第15話

満腹中枢が満たされると次に訪れるのが絶え間ない眠気の波である。胃へと集中する血流。脳への酸素供給が低下し、集中力も同時に低下していく。午後の講義は舟を漕ぐ生徒たちが目に見えて増えていた。凛もまた襲いくる睡魔をどうにかねじ伏せ、講義に参加していた。

教授が唄うように諳んじる古典文学の一節が状態異常を引き起こす呪文であるかのように一人また一人と夢の世界へと旅立っていく。

文学が好きな凛にとってこの講義はそれなりに興味深いものであるのだが今日は消化試合だ。淡々と講義を鈍い頭に何とか落とし込んでいく。


調子に乗ってご飯をおかわりしたのが悪かった。満腹による多幸感を得た代償がコレである。過去の自分に文句を言いたいところだが、何度同じ状況になってもおかわりするだろうと半ば自嘲気味に机で見えない所に隠れた自分のお腹辺りを撫でた。とにかく美味しかったのだ。


凛は眠気に負けぬよう遮二無二に講義の記録を取り集中すること90分、多少のアディショナルタイムはあったが何とか戦い抜くことができた。


「あ〜。今日はここまでですが、集中できてなかった人が多かったので今日の授業で取り扱った作品どれかひとつ読んで来週の火曜までにレポートを提出するように。提出しなかった人は今日の講義も出席していなかったとみなします。それじゃあ」


そう言い残して反論は受け付けないとばかりにスタスタと教室を後にする教授。取り残された生徒たちからは深い溜息や愚痴が漏れた。多くの者は自業自得だが真面目に講義を受けていた者にとってはとんだとばっちりである。凛もまたその被害者のひとりであり、どっと疲れが襲い来る。だが項垂れていても仕方がない。まだ4限が残っているのだ。

4限はスペイン語だ。外国語の必修科目の英語、第二外国語の選択必修にスペイン語を、選択科目としてポルトガル語を履修することにした凛はサッカー好きとしてスペインへ行ってみたいという思いとポルトガル語は言語的にかなり近いから学びやすいと考えての選択だった。どちらもラテン系の陽気なノリの講師が担当しているため多少のユルさも魅力でとても楽しい。言語学習においてモチベーションは何より重要だ。目標設定と楽しいと思えることによって継続して取り組むことができる。幸い凛はどちらの条件も満たしており選択は成功したと言える。


課題は増えてしまったが4限目に挑むために凛は気持ちを切り替えた。


◇◇◇


4限目の終わりを告げて講師が教室から去っていくと、講義が終わった解放感から凛は大きく伸びをした。1ヶ月ほど過ぎた大学生活。自然と顔なじみも増えていた。「おつかれ」と挨拶を交わしてゆっくりと机の上を片付けてブラウンのデイパックを背負う。


「16時か」


スマホで時間を確認すると午後4時を少し回ったところで急足で5限目に向かう人や凛と同じように一日の講義が終わりゆったり談笑を楽しむ者と様々だ。


今日は賢人会の集まりがある。サークルの活動日だ。といっても授業があったりアルバイトがあったりその他諸々の用で全員が集まれるとは限らないのだが。


「おつかれー、綾峰は上がり?」


「鍋島に春木じゃん。お疲れ。これからサークルですわ」


軽く手を挙げて寄ってきた鍋島真澄なべしまますみ春木茉那はるきまなはオリエンテーションのときに親しくなった同じ社会学部の1年だ。鍋島と春木は高校時代から付き合っている。同じ大学に行くためにお互い努力したのだろう。


「サークルってあれだろ?例の有名人の集まりの」


「あ〜、可愛い子と綺麗な先輩しかいないよねぇあそこに入るのは勇気いるわ」


同性として思うところがあるのだろう。春木は賢人会の女性陣を思い出して遠い目をしていた。


「俺らはこれからちょっとぶらつく予定。茉那が買い物したいっていうから。綾峰もサークル楽しんでこいよー」


地雷の匂いがする彼女の背中を押しながらヒラヒラと手を振り、二人は去っていく。それを苦笑と共に見送った凛も部活棟に行くためその場を後にした。


賢人会に割り当てられた部屋に入るとすでに出雲と天音がやってきていて仲良く会話を楽しんでおり、凛に気づくと笑顔で手を振り迎え入れてくれる。


「お疲れ様です」


「「お疲れ様」」


挨拶を交わしてバッグを下ろし、空いている椅子へと腰かける。


「2人とも早いですね」


「うん。私も出雲ちゃんも3限までだったから。菫ちゃんはもうすぐ来るってさっき連絡があったよ。優亜先輩と真姫奈先輩は多分一緒だと思う」


「チェルと奏鳳は5限目まであるから来れないかもって。加藤君は?」


「時雨は今日、バイトがあるから行けないって」


1年生組は出雲と凛以外は今日は不参加らしい。こうやって参加自由なところも楽で良い。そもそも代表の優亜がゆるいためギスギスした感じになることはないのだが。


「天音先輩、今日って何やるのか知ってますか?何するのか全然聞いてなくて」


「えっとね。ゴールデンウィークの予定を決めたいって優亜先輩が言ってたよ。みんなの都合が合えばなんかしたいんだって。去年はみんなで親睦会も兼ねて遊びにいったんだ」


「どんなことしたんですか?」


「去年はみんなでキャンプしたよ。音子先輩っていうアウトドアが趣味の先輩がいてね。その先輩の発案でBBQしたり、川で遊んだりして楽しかったなぁ」


賢人会のメンバーは何となくインドア派が多い気がしていたので少し驚いた。だがアウトドアに慣れている人がついていたのだから安心できるのも理解できる。

お嬢様然とした見かけによらずアクティブな出雲は天音の話を聞いて目を輝かせていた。インドア派の凛も何だか楽しそうだなと思った。


誰かの好きを自分の好きに変えることをモットーに活動している賢人会は好奇心旺盛で何事も楽しめる、そんな人が集まっているのだ。


「いいですね。じゃあ今年も予定が合えばどこか行こうって流れになるんでかね?」


「きっとそうだと思う。1年生のみんなとは初めてだからもっと仲良くなれたら嬉しいなぁ」


そう言って照れて恥ずかしそうに小さく笑う天音にキュンとしてしまった。出雲も胸をおさえ何やら悶えていた。カワイイ先輩に胸をときめかせていると今度は幼なじみがやってきた。


「おつかれ〜」


「菫先輩、お疲れ様です」


「出雲ちゃんおつかれ〜。凛くんも天音ちゃんもお待たせ。待たせちゃってごめんね。優亜先輩と真姫奈先輩ももうすぐ来るから。お菓子と飲み物買って来てくれるって」


元気よく手を振りやってきた菫は天音の隣りの席に場所を取ると持っていたショルダーバッグを脇において中から小花柄をあしらったアイボリーのレザー調のペンケースを取り出すと自分の目の前に置いた。菫の使っているペンケースは可愛らしく、女性らしいデザインでとてもオシャレだ。チョイスのセンスが光っている。それにいち早く気づいたのは出雲だった。


「あっ、菫先輩の筆箱カワイイですね。いいなぁ。どこで買ったんですか?」


「これはねぇ、ネットで見つけて注文したのだよ。筆箱にしてはちょっと高かったけどカワイイから気に入ってるの」


「へぇー。このブランドの筆箱いいなぁ。私もほしいかも。菫ちゃんって使ってるものみんなオシャレだよね。それにただ流行のものってわけじゃなくてちゃんと個性があるというか。しっかり気に入ったものを身につけてるって感じですよね」


「お待たせー」


勢いよく扉を蹴り開けて飛び込んで来たのは両手に大量のお菓子が詰まったビニール袋を下げた優亜と頭痛がするとばかりに眉間を押さえる真姫奈だった。


「優亜。あなたはしたないわよ。まったく扉が壊れたらどうするの」


「これから賢人会ゴールデンウィークの活動プランを決めるよ!あっ、お菓子もあるからね」


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