどししている。


「ううん……?」

「どうした?」

「なんか、ホラーが好きなのかなあ、って思ってたんだけど……」

「え? なんか気になるか?」

「ん~……。気のせいかも」

「なんだそりゃ」

「たまには漫画でも読もうかな~」


 全十巻のギャグ漫画を抜きだす。


 その拍子にほかの本がばたばたと倒れ、一番端に差しこんであったスケッチブックが横転するように棚から落下した。


 スケッチブックは開いた状態で床に落ちた。そこには鉛筆で描かれた人物画。


 血の気が引く。逆に舞果は興奮したみたいな声を出す。


「え、なにこれ、めちゃくちゃうまくない? これ直司が描いたの?」


 俺は呆然と頷く。


「ほんと? すごっ!」


 舞果はスケッチブックを拾いあげ、しげしげと眺める。


「優しそうな女のひとだね。ふうん、わたしの渾身の女豹ポーズは撮らないのに、このひとの絵は描くんだ? ふうん」


 冗談めかして言う舞果に、俺はなにも返事ができない。


 そこでようやく俺の様子に気がついた舞果は、ちょっと慌ててとりつくろうように言った。


「い、いい趣味があるんじゃん。自慢していいよこれ」

「自慢するようなことじゃないし……」

「いやいや! ほんとうまいよ。写真みたい」

「絵なんて描いても、将来役に立たないし。こんなのに時間を費やすくらいなら、勉強やバイトでもしたほうがずっと有意義だろ」


 俺は舞果に笑顔を向けた。だがうまく笑えたかは分からない。


 舞果はなにか言いかけて、言葉を飲みこんだ。スケッチブックを閉じ、棚にもどす。そして漫画ももとにもどしてしまった。


「読まないのか?」

「うん」


 ちょっと考えるような素振りをしたあと、言った。


「明日、デート行こう」

「な、なんだよとうとつに」

「図書館デート」

「図書館?」

「嫌?」

「そんなことないけど」


 むしろ誘ってもらえて嬉しい。しかし。


「ふたりで出かけて、誰かに見られたらまずくないか?」

「学区外の図書館なら問題ないよ」

「それになんで図書館? しゃべることもできないし、読書か勉強くらいしかできないだろ」

「でも無料だよ。それにデートスポットとして図書館は非常に優れてる」

「どういう点が」

「しゃべらなくても間がもつ」

「そういう見方もあるな」

「しかもデートが終わったあと、本の感想を話題にできるから会話にも困らない。同じ理由で映画館もおすすめ」

「完璧だな」

「でしょ?」

「事前に種明かしをしなければ」

「あはっ」


 舞果は笑ってごまかし、


「じゃ、明日、お昼ご飯を食べたあとに」


 と言って部屋を出ていった。


 ――デート、か。


 考えてみれば、ちゃんとしたデートに行くのって初めてではないだろうか。


 急に緊張してくる。しかしなんだか心地よい緊張感だ。


 ――そうだよ……。


 いまの俺には勉強と、バイトと、舞果でいっぱいいっぱいだ。ほかのことをやっている暇なんてない。


 俺はスケッチブックのほうを見ないようにしながら机に向かい、今日の授業の復習を始めた。





「じゃ、解散」


 舞果は図書館に到着して早々、そんなことを言いだした。


「なにその斬新なデートプラン」

「違う違う。帰るってことじゃなくて、図書館内でそれぞれ本を探そうってこと」

「ああそういうこと」

「でも、ここからがミソ。自分で読む本じゃなくて、相手が読む本を探すの」

「相手の?」

「それも、自分が面白そうだなって思った本をね。そうすれば、ふだんは読まないようなジャンルを開拓できるでしょ?」

「でも俺、読書家じゃないから面白い本なんて知らないぞ?」

「面白そうだなってフィーリングでいいの。むしろフィーリングが大事。フィーリング。オーケー?」


 いやに念を押してくる。


「オーケー」

「ヒアウィーゴー」


 ――なにこのノリ。


 舞果はさっさと奥のほうへ行ってしまった。俺は反対方向へと歩きはじめた。


 書架のあいだを、背表紙を眺めながらぶらぶらと歩く。


 ――フィーリングなあ……。


 自分が読む本だって決めかねるのに、まして相手の読む本を探すなんて俺にとっては難題がすぎる。


「おっ」


 ある一冊の本に目が留まる。


『圧倒的な社交性を身につける! 超催眠術』


 俺のディスコミュ性質は努力でどうにかなるものではないのではないかと常々考えていた。催眠や暗示なら根本的に改善することが可能かもしれない。


 ――って違う!


 探しているのは舞果に読ませる本だ。こんな本、彼女にはもっとも必要ないものだろう。


 ――いや……。


 その考え方もまちがいだ。相手に必要な本を探すのではなく、自分が面白そうだと思う本を相手に勧めるのが今日のデートの趣旨である。


 ――フィーリング、フィーリング……。


 俺は心の中で念仏のように唱えながら、書架の迷路をさまよった。

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