09.会長、マッサージ

放課後、あまりの眠気に真っ直ぐ帰るのを断念して、中庭のベンチで座ってウトウトしていると夕陽に染まった風景を吹き抜ける風が心地良い。


本当は横になって爆睡したかったんだけど、そうすると数時間単位で帰りが遅くなりそうだったので我慢して仮眠で済ませていると耳元で声が響いた。


「こんばんは、川上くん」


後ろから声をかけられるのと同時に肩に手を置かれて、見上げるように振り向こうとすると、後頭部に柔らかいものが触れた。


「んっ」


「す、すみません」


その柔らかい感触の持ち主の会長が声をあげて思わず謝る。


「相変わらず川上くんはこういうアクシデントが多いわね」


「そんなことないですよ」


それに今のだって、アクシデントというよりは会長が狙ってやったことだと思う。


「でもこの前は裸を見られたもの」


「はい、すみませんでした」


あれは訴えられたら即敗訴レベルなので素直に謝るしかない。


「別に怒っている訳じゃないわよ?」


背後から響く声は、たしかに怒っているというよりはからかっている、といった音色だった。


「それで、今日はどうしたんですか?」


「あら、用がなければ会いに来ちゃいけないのかしら」


「それなら正面から現れてくださいよ」


わざわざベンチの裏側に回って奇襲する必要はないと思う。


「なんだか疲れているようだから、元気付けてあげようかと思ったのよ」


「会長と話しただけで俺は元気100倍ですよ?」


なんて台詞は半分冗談だけど、会長と話していると楽しいのも本当。


「肩を揉んであげるわ」


「会長にそんなことをさせるのは悪いですって」


幸い見える限りに人影はないけれど、もし誰かに見られたらなにやってんだアイツはって思われるだろう。


「私が先にしてもらったのだから、これはそのお礼よ」


と言われてしまうと、重ねて遠慮するのはちょっと気がひける。


なので別の方向から攻めてみよう。


「俺は会長と目を見て話したいんです」


というか視界に入れていないと何が起きるのか不安で落ち着かない。


「そんな風に言われると、少しだけ照れるわね」


文章だけ見れば本当にフラグが立っていそうな台詞だけれど、からかわれているだけな気がする。


「でもダメよ、私の肩を揉んだのだから、貴方も素直に肩を揉まれなさい」


手を動かし始めた会長に肩を揉まれると、シャツ越しでも柔らかい感触が伝わってくる。


それに少しだけ鼓動が早くなりながら、動けずにいるとだんだん気持ちよくなってきた。


「会長、上手いですね」


「そうかしら、初めてだったけれど上手くできているならよかったわ」


「凄く気持ちよくて、とても初めてだとは思えませんよ」


なんて主語を抜いた会話をしていると、ちょっと卑猥な話に聞こえなくもない。


「このまま寝ちゃってもいいですか?」


「私はいいけれど、起きたときの保証はできないわよ?」


「寝顔にキスでもしてくれますか?」


「それもいいわね」


もちろんその時は寝るつもりはなかったのだけど、日々の疲労と勉強の寝不足と気持ちいいマッサージでだんだん意識が遠くなってくる。


そしていつの間にか頭上から聞こえてくる、「ひつじが一匹、ひつじが二匹、……」という催眠術に俺の思考は完全にストップした。




「ふあっ……」


欠伸をしながら目を覚ますと、あたりはすっかり暗くなっていた。


座ったままでも体が痛くなっていないからまだそんなに時間は立っていないと思うけれど、それでも時計の長針が半周くらいはしているかもしれない。


「おはようございます、会長」


「もう夜よ」


「なら、おそようございます」


「英語にしたらgood night.かしら」


それだともう一度寝ることになるような。


まあ学業優秀の会長だし本気で言っているわけではなくて、ジョークだろうけど。


「ところで頭に当たってる感触なんですけど」


あえて言わないけどお互いの位置関係と感触的に完全にアレである。


「貴方が座ったまま寝てしまったから支えてあげてたのよ?」


「それはありがとうございます」


随分柔らかくて、そして贅沢な枕だった。


「どういたしまして」


そもそも会長の睡眠導入された気がするんどけど記憶違いだろうか。


思いながら頭を前に出して感触から離れる。


「それより、肩の調子はどうかしら?」


「大分良くなった気がします」


実際に動かしてみると、筋肉の張っている感じが減ってかなり肩が軽くなっていた。


「今度なにかお礼をしないといけませんね」


そもそも会長の貴重な時間を無駄にさせすぎである。


「そもそもこれがお礼だもの、気にしなくていいわよ」


と言われても、やったこととやってもらったことで全然釣り合いがとれている気がしない。


「それに、貴方には感謝しているのよ」


「感謝されるようなことはしてないと思いますけど」


「そうやって誤魔化すのは悪い癖ね」


なんて詰められても心当たりはないのだけれど。


「でも今日は許してあげるわ」


背後からの気配が消えて、視界の端から現れる会長に俺も腰を上げてベンチから立ち上がる。


「ありがとうございます、元気が出ました」


「それならよかったわ」


微笑む会長は暗くなった風景の中に長い黒髪が溶けるように靡いて、今日も美しかった。

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