We wish you a merry Christmas
そして私と梨華は互いによく分からない距離感のまま"再会"した。
赤い毛糸の帽子。なにそれ、という私の唐突な指摘を気にすることなく、梨華は被り続けている。荷物がスーツケースに入りきらなくて、しょうがないからはみ出した分を着てみた、ということだった。
旅行あるあるだね、と応えて、梨華のお母さんから聞いたことのメモを取り出して読み上げた。
「その1。まずはホテルにチェックインして荷物を預ける」
私は一人で旅行したことがない。
家族での旅行も新幹線を使えば珍しい方。そんな私にしてみれば、海外旅行のノウハウなんて全く分からないから、もうこのメモに従うしかない。果たしてこれが一般的な海外旅行・帰国編の手順なのかもわからないけれど、与えられたミッションをこなしていく義務感が梨華との会話のぎこちなさを救ってくれた。
「ホテル、ってどこ?」
梨華に聞くとすぐに、あっち、と指さした。いつも泊っているところなんだろう。スーツケースをエスカレーターに乗せるのを手伝って、なるほどこれは一人では大変だから迎えに来てくれる人が必要なのかな、と納得してみた。それでも頭の隅に少し残った疑問は、この後で明かされることになった。私の多大なる労力を以って。
長いエスカレーターで移動しているとき、ふと、梨華の様子がなんか変なことに気がついた。気まずいのはお互いさまで、でも、それとは違う。反応が鈍いというか。
エスカレーターを降りて、二人の間にスーツケースを転がしながら梨華の顔を窺い見る。間違いない。
「…梨華、歩きながら寝ないで」
「いや、寝てない。歩いてるし」
言ったその言葉の端からまぶたが降りる。スーツケースの持ち手に体重を掛けるから、変な方へスーツケースが転がっていく。私が一人で持った方が良いのだろうか。だけど梨華からスーツケースを取り上げたら支えを無くしてその場に倒れて寝ちゃうんじゃないか。
ひやひやしながらホテルのフロントを示す矢印に従って移動すると、梨華が急に立ち止まった。
「何。寝ないでよ」
「コインロッカーに預けた荷物、出さないと」
これ以上、まだ荷物があるらしい。
高校が終わってから直接空港に来たから、教科書やノートの入った鞄はロッカーに預けておいたんだそうだ。私だったらイギリスなんて、そんな外国に行っている間にロッカーの鍵、無くしそうだな、なんて思いながら、少し見上げの角度でコインロッカーの扉を開ける梨華の横顔を見た。
ちょっと寝ぼけた感じはしょうがないけれど、相変わらず整った顔。持ってきたカメラに手が伸びそうになる。
無機質なコインロッカーエリアに旅行帰りの女子高生の横顔。焦点深度を浅めに、露出は抑えて、シャッター速度は甘くていい。ストロボは必要ない。
頭の中で撮影の設定が組み立てられていく。構図を変えて、顔のアップ、バストアップ、全身と背景を入れて。
そんなことに気を取られていたから、ロッカーの扉を開けるだけの動きに手間取る梨華の様子に気づくのが遅れた。
「開かない」
我に返って私も扉に触れてみる。
「ほんとだ。なんで」
「わかんないけど、荷物、けっこう詰め込んだから」
「なんか引っ掛かってるのかな」
がたがたと取っ手を揺すってみて、これは係の人を呼んだ方が良さそうと私が手を放して三歩ぐらい後退した時。
「あ、開いた」
途端、ロッカーから音を立てて荷物が飛び出した。
教科書、ノート、ペンケースに鞄、制服に、ローファー。梨華が日本に置いていった日常が、人工大理石の床の上、音を立てて零れ落ちた。
最後に、カツン、と小さな音を立ててリップクリームが落ちてきて、雪崩は終息した。
「その1。まずはホテルにチェックインして荷物を預ける」
メモを再び読み上げたのは、ホテルの部屋に入ってから。その1、をクリアするのにこんなに労力がかかるものだったとは。
ツインルームのホテルの部屋、ベッドの一つは梨華の荷物で埋め尽くされている。顔だけ洗ってくる、と梨華は洗面所に行っていて、私は果たして、この荷物の山を見ていていいものか、迷った挙句に窓のカーテンを開けてみた。
窓の外は夜の滑走路。青や緑のLEDが明滅しながら輪郭線を描いていた。
顔を洗い終わった梨華が洗面所から出てきて、ベッドの上、スペースを作って座り込んだ。
「わたし機内食を食べ続けてお腹空いていないから、芽衣、食べてきて」
「私一人で?」
荷物を睨みながら頷く梨華。だけど半分、寝ている。たしかにこの状態でレストランに食べに行っても梨華は途中で寝てしまいそうだし、そうなると荷物は朝までこのままになってしまいそうだし。
怒ってもいいシチュエーションに思えたけど、怒ってもしかたないシチュエーションにも思えた。
「その2。レストランで夕食を食べる」
メモのその2に横線を引いて消した。予約していたレストラン、ホテルのフロントの人にお願いしたらキャンセルの手続きまでしてくれた。空港内のレストランは飛行機の都合があるからキャンセルには柔軟に対応してくれる、んだそうだ。すごくどきどきしていたから、にっこり笑って、大丈夫ですよ、っていってくれたフロントのお兄さんを好きになりかけた。あぶない、あぶない。
コンビニでサンドイッチとヨーグルトは2つ、買って部屋に戻った。予想通り、梨華は荷物の山の中で寝落ちしていた。
スマホから梨華のお母さんに電話を入れると、すぐにつながった。
梨華から何の連絡もなくてでも芽衣ちゃんとちゃんと会えたのね良かった、梨華、寝ちゃってるかしらいつものことなのよ、朝はちゃんと起きると思うから荷造りはその時させてね
…確信犯か。
帰国した途端、睡魔に負けるのは梨華の長年の習性で、これがあるから出迎えが必要だったのだとようやく理解した。乗り掛かった舟はしょうがない、熟睡する梨華は放っておいて、部屋の贅沢なバスルームに備え付けのバスソルトを投入し、私は状況をひたすら楽しむことにした。
そう、怒っていいはずのシチュエーション。なのにそう、思えない。カメラのメモリいっぱいに撮れた空港や飛行機の写真のせいもあるだろうけど。どうみても高そうなこのホテルの部屋の雰囲気のせいもあるけれど。
お風呂から上がって髪を拭きながら、梨華のベッドを覗き込む。さっきの赤い毛糸の帽子は梨華のお父さんが買ってくれたものらしい。友達へのお土産とか、丸まった洗濯物とか、いろいろ散らばっている。
結局私たちは成長しているようで、何も変わっていない部分もあるみたいだ。それに気づいて、なにかコトン、と胸の中、迷子になっていたピースがどこかにはまった気がした。そう、互いが互いの主張を譲らないから、互いに受け入れてもらえないように感じてちょっと距離を感じていた。
私と梨華の互いへの"反抗期"、ここ数年の私たちの関係に名前がついた、と思った。
ごそごそと寝返りを打った梨華がお風呂上がりの私に気づいて寝ぼけたまま、手を伸ばしてきた。なんだなんだ。
「うそ、芽衣、いつのまに胸、大きくなったの?これDカップ?」
揉まれた。減るもんじゃないけれど、なんだこの酔っ払いみたいな行動は。
「Cだから。ほら、手を放してよ。梨華だって」
…うん、大きな変化は生じていなかった。
「Bだから」
寝ぼけている割にみょうに強気に断言して、その割には胸を隠すようにして丸まって、そしてまた、寝た。なんなんだ、ほんとうに。
「…どう見てもAだけど」
呟きながら、布団を直してあげた。
結局私たちが変わっていくところはあっても、変わっていないところはいくつもあって。今は思いついたばかりのこの考え、ひとばん寝たらもう少しクリアになっていると思う。そうしたら。
お正月の初詣、梨華を誘って一緒に行こうかな。
ホテルのシーツ、羽毛布団と枕に挟まれて。私はなんだか楽しい気持ちで眠りについた。子どもの頃、起きたらサンタさんからのプレゼントがあるからとワクワクしながら布団に入った、あの時の気持ちによく似ているな、そう思いながら。
二つの金平糖 葛西 秋 @gonnozui0123
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