肥大化していく”I am”

鏡に向かって問い続ける拷問が原案となっているのだろう。「わたし」(或いは「私」)という人称が本流して、遂には常軌を逸していく様は読む者すらゲシュタルト崩壊に導く危険な遊戯である。少なくとも、僕は途中で一息つく必要があった。奔流に飲み込まれてしまいそうだったから。

「わたし」の歪んだ自己探求の旅路は終わらない。「わたし」(或いは「私」)の問答は悲惨な形で終わったが、奔流の次に待ち構えていたのは肥大であった。恋人を喰らい尽くさんとするばかりの自己の膨張である。きっと、それは「わたし」には止めることなどできないのだろう。溶け合い交じり合った” I ”はもはや人間ではなく、人間を象った怪物と言ってもいい。

主人公の自己探求は小さな欲から始まったが、実はこれは一種のナルシシズムに他ならない。誰かを愛したいなら、他者の中に自己を求めるべきだったのだ。エロスとはそういうものである。自己を変えるのではなく、他者に欠けているピースを補ってもらう。それが愛(エロス)というものだ。しかし、主人公はそうしなかった。他者に求めることを謙遜したのである。ナルシシズムと謙虚が入り交じった心理を思うと、また違った読み方ができるのだろう。興味深い作品だった。

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