第7話

 12月24日。世の中は浮き足立った人々が目に余る。

 俺にとってはクリスマスイブよりも、まゆの命日としての意味が強い。翌日の25日は一緒に祝えなかった彼女の誕生日。生きていれば28歳……と言っても桜子には「生き返ってるよ」なんて言われそうだが。

 墓参りをしなくなってから半年が経とうとしていた。

 数ヶ月ぶりに訪れた公園は疎らに降った雪が地面の芝生を強調していた。

 追悼なんてもう意味が無いのかもしれないけど、長年染み付いた習慣に準える。自販機でりんごジュースを2本買った。色あせたプラスチックのブランコの椅子から雪を払う。気が付けば雪は止んでいた。

 金色のオーナメントが生垣を飾り、赤と緑の愉快な光は暗闇の中、点滅を繰り返す。

「温かい缶コーヒーにすればよかった」

 意味もなく吐いた言葉に返事をする者はいない。

 ここに来るまでの道に以前ほどの高揚感を感じることはできなかった。芯まで冷えた体に冷たい液体を流し込む。喉の奥がキュッと鳴った。

「なあ、まゆ。俺は一体何をすればいいんだ?」

 18年前の記憶の中の少女に一方的に問うた。

 ──本当に好きなら私の手を取ってよ

 そんな答えが貰えたのならどんなに良いことだろう。

 しかし暗闇に響いたのは携帯電話からの着信音だった。

 ホーム画面には同僚の名前が表示されていた。

「もしもし」

「秋田ー?」

 拍子抜けするほど間の抜けた声がした。

「そうだけど、何か用事あった?」

「いいや。特に用事はなかったんだけどね」

「え?」

 予想外の答えに唖然とする。

「最近元気なかったから。それなのに具合悪そうって訳じゃないのに今日すぐ帰ったじゃん?」

「うん」

「理由聞こうって訳じゃないけど、大丈夫かなって。心配になっちゃったから電話かけてみた」

「……ありがと」

 全部じゃなくても貴女になら伝えてみたい。

「ねえ秋田、これからご飯でも行かない?」

「……今市外にいるけど」

「仕方ない」

「このまま話だけ聞いてよ」

「気の済むまでいいよ」

「あの……さ」

「夢に出てくる未練に塗れた女の子の話カナ?」

「……」

 コイツにまゆの話なんてしたっけ。正直覚えていない。酔った勢いで話したのか?

「多分その話かな」

「会えないって分かっていても思い出すのは未練? 面影を重ねてしまうのは未練? だっけ」

「そんなこと話したっけ……」

「がっつり」

「……そっか」

「私は忘れずに好きっていうのも悪くないと思うよ」

「面影を重ねてしまっても?」

「きっかけは死んじゃった大好きだった子かもしれない。でも、似ているその子のことは大好きだった子と重ねるほど好きなんでしょ?」

「たぶん」

「なんだそれ」

 画面越しに彼女は笑った。

「もしもの話していい?」

「どーぞ」

「夏木の大事な人が死ぬ前に『生まれ変わったら会いに行くから』っていったとするよ」

「うん」

「20年近くたって、その子の面影のある子に『会いに来ちゃった』って言われたらとうする?」

「もしもそんな話があったら信じるかな」

「そっか」

「もしもそれが死に別れた最愛の恋人とかだったら、今度こそ幸せになりたいかな」

「俺は誰かに背中を押してもらいたかったのかな」

「それは知らないなぁ」

「生まれや育ちを理由に見ないふりしてたんだけどなぁ。きっと我慢はできないよなぁ」

「好きなもんは仕方ないよね」

「それが問題なんだよ」

「……犯罪者になる予定でもあるの?」

「時限爆弾抱えてるんだよね。彼女」

「教え子か……」

 電話特有のノイズが混じっても、絶句した表情が目に見えるようだった。

「否定はしない」

「イバラの道を選ぶんだね」

「幻滅した?」

「いいえ。私にしとけばいいのにって思っただけ」

 ころころと笑う声が聞こえる。

 元気がないからと心配して電話をかけてくるような奴だ。一緒にいて楽しくない訳じゃない。だけど

「夏木は幸せにしたい人じゃなくて、幸せになってもらいたい人……なんだよ。俺の中では」

 お前は俺に勿体ないくらい良い奴だから。

「なんだそれ。絶世の美女を振ったこと今に後悔するぞ」

「お前はいい友達だと思ってるから」

 やれやれと言わんばかりの溜息。

「私より大事な子なんでしょ。早く迎えに行ってあげられるといいわね」

「……うん」

 誰かに認められる、そんな何気ない事ひとつで俺はいくらか自信が持てた気がした。

「ちゃんといつもの秋田に戻った? 元気でた?」

「元気でた! ……夏木、ありがと」

「ん」

「夏木は俺じゃない誰かと幸せになってよ」

「イケメンの石油王捕まえるわ、おやすみ親友」

「おやすみ」

 ──早く迎えに行ってあげられるといいわね。

 払い除けた手を掴めと夏木は言った。

「卒業したら良いよなぁ? 親友?」

 いつの間にか空っぽになったペットボトルに視線を落とす。

「帰るか」

 誰もいないけど言いたくなった。

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