第3話

不審者に遭遇するというハプニングは勘違いだったが、色々あって何だか疲れた。気持ちを落ち着かせるためにも先輩が入れてくれたお茶が入った紙コップに口を付ける。

喉の渇きを潤すとただのお茶がとても美味く感じられた。


一息入れたところで気になるのは、このサークルのことだ。流れでこうして腰を下ろし、お茶をいただいているわけだが。


まだ凛たちは〈賢人会〉というサークルについて名称しか知らない。目の前の先輩も登場の仕方はアレだったが、悪い人には見えないが。


一息入れたことでいつもの調子を取り戻した時雨は持ち前のコミュ力を発揮して真っ先に口を開いた。


「このお茶、美味いっすね。これ玉露ってヤツっすかね。高級なヤツ」


そして、盛大にやらかしたのだった。


味がわかる男とでも言いたげに、ことさらドヤる時雨。凛もお茶を美味しいと感じたが、サークル勧誘でそんな高級な物が出てくるものかと首を傾げた。


「…………いやー。スーパーで買ってきた〇鷹なんだけど美味しいと思って貰えたならよかったかな。う、うん」


数秒の沈黙のあと、先輩はどこか時雨を気遣うように告げた。凛の予想通り心理的影響で美味しく感じただけでお茶そのものはどこにでも売っているありふれたものだった。


(時雨、今のは恥ずかしい……。なにが玉露っすかね。だァァ!)


心の中で盛大につっこむ。


「うん、お茶美味しいよね。〇鷹だけど」


(やめてあげてー!彼のメンタル今豆腐だからァ!)


しれっと追い打ちをかけるヘルメットの君の一言がトドメとなり、顔を覆う時雨。


そんな時雨を気遣ったのか。さほど気にしてないというふうに話を変えた狐の君は自己紹介をしようと言い出した。


「そッ、そうだ。名前も知らないとお互いに話しづらいよね。みんなで自己紹介しようか。男の子たちは美人なお姉さんと同級生の名前やあれこれ気になるっしょ?」


絶対、ふざけているが凛と時雨に向けたウインクも様になる。


「具体的にあれこれとは?」


男たちの視線が一斉に勇者ヘルメットの君へと注がれる。


「それはやっぱ、バストサイズとか?」


そして恥ずかしげもなく、大変実り豊かなふたつの果実を両手で掴み、寄せてみせる。


釘付けになる男たち。


和風は胸が大きいと身体のラインが出て綺麗に着こなすことができない。そのため胸をサラシで潰したり、お腹の部分にタオルを入れるなど身体のラインを消す工夫をするのは有名な話だ。そういった工夫を凝らして尚、主張をやめない双丘が圧力によって形を変える。


「まずは私から。社会学部3年の仙洞優亜〈せんどう ゆあ〉。一応この賢人会の代表ってことになってるの。バストサイズはFカップだぞ。よろしくー」


狐面の君こと優亜は恥ずかしげもなく自身のバストサイズを公表した。

そう言われると、最早そうとしか見えない。見てはいけないと分かりつつもどうしても目線がそこに集中してしまうのが悲しい男の性である。


見た目は小柄だがとんでもない凶器を隠し持っていたのだ。所謂トランジスタグラマーというやつだ。綺麗なアーモンド型の目は少し垂れ気味で愛らしい。栗色の髪を肩ほどまで伸ばしたミディアムボブの髪に緩やかなウェーブがかかり、ふわりと柔らかなよい香りが漂ってきそうだ。控えめなナチュラルメイクは飾るというより、素材を活かすといった感じで魅力を上手く引き立てている。


仙洞優亜は文句なしの美人だ。性格の方はまだ会ったばかりだから全て分かるわけではないが、若干変わっているが、話しやすい。


「文学部英文学科1年の彼方出雲〈かなた いずも〉です。最近の1番の趣味はツーリングです。あと......Eカップです。よろしくお願いします」


流れを作ったからなのか律儀にバストサイズを告白する出雲。頬を赤く染めながら。根が真面目なのだろう。


優亜も美人だが、出雲はまさに大和撫子といった感じだろうか。おでこの辺りで切りそろえられた長く艶やかな黒髪。白く透き通る肌。スラリと長く引き締まったしなやかな手足と女性らしいボディラインの曲線美。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花という言葉がよく似合う。


これから学年問わず様々な男に狙われることだろう。フリーならばだが。


誰もが絶賛するであろう女性たちの知ってはいけない秘密を知ってしまったようですごく落ち着かない。


だが、いつまでも黙っているのはいけない。いけないと勇気を振り絞って自己紹介を始めた。


「えっと、社会学部1年の彩峰凛です。よく名前で女性に間違われるのが悩みです。趣味は読書ですかね。漫画とかも好きです。よろしくお願いします」


凛は名前だけで中性的な見た目をしている。ただ華奢なだけではない。面立ちが整っているのだ。肌もインドア派のため白め。今はスーツ姿だから男と分かるが、服装を変えればスレンダーな女性に見えるだろう。


最後に時雨の自己紹介の番だ。


加藤時雨かとうしぐれです。社会学部の1年です。好きなことは美術館巡りと身体を動かすことっすかねー。あと、早くバイトしたり、カノジョを作りたいです!」


非常に時雨らしい自己紹介だった。素直に彼女が欲しいと初対面の女性の前で口にできるのは大したものだ。そして、美術が好きなことが意外だった。


180cmを超えるであろう身長にスーツの上からでも分かる鍛えられた身体。程よく焼けた肌に逆だった明るい髪色。金髪とまではいかないが、かなり明るめの茶髪をしている。そして左耳を飾るピアスが特徴的だ。やんちゃな印象が強いが、明るく、いい意味でアホだ。だからこそ、話しやすく不思議な程早く打ち解けられた。凛はそう思っている。


ここにいる全員が簡単な自己紹介を終えると時雨がスっと手を挙げた。


「それで賢人会ってどんなサークルなんすか?」


そこは一番気になっていたところだ。頷いた出雲も気になる様だ。当然の事ながら、サークルに入るならまず活動内容を知り、自分に合っているか検討しなければならない。興味のないサークルに入ってもつまらない。


アウトドア派、インドア派、スポーツ、サブカル、理系、文系、社会奉仕活動、研究、イベント運営etc.....。


翔陽大のサークルには幅広い種類がある。

1つに絞って参加する者、複数掛け持ちする者、緩く楽しみたい者、積極的に力を入れたい者などスタイルも様々。


中には危険なサークルや団体が紛れ込んでいる可能性もあるから注意しなくてはならない。 「賢人会」はその注意しなくてはならない団体を疑ってしまうくらい謎なのだ。


「やっぱり気になるよねぇ。私も初めてのときはそうだったよ。なんか変なサークルがあるみたいな。サークルの皮かぶったやべぇ新興宗教だったらどうしよう的な」


(やっぱ、そこは思うんだ)


優亜曰く、賢人会とは自分以外の人は皆違う経験と知識を持つ賢人であるという理念の基に、互いに教え合い、学び合うためのサークルらしい。


「要するに、それぞれの趣味や好きなことを共有して楽しくやろうってサークルね」


「なるほど」


「面白そうっすね!」


「ほんとになんでもありなんですか?」


出雲の疑問も最もだ。〇西先生、バスケがしたいです的なノリで提案したらサークルメンバーがバスケしてくれるのだろうか。


「なんでもありだよー。毎回誰かしらの提案したことをみんなでやって楽しんでるよん」


「それって、みんなでセッ───、ぐふッ」


「時雨くん、ちょっと黙ろうか」


不用意に不適切な単語を口走った時雨はそれを言い終わる前に凛の肘鉄が脇腹に突き刺さり、口を噤んだ。


言葉は掻き消されても何を言おうとしたのか凜がすぐに理解したように、優亜も出雲もきっとすぐにわかったのだろう。

吹き出す優亜。

苦笑いを浮かべる出雲。

ふたりとも反応は違うが気にはしていない。凜は普通にドン引きしたが。


◇◇◇


ひとしきり笑い終えた優亜が復帰するのを待って、サークルの具体的な活動内容に話を進める。


「そうだなー。理念云々は創設時の先輩たちが洒落で作ったそれっぽい方便らしいけどね。最近だとみんなで美術館の展覧会にいったよ。私とおんなじ3年生の子の発案でね。その子、美術館とか博物館に行くのが趣味でね。学芸員資格の講義も受けてるし」


「なるほど。その先輩は美術館巡りが好きだからってことですね」


「出雲ちゃん、そゆこと」


「うちはサークルメンバーがそんなに多くないから。君らが入ってくれると嬉しいんだけどな」


「そうなんですか?」


「うん。今なんて男の子いないからね。男子諸君、今うちに入ってくれたらもれなくハーレム状態だぜ


「マジっすかッ!!?」


すぐさまにエサに食いつく時雨。


こいつはこのサークルに入るなとチョロい時雨に呆れていると優亜と目が合った。

可愛くウインクして魅せる優亜。あざとい、あざといがかわいい、あざとかわいい。凛も健全な男子だ。悪い気はしない。


男心を巧妙にくすぐる優亜の言動は計算か天然かは分からないが、可愛いくて、スタイルも良いとなると、きっとモテるだろう。


「これはワンチャンありなのでは!?」


悪い病がぶり返したかのようにまたもや時雨が騒ぎ出した。


「加藤くん何が、アリなんですか?」


これまで行儀良く静かに話を聞いていた出雲はお茶を啜りながらにっこりと問うた。


「それはほら!ヤリ​ッ───────」


「​───────ねぇよ!バカ!!!」


凛による2度目の鉄拳制裁によって、今度こそ時雨は沈黙することとなった。


「彼方さんも仙洞先輩もほんとにすみません!このバカがさっきから」


時雨の頭を掴み、無理やり頭を下げさせると凛も頭を下げた。まだ数時間という短い付き合いだが、時雨は友人だ。だからこそ、その不始末に一緒に頭を下げた。凛にとって初めての出来事だった。


「大丈夫ですよ。気にしてません」


笑って許した出雲自身、面白いからこそ先程と同じように煽っているのだから怒る理由はなかった。


「あはは。素直だねー。主に下半身に?」


優亜の方はというと、下ネタにも特に不快感をしめすことなくケラケラと笑っていた。


「仙洞先輩、笑う所ですか?」


後輩の呆れた視線を受けて居住まいを正すが、懲りてはいないようであった。


「ごめんごめん。私たちの代ではそういうのはないけど、昔はあったかもしれないよ。誰しも興味持つことだし」


そんなことを言い出す先輩に凛と出雲は顔を見合わせた。時雨はソワソワと落ち着かないといった感じで、期待に胸膨らませていた。


◇◇◇


そんなこんなで盛り上がっていると賢人会のテントに新たな来訪者が現れた。


「お疲れ様でーす。遅くなりましたー」


「優亜。遅くなってごめんなさい。入学式の片付けが割りと手間取ってしまって」


「まきちゃん、すみれちゃんおつかれー。こっちはたのしくやってたから大丈夫だよ」


遅れてやってきたのはどうやら、サークルメンバーの先輩たちらしい。入学式の手伝いが終わり合流したらしい。


「「あっ!」」


互いが互いに気づき、声が重なる。今日の朝に長らくご無沙汰だった幼なじみと再会してからまだ半日ほどしか経ってないのにまた会うことになるとは思ってもみなかった。


「朝ぶりだね。すごい、偶然!」


嬉しそうに手をふる菫。それに手を挙げて応える。


「なになにー。凛くん、すみれちゃんとも知り合いなんだー」


そんなふたりのやり取りを見て優亜はニヤニヤと、菫と凛を交互に見る。特にやましいことはないが、そんな風に見られたら何だか居心地が悪い。


「優亜先輩は相変わらずですね」


いつものことだとクスッと笑い、菫は幼なじみであることと朝の出来事について簡単に説明してくれた。


「───という訳です」


「幼なじみの偶然の再会。何だか運命的ですね。でも私も彩峰くんと入学式で隣同士。しかもここで再会したのだから運命的になりますね」


すると出雲は凛にだけ聞こえる声でそんなことを囁いてきた。


出雲のような美人にそんなことを言われたら大概の男は勘違いをする。凛とて例外ではない。そんな思わせぶりな振る舞いにドキッとしてしまう。今も凛を見ながら軽く口に手を当て悪戯っぽくと笑うその仕草にはなんとも形容しがたい魅力があった。

ただただ純粋に可愛いと思わされる。お嬢様然とした見た目からはあまり想像しにくい。凛の中で出雲を見る目が少し変わっていた。


「こっちの背の高い子が加藤時雨くん。すみれちゃんの幼なじみの子が彩峰凛くんで、そっちの美少女が彼方出雲ちゃん。今、みんなで自己紹介してたの。ふたりも自己紹介よろしく〜」


緩い感じで優亜が自己紹介を促すと菫ともう片方の先輩はこくりとうなずき、自己紹介をしてくれた。


「私は優亜と同じ社会学部3年の鷹藤真姫奈〈たかとうまきな〉。彩峰くんと加藤くんの直接の先輩になるわね。よろしく」


「私は社会学部2年の相川菫〈あいかわすみれ〉です。みんなよろしくね。サークルでは私が1番後輩だからみんなが入ってくれるとすごい嬉しいなー」


確かに後輩が増えれば先輩たちは嬉しいだろう。まだ具体的にどんな活動をするのか体験してみないことには分からないがサークルの雰囲気は良さそうだ。菫という見知った間柄の人間がいるのも大きい。凛としてはこのサークルに入ってもいいと思い始めていた。もう少し他をまわってからという選択肢もあるが、時雨に聞いてみる。


「時雨はどうする?俺はこのサークルに入ってみるのもいいかなって思うけど。先輩たちも優しそうだし」


時雨も好印象のようだが、他のサークルにも興味があるらしく悩んでいる様子だった。


「掛け持ちとかは大丈夫なんですか?」


「掛け持ちももちろんOKだし、今すぐに決めなくても大丈夫だよ」


結局、凛と出雲は賢人会への参加を決め、時雨は保留となった。


「彩峰くんと彼方さん、ありがとうー。明日、新人歓迎会やるから是非加藤くんも来て欲しいな」


「まだ決めてないのに俺もいいんですか?」


遠慮気味に聞き返した時雨の肩を掴むと優亜は大歓迎だよと笑顔で言ってくれた。最初はちょっとあれなサークルだと思ったが良いサークルに巡り会えた。


凛と出雲の加入をとても喜んでくれ、特に菫は後輩が出来てとても嬉しそうだった。早速、出雲と連絡先を交換していた。


先輩たちと一通り連絡先を交換して、今日は解散となったが、まだサークルを決めてない時雨は他のブースを見てまわりたいとのことで出雲も加えた、一年三人はさらにサークル巡りをすることとなった。


◇◇◇


「加藤くんはどんなサークルに興味があるの?」


確かに率直な疑問である。細いがしっかりと引き締まった身体をしているあたり、時雨は何かスポーツをしていたのだろう。身体を動かせる部活やサークルがいいのかもしれない。


「うーん、スポーツ系も考えたんだけどボランティアとかにも興味あるんだよな」


「「意外!」」


ふたり同時に心から思ったであろう言葉が飛び出した。


見た目DQNな彼からは想像も出来ない単語だったのだ。無理もない。無理もないのだ。


「君たち俺に対して失礼だな」


ジト目で睨む時雨。だが、ここまでの彼の行いがふたりにさっきの言葉を選ばせたのは間違いない。人間、言動や行動によって損することがあるが、確実にそのタイプだ。


時雨をなだめて改めて話を聞いてみると慈善活動に興味があり、それ関係の勉強をしたくて社会学部を受けたという 。


「なるほど。俺、時雨のことを勘違いしてたよ。女の子と出会いが多いからとかそんな理由で女子率の高いうちの学部にしたのかと思ってたわ」


「ほう彼方さん、こいつしめてもいい?」


「それはちょっと。ごめんなさい。私もちょっと思ってた」


「ひでー!女子率で言ったら社会は6:4だろ!それで選ぶなら彼方ちゃんと同じ7:3の文学行くわ!」


「そこはリサーチ済みなんだね」


「だから違くて!やりたいことがあったから選んだって、は・な・しッ!」


「ふふっ」


「ははっ、ははは」


「なんだよー」


悲痛な叫びにも似た訴えが何だかとても可笑しく、凛と出雲はお腹を抱えて笑い合った。それを見てガックリと項垂れる時雨。



笑いながら大学初日からいい出会いに恵まれたと凛は心底思っていた。新生活に希望が持てる日となった。


◇◇◇


三人でいくつかのサークルをまわり、時雨は賢人会を含め、三つのサークルに顔を出すと決めたようだ。


時雨が一番興味を持っていたボランティアサークルは和気あいあいといった雰囲気で良さそうだった。フットサルサークルはリア充感が凄かった。どのサークルもまずまずといった感じだ。サークルは必ずしもずっと続けていくとは限らず、途中から別のサークルに入ることもあるのだから今は興味のある所に顔を出せばいいのだ。


「三人とも参加したいサークルも決まったし、そろそろ引き上げるか。明日は学部のガイダンスがあるしな」


「それもそうだな。みんなどこら辺に住んでるんだ?俺のアパートはすぐそこだけど」


「近くていいな。俺は電車で一駅いったあたりだ」


「私もひとつ先の駅の近くにアパート借りてる」


「なら、今日はここで解散か。今度、三人でメシでもいこうや」


「了解。その時は連絡頂戴」


「時雨とは明日も会うからな。彼方さんも見かけたら声かけてね」


「了解、了解」


家が近いという時雨は徒歩でアパートへと帰っていった。後に残ったふたり。


駅に向かおうかとスマホで時刻表アプリを開いて見ると電車の時間までには少しあることに気づいた。出雲はヘルメットを持っているので、原付か何かで来たのだろう。付き合わせるのも悪いのでとりあえず駅に向かおうかと考えていると出雲がぽんと肩を叩いく。


「ねぇねぇ。彩峰くんの家ってどっち方向?」


「白崎のほう。彼方さんは原付かなんかで来たんでしょ。俺はとりあえず駅行くからまた連絡するね」


そう言って手を振り、踵を返そうとした時、不意に彼女がヘルメットを投げて寄越した。


「私も白崎の近く。よかったら送ってくぜ」


そんな彼女の笑顔は眩しかった。後ろに乗ってかない?みたいな、仕草。ただのイケメンだった。日も落ちかけた夕暮れ時、凛の頬が紅いのは夕焼けだけのせいではなかった。


◇◇◇


スーツからわいん色のライダースジャケットにデニムパンツ、黒のハイカットブーツという出で立ちにチェンジした出雲の腰に腕を回し、身体を預ける。響くエンジン音。アクセルを回し、加速するバイク。背中越しに漂うフローラルな香りと革の匂い。二つの匂いは奇跡的な化学反応を起こしたかのようにマッチして凛の鼓動を高めていく。


送るという出雲の申し出を断りきれずに乗せてもらってから気づいた。腕をまわしたその肢体はとても柔く、いい匂いがするのだ。自然と彼女の背中に身体を預ける格好になるため、否が応でも肢体の柔らかさと女性特有の甘い香りが伝わってきてしまうのだ。このような密着状態で意識しないはずが無い。


(落ち着け。これは彼方さんの親切心だ。やましいことを考えるな)


そう自分に言い聞かせ、バイクは軽快に進んでいく。一駅の距離などバイクの速度なら大したことはない。だが、この時ばかりは途轍もなく長く感じられた。


そして、ゆっくりと出雲のバイクが停止した。そんな嬉し恥ずかしなツーリングは終わりを告げる。そこは家の最寄り駅である白崎駅の前だった。自分との戦いを終えた凛はヘルメットをそっと出雲へと手渡した。


「ありがとう」


「じゃあまた。学校でね」


何とかお礼の言葉を絞り出して手をふると、出雲はそう言い残して去っていく。

バイクを見送りながら、今日一日を振り返る。なかなかに騒々しい一日ではあったが悪い気はしなかった。


日は傾き、茜色に染まる空。穏やかな風に乗り、新しい街の香りが鼻をくすぐる。


新しい出会いと再会は始まったばかりの新生活に花を添えるものになるだろう。


「はぁ、これは大変良い経験だよな」


手に残る柔らかな感触。出雲の香り。そして、また恥ずかしくなり、新しい家へと逃げるように歩き出した。









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る