これが僕らの青春です。

第5話

お風呂から上がった菫はバスタオルで身体を隠し、キッチンに備え付けられた冷蔵庫の扉を開くと中から水の入ったペットボトルを取り出し、水をグラスへと移す。 グラスに注がれた水に口をつける。水分が風呂上がりの火照った身体に染み込んでいく。

ふと、壁にかけられたモノクロのオシャレな掛け時計に目をやると、ゆっくりと念入りに入浴を済ませたため思ったより時間が経っていることに気がついた。

手にしたグラスに、もう一杯水を注いで一気に飲み干すとドライヤーを手にした。水を含んで重たい髪に熱風を当てるとシャンプーの香りがふわりと広がっていく。菫の髪は短めに整えているため乾かすのにそこまで苦労はしない。髪を伸ばしていた時期もあったが、今の髪型にしてから手入れがとても楽になった。だが、短めだからといってオシャレが出来ないということはない。編み込みを楽しんだり、リボンで纏めたりと色々遊べて手入れしやすい今の髪型をとても気に入っている。

髪を乾かし終えた髪はふわりとした緩やかなウェーブがかかり、シルクのようになめらかな仕上がりに満足気に姿見の前に立つ。バスタオルを取るとほのかに上気して桜色に染まった生まれたままの姿が映し出された。

鏡に映し出された念入りに磨かれた玉の肌。菫は上から下へと視線を動かし、自身の身体を観察する。

すらっとした手足とよく引き締った身体は腰の辺りでクビれ、Cカップの形の良いお椀型の胸やしなやかでプリっとした臀部が女性らしさを主張するように優美なラインを描く。

グラビアアイドルのように色々なポーズを試してみる。誰に見せるわけでもないのだが、メンテナンスが行き届いた身体はそれだけで絵になるものだ。

やがて、ひとしきりポーズを取り終えると自嘲気味に溜息を漏らし、胸の膨らみに手をあてみる。

自分のスタイルに自信がないわけではないが、他の賢人会メンバーと比べるとボリューム的には多少劣っている様な気がしてならない。

出雲などと比べるとどうしても自身が貧相な体に思えてしまうのだ。

｢う〜。優亜さんも真姫奈さんも出雲ちゃんもスタイル良すぎだよ〜｣

胸部や臀部のボリュームという点では劣るかもしれないが、モデルのような整った容姿を持つ菫は十分に魅力的であろう。

隣の芝は青く見える。というように、どうしても自分にないものを求めてしまうのだ。

贅沢な悩みにも思えるが、菫にとってはそこがどうしてもコンプレックスなのだ。

菫はもう一度、溜め息をつくと今日着ていく服を何にするかということに思考を切り替えた。

◇◇◇

早めに家を出たため、菫を待たせるということにはならなかったのは良かったのだが、幼なじみが到着するまでの時間が少々手持ち無沙汰ではあった。

駅前に設置されたベンチに腰掛け、スマホを起動し、時間を潰しているとスマホにメッセージの受信を知らせる通知アイコンが点った。

メッセージを確認すると待ち人からであった。

｢駅前についたよー。北口の改札を出たとこで待ってるね｣

菫からのメッセージは駅前に到着したという報告だった。ほぼ時間通りに到着したのだろう。スマホの時間表示は3時55分を示していた。

凛は自身の母くらいしか女性を知らないが、その唯一の女性を見てきた限り、女性は支度に時間がかかるものという感覚でいた。そのため多少の遅れはあるのだろうという認識でいた。

しかし、その認識は菫には当てはまらなかったようだ。 あるいは気を回してくれたのかもしれない。

幼なじみとはいえ、相手は久しぶりにまともに話す女の子であり、贔屓目で見てもかなりの美少女だ。これはデートとかいうリア充イベントにカウントされるのでは、と内心ドキドキしっぱなしの凛。

｢了解。俺も駅に着いてる。行くから待ってて｣

メッセージを送るのも何だか緊張し、短文の返信にじっくり時間をかけ、送信ボタンをタップして気づいた。

凛がいるのは反対の南口だったのだ。どちらで待ち合わせるか決めていなかったのだから、どちらが悪いというわけでもないのだが。

時計を見て、走り出す凛。どうやら早めに家を出たのは無駄になってしまいそうであった。

南口から北口まで徒歩5分程度だろうか。走ればギリギリ約束の4時には間に合うはずとダッシュで人混みを抜けていく。

学生の帰宅時間になりつつある駅構内は、徐々に人が増え始めていた。それほど大きな駅ではないが人が多いとやはり合流するに骨が折れる。

北口へとたどり着いた凛は周りを見渡すが、人混みの中で菫を見つけることはできず、もう一度菫にメッセージを送った。

｢北口に着いたよ。今どこにいる？｣

一度スマホをしまうと改札口の近くで待っているとメッセージにあったのを思い出した。

改札口を見る。改札口の近くにはいくつか柱があり、自分と同じように待ち合わせであろう男女が柱にもたれかかり、スマホをいじっている。

その中にオシャレをした菫の姿もあった。そして菫に話しかける見知らぬ二人組の姿。

声は聞こえないが、菫は明らかに迷惑がっている。どうやら菫は運悪くナンパに引っかかってしまったらしい。

この辺りは大学生や高校生が多いのでナンパのスポットになっている。断られればすぐに諦めて次へ行く者が大半だが、中にはタチの悪いのもいると聞いたことがある。今、菫に絡んでいるのは明らかにタチの悪い部類だ。

｢君、翔陽大の子？ 俺ら奢るからさ。よかったら一緒に遊びに行かない？｣

｢そうそう、ちょうどひましててさぁ。行こうよ。ね？｣

ヘラヘラと菫に迫る二人組。

｢すみません。待ち合わせしてるので｣

はっきりと断る菫だが、男たちは引く気配がない。相手の都合などお構いなしに男のひとりが強引に菫の腕を掴んだ。

｢待ち合わせってお友達？だったらその子も一緒にさ。だったらオッケーしょ？｣

｢ほんと、困ります。離してください！｣

不味い。非常に不味い状況だ。

凛が割って入ろうとした瞬間───。

｢ギャァァァ！イダダダッ！！｣

男の悲鳴が駅構内に響き渡る。何ごとかと多くの通行人の視線が3人に集まっていく。

遅かった。

悲鳴を上げたのは菫の腕を掴んでいた男だ。菫はしつこいその男の腕を取り､素早く後ろ手に捻りあげて床に膝をつかせた。

菫は何を隠そう合気道の有段者なのだ。昔から合気道の道場に通っており、わりとお転婆だった少女は子供の頃からそこらの男子に決して負けることがなかった。今でこそおっとりとした雰囲気を纏う彼女だが、荒事には滅法強い。相手を見誤ったナンパ男たちの自業自得と言えば、自業自得なのだが。床にへたり込み、悲鳴を上げる姿はなんとも憐れだ。

だが、まだ空気も相手との力量差も読めず、状況も理解できていない、激昂した約1名の愚か者が、菫へと拳を振り上げ、殴りかかる。

｢オイッ！！テメェ！！こっちが下手に出てりゃ、調子に乗りやがって！！！｣

だが、その拳は菫に当たることはなかった。

｢お兄さん、それはやり過ぎでしょ｣

男が菫に殴りかかった瞬間に凛が割って入り、その腕を掴んだのだ。凛は菫のように綺麗な技ではなく力づくで掴んだ相手の腕を捻りあげる。

｢イダダダッ！離せ、誰だテメェ｣

尚も抵抗する男に呆れて言葉が出ない。無言で男の腕を背中へと回し体重をかける。顔面から倒れこんだ男は床へとキスをする羽目になった。

凛はやれやれとばかりに男の背中にドカッと腰を下ろし、頭を押さえつけて身動きを完全に封じる。

｢すみません。誰か駅員さんとお巡りさん呼んできてもらっていいですか？｣

一部始終を目撃していた観衆に警察と駅員を呼んで来るように頼むと何人かが頷き、散っていくのを見送り、菫へと話しかけた。

｢スミ、大丈夫か？｣

｢私は大丈夫だよ。なんか巻き込んじゃったね｣

｢気にすんな。どう考えてもコイツらが悪い。むしろ助けに入るの遅くなって悪かったな｣

そう言って凛は腕をさらに締め上げた。すると男は苦痛でうめき声を漏らしたが、そんなことは知ったことではない。女性に暴力をふるうこと自体許せないのに、あろうことか目の前で幼なじみを殴ろうとしたのだ。苦しむ男を見ても微塵の情も湧かなかった。

｢うんん、ありがとう。助けに来てくれて｣

菫と凛が一人ずつ男を取り押さえていると、まもなく警官と駅員数人が呼びに行ってくれた人達に連れられてやって来た。

状況の経緯はあらかた伝えられていたようで男たちを警官に引き渡すと速やかに連行してくれた。

凛と菫は残った警官と駅員にその場で事情を聞かれることとなった。だが目撃者もおり、呼びに行ってくれた人達も菫が絡まれていたことや凛が止めに入ったことを説明してくれたおかげでお咎めなしとなった。むしろ、軽く感謝までされた。

警官の話によると、あの二人組はこの辺りで問題を起こすことで有名だったらしい。凛と菫はそんなタチの悪いナンパ野郎たちにお灸を据える格好となったのだ。

警官や駅員、状況説明に付き合ってくれた人達にお礼を言ってから凛と菫はその場を後にした。

◇◇◇

タチの悪い奴らに絡まれたせいで予定より遅くなってしまったが、菫の好きなカフェへとたどり着いた。店に入ると空いている時間帯だったようで待たされることなく、すぐにボックス席へと案内された。そこでやっとふたりは落ち着くことができた。

｢スミ、災難だったな。無事で何より｣

｢なんかごめんね。りんりんにも迷惑かけちゃって。でもりんりんカッコよかったよ！｣

｢スミもカッコよかったぜ！｣

メニューを見ながら、菫をフォローする。菫は大して気にしている様子はなく、むしろ凛を巻き込んだことが申し訳ないという感じだった。

｢さて、あんな野郎共のことは忘れて甘い物でもいただきますか。体力使ったからちょっと腹減った｣

｢分かる！パンケーキいっとく？パフェもあるよ？迷惑かけたから奢るよー｣

｢マジで？菫先輩ご馳走様です｣

｢やめてよー、先輩なんて他人行儀な呼び方。スミでいいよー。学校では仕方ないけどさぁ。あと敬語もなしでお願いします｣

菫にとって凛は大学の後輩である前に大事な幼なじみなのだ。だからこそ冗談めいていても先輩呼びは距離ができてしまうようで何だか寂しかった。

｢いや、そっちが敬語使ってて草｣

凛のツッコミにてへっと笑う菫。離れていたのに結構変わらずに話せていることが二人とも嬉しかった。

｢りんりんは注文決まった？私は決めたよ。決まったなら店員さん呼ぶけど｣

｢うん、決まった｣

｢スミマセーン。注文お願いします｣

｢かしこまりました。ご注文をどうぞ｣

｢私はこのパンケーキセットを。ドリンクはアイスレモンティーで｣

｢俺はレアチーズケーキとアメリカンをホットでお願いします｣

｢かしこまりました。注文繰り返させていただきます。パンケーキとアイスレモンティーのセットがおひとつ、チーズケーキがおひとつとアメリカンコーヒーのホットがおひとつ。以上でよろしいでしょうか？｣

｢大丈夫です｣

オーダーに間違いがないことを確認し、菫が答えると店員は頭を下げて去っていった。

今日はお洒落なお店に縁がある。店名にはジョリフィーユとあった。店内は灰色がかった白であるスノーホワイトの壁と天井に座席は全て黒のレザー調のもので統一されている。モノトーンの落ち着いた雰囲気の店内。カウンター席と対面座席がある。座席数はあまり多くないため20名もいたら満員だろう。

駅前という立地もあり、混みそうな感じがするが店内はそこまで混雑してはいない。どうやら店内でゆっくり過ごす人よりコーヒーなどをテイクアウトしていく人のほうが目立つ。時間帯もあるのだろうが、座ってゆったりできるのはありがたい。

｢賢人会ってこないだあった先輩たちとスミの3人ってわけじゃないだろ。他に何人くらいいるの？｣

入学式のあとに会ったのは優亜に菫、そして真姫奈の3名である。今のところ一年生以外で知っているのはこれだけ。もう1人男の先輩がいるらしいが留学中のため不在とのこと。

｢教育学部の2年生の女の子と留学行ってる2年生の男の子、あと確かもう2人、1年生が今日来てくれるはず。まだ私は会ってないんだよね。入学式の方に真姫奈先輩と行ってたから。会ったのは優亜先輩だけなんじゃないかな｣

｢改めて聞くと女子率たっかいなぁ。留学中の先輩が戻ってくるまで男、俺と時雨だけじゃん｣

自分や時雨を男として認識してくれるかは分からないが、綺麗所の多い賢人会。変に意識してしまいそうだった。

菫とそんな話をしていると店員さんが注文した品を運んできた。そしてまさかの会話への割り込み。

｢女の子いっぱいでうれしいだろー｣

突然、店員が会話に参加してくるとは思わなかった。凛がぎょっとして声のしたほうを見ると、白のフォーマルシャツにベージュのミニエプロン、黒の膝丈スカートという格好で料理を手ににやけ顔を浮かべる優亜が立っていた。

｢優亜先輩、こんにちはー｣

菫が何も気にせず普通に挨拶し始めたのを見るに優亜がこの店で働いてることをはじめから知っていたようだ。忘れていたのか、わざと黙っていたのか。おそらく前者だろう。

｢やっほー。すみれちゃんと彩峰くんはデート？ねぇ、デート？｣

むふーっとニヤニヤ顔を隠す気もない優亜。デートと言われたらデートに見えるだろうが。

(この人、楽しそうだな)

やれやれという感じである。

｢デートに見えます？じゃあデートでいっか。ね、りんりん｣

(いやいや、ダメだろ！)

頭痛を覚え、眉間をおさえる。菫は昔から天然というか大雑把というか考えなしの言動をすることがあった。やれやれとばかりに訂正をする。

｢ね。じゃないでしょ。優亜先輩もあからさまに楽しそうにしないでください。久しぶりに会ったので、話そうってことになっただけですから｣

｢楽しんでるなんてそんな。お客様に失礼ですから｣

｢いや、顔！先輩、顔にでちゃってますから！面白いものに遭遇したって顔してますからね｣

｢おっと、まずい。次のお客様がお待ちなので。こちら、ご注文のパンケーキとアイスティーになります｣

部が悪いと見て逃げていく優亜だが、まだ凛の頼んだケーキセットが来ていないのでどうせまた現れるのだろうと思い、ため息が出る。やましいことをしているわけではないのになんだか厄介なことになったと軽く頭を抱えたくなった。

そんな凛をしり目に菫は幸せそうにパンケーキを頬張っていた。

(自由だな〜)

｢ここ優亜先輩のバイト先なのな……｣

｢うん、そうだよー｣

もぐもぐとパンケーキを堪能しながら元気よく返事をする菫。若干、幼児退行を引き起こして知能指数が下がっている気がした。ここのパンケーキにはやばいもんでも入っているのだろうか。

｢ケーキセットおまちー！｣

くっ、頭が……

オシャレなカフェ店員のテンションではない優亜がケーキセットを持ってやってきた。

｢ありがとうございます｣

もうツッコミはいれまいと無心でケーキセットを受け取るも、しゃがみ込んでテーブルの縁に顎を乗せ、優亜は仲間に入りたそうにこちらを見ている。一向に去っていく気配がない。目が合うと笑顔が返ってきた。

｢優亜先輩、バイト何時までです？新歓、来ますよね？｣

仕方なく話題をふると嬉しそうに答えてくれた。なんだか実家で飼っている柴を思い出す。かまってもらえて嬉しくてしっぽをガン振りする感じである。

｢今日は5時まで。新歓もちゃんと行くよん。彩峰くんも美人な先輩がいないとさみしいっしょ？｣

ドヤ顔な優亜。悔しいが美人なのは否定できない。だが、今のところ美人の前に｢残念｣が着いている。

｢ソウデスネ。サミシイデスネ｣

｢うわっ、すごいカタコトで草｣

ケラケラ笑っているとお客が来たようだ。優亜はまたあとでねと言って去っていく。さっきまでの緩さがうそのように仕事モードに切り替わった優亜は凛とした丁寧な接客姿を見せる。物質が相転移するように見せる顔が大きく変わるが、真面目な姿も緩い姿も全て優亜という人間の一部なわけで。その振れ幅がもたらす破壊力は凄まじい。いわゆるギャップ萌えというやつである。

無邪気にパンケーキを頬張る菫とナンパ男をねじ伏せる菫。これもまたギャップなのだろうか。ひとつ言えるのはパンケーキに夢中な目の前の幼なじみも優亜とはまた違う美少女だということだ。

閑話休題─────。

｢今日の新歓ではじめて会う人が3人いるのか。なんかちょっと緊張する。優亜先輩はフランクに接してくれるから問題ないとして、新しく会う先輩とタメのふたりはどうか。鷹藤先輩も挨拶しかしてないからほぼほぼ初対面と変わらないだよなー｣

｢らいじょーぶらよ。むぐっ、1年生の子たちはわかんないけど、真姫奈先輩も天音ちゃんも優しいからね。話してみればわかるから｣

パンケーキを完食した菫はストローを咥え、ちゅるちゅるとアイスレモンティーを楽しんでいる。ケーキに手をつける。菫の言う通り緊張しても仕方ない。それにあんな感じの優亜が代表を務めていて、幼なじみの菫が所属しているのだから雰囲気が悪いなんてことはきっとない。甘味に集中することにした。

フォークで小さく切り分けていくとひと口サイズにしたチーズケーキを口へと運ぶ。

するとクリーミーで濃厚な舌触りとともにブルーベリーソースのほのかな酸味が爽やかに口の中で広がり、濃厚な味わいからは想像できないさっぱりとした甘さを演出している。くどくなく、甘いものが苦手な人でも食べやすい仕上がりになっていた。コーヒーの苦味と酸味で口の中をリセットしながら、小分けにしたケーキを食べることで甘さが引き立ち、より長く幸せな時間を楽しむことができる。

｢ごちそうさま｣

｢美味しかった〜｣

だらしなく手足を投げ出して身体を椅子にあずける満足げな菫を見て昔からちょっとがさつなところがあったことを思い出し、菫には言えないなと笑いを堪えた。

ほどけた糸をもう一度紡ぎ直すように蘇る思い出が、離れていた時間を取り戻してくれるようだった。

◇◇◇

スマホを開くと時間は午後5時近く、集合時間まであと1時間ほど。優亜のバイトもそろそろ終わる時刻。バイトが終わったらその足で新入生歓迎会に向かうつもりなのだろう。

凛と菫はまだ余裕があるため、なんとなく始まった昔話に花を咲かせていた。

凛と菫が共に過ごしたのは、彼女が転校する小学四年生まで。両親同士の仲がよく、互いの家を行き来していた。家族ぐるみの付き合いというやつだ。

歳が近かったこともあり、ふたりはすぐに仲良くなった。菫は凛より一つ年上ということもあり、弟のように凛を可愛がり、どこへでも引っ張って行った。凛もまたそんな菫を慕い、どこへでも付き従った。まるで本当の姉弟のように。

だが、別れは突然だった───

菫が小4、凛が小3のとき、菫の両親の仕事の都合により、遠方へと引っ越すことになったのだ。別れのとき凛は泣いた。人生で一番なくらいに泣いた。 もう会えないのだと互いに抱き合い、これでもかというくらい泣いたのを覚えている。

今思えば、両親同士には交流もあっただろうし、メッセージアプリや電話もあったし、会おうと思えば長期休暇を使って会うこともできた。

だが、凛は怖かったのだ。忘れられていることが。子供の記憶など曖昧なものだ。環境が変わり、適応してしまえば過去など自然と現在に上書きされてしまう。菫に新しい友達や本物の弟ができて、自分の存在などなかったかのように新しい時間を過ごしていたらと思うと怖くてとても連絡することができなかった。そして月日が経ち、凛の中で菫との記憶は大切だが、切ない思いとなり心の片隅に残るだけとなっていた。

入学式の再会までは。

｢おばさんとおじさんは元気？｣

｢元気だよ。昨日もりんりんと会ったこと電話したらすごい懐かしがってた

どうやら菫は凛との再会を両親に伝えたようだ。どんなことを話したのか気になるところだが、話が進まなくなるため相槌のみにとどめる。

｢りんりんの方は？｣

｢うちも元気だよ。父さんも母さんも忙しくしてるからあんまり連絡は取ってないけど｣

｢そうなんだぁ。りんりんのお父さんの写真、うちのリビングに飾ってあるよ！時々、送ってもらうんだって｣

｢そんな話聞いた事なかったな｣

｢だよね。私も知らなかったもん。親同士は連絡取り合ってたって知ってたらもっと早く会えたのにね｣

｢そうだな｣

まさにそのとおりである。二度と会えないと子供ながらに思っていたのだから、教えてくれても良さそうなものだ。

｢でもこうしてまた会えたからOKだよね！」

菫はそう言って顔をほころばせた。

｢そして、幼なじみと運命的な再会。尊いねぇ｣

｢盗み聞きですか？仕事はいいんですか？｣

｢盗み聞きじゃありませんー。堂々と聞いたうえで混ざりましたー。それにバイトは終了しましたー｣

そこには制服から私服へと着替えた優亜が立っていた。